発表会に江の島にと嬉しい記事を書いたGWからほぼ1ヶ月。月日が経つのはあっという間ですね。その間に鎌倉文学館に出かけ文豪たちの直筆を楽しんだり美しい薔薇を愛でたりもしていたのですが、おたおたしているうちに日にちがたってしまいました。
薔薇園に咲いていた目に留まった薔薇の写真を数枚貼りつけますね
左からブラックティー、サプライズ、ノヴァーリスです。花の特徴をよく表した名前がついているような気がするのは単なる気のせいではないですよね
そして鉢植えのサツキが今年はなんと咲きました!一昨年まではこのように咲いていたのに 昨年はほぼ二輪しか咲かず、世話の仕方がよくなかったのだろうかと思っていましたが今年は見事に満開でした今はピークを過ぎてしまいましたが、ピークだったころの写真を載せます。諦めないで毎日水をあげつづけてよかった、と思いました。もっと賑やかになったら剪定もしたほうがよくなるかもしれませんが。
twitterで色々な美しい花をガーデニングで育てている方たちに出会い、出遅れながらも私も他の苗も育てようと思い始めていたところでした。
がらりと話題は変わるのですがピアノも新曲に取り組み、サークルの練習会や歌の教室に通っていたときの仲間との練習会に出て音楽も楽しんでいました。その新曲というのは。。。一生に一度は弾きたいとレッスンで呟いた結果実現した作曲家ラフマニノフの曲です!そのラフマニノフの曲、繰り返しがあるようで実は微妙に変えていたりとひねっているところを見つけてはにんまりしていました。もともと結構激しい曲なのでうまく弾けば単調には絶対にならない曲なのですが、それでも音を変えたり強弱記号を変えたりと曲の表情を少しずつ変えようと工夫しながら作曲していたということに気付きさすが大作曲家だと感じ入ったところでした。弾き始める前から、構造についてはちゃんとつかんでおくのが本筋だとは思うのですけどね。分からなくてもついつい音を出したくなって、めちゃくちゃで弾けていなくても思わず最後まで通したくなる、というのがよくないところでもあります。そんな曖昧な状態で持って行ったときの人前での演奏はなにを弾いているのやら分からないものに。。。。思いっきりゆっくりした練習をやり直そうと思っているところです。
おっと、タイトルに「実は」と書きながらも延ばし延ばしにしていました。でもそのまま延ばし延ばしにしていてはいけませんね、「実は」の続きを書きます。
8月に主人の転勤で引っ越すことになりました
そして行き先は
時期も行き先も全く予想していなかったので何が何やら分からない状態でした。知らせから一週間たった今日、やっと、冷静になり現実を直視できるようになってきた状態です。まだまだ横浜にいるだろうと高をくくっていたし、行くにしても日本海側に行くことはないだろうと思い込んでいましたが、私の思い込みは一気に覆されました。
横浜という大都会に来たということでわくわくし、物価は高いのにも関わらず行きたいところには足を運びたくて仕方なかった1年目、それからだんだんこの刺激の多さが普通になってきてマンネリ化しながらも便利さ、出会う方たちの温かさにおぼれ甘えていたその後。そうしながらも何でもあるということの有難味を感じ、これからは自分なりに頑張りながら横浜での生活を満喫しようと思っていた矢先だったので。コンサートもたくさんありました。クラシック音楽が多くの人々の間に根付いていたような気がしています。それが嬉しくて私も一年目二年目は気になったらすぐに足を運んでいました。さすがに最近は無理してまではカバーしようとは思わなくなっていましたが。。。弾く方もたくさん経験させていただきました。早速コンクールに出たのはさすがにチャレンジでしたが(そして厳しい結果でしたが)発表会やSTEPなどで人前で弾く経験も出来たと思います。もっと真剣に向き合わねば、と毎回喝を入れながらやってきましたが貴重な経験でした。でも人前、まだありました、緊張しますが貴重な機会だと思うのでちゃんと向き合わねば。
関東地方は自然に乏しいのでは、という予想は外れていたと思います。浦賀の観音崎灯台周辺の見事な海岸、久里浜の美しい海や花に溢れた公園、箱根に行って富士山も見ることが出来たし、袋田の滝、小諸の懐古園、神奈川の最乗寺や長谷寺で紅葉、そして東京の新宿御苑や神奈川の三ツ池公園で桜を楽しむこともできたし、その他日光、軽井沢、江の島にも行けたし、色々な所に行けてよかったとしみじみ。そしておまけに今年は思いがけず大雪にも遭遇。我々の場合これが今後雪のたくさん降りそうなところに向かうための予告だったようにも思えてきたのですが。。。
心優しい仲間たちとの突然のお別れもさみしくとても名残惜しいのですが、受け入れて、前へ向こうとやっと思えてきているところです、それもですが引っ越し準備、5年前の記憶を取り戻さねばなりません、あの恐ろしく大変だった記憶がよみがえってきました。二度目なので少しは予想ができているし、準備も少しずつ進めているのですが、それでもやっぱり忘れていることや新たにしなければならないことがあるのでうかうかしていられませんね。
引越し先の富山は美しい自然と美味しい食べ物に恵まれていそうです、土地勘もないですし、今までの便利な生活では通用しないところもあるかもしれませんが、少しでも前向きな気持ちで歩んでいきたいと思います。
今後もブログ更新しようと思います!これからもよろしくお願いします♪
最後に新江の島水族館に行きました。江の島とあるのだから、島内にあるように思えるのですが、実はこちらがわ島の手前の本州にあるのですね。
印象的だった水族館の生き物たちを紹介します。ただ非常に偏りがあります、すみませんm(__)m
たくさんのクラゲ、本当に驚くばかりの種類があるのですね。
どのクラゲたちもマイペースでゆったり泳いでいるように見えました。本人?たちはそういう認識はまったくないと思いますが、非常に幻想的に思えました。
最近ウミガメがやってきたということで見たのですが、実に大きいですね!大人の亀は体長1mは軽く超えているように思えました。ゆったりと動いていました。
ウミガメの子供です。小さい水槽の中精一杯泳いでいました。
しかし私が最も楽しみにしていたのはこの方たちに出会う事でした!
フンボルトペンギン!!!
残念ながらガラス越しからしか見ることができませんでしたが、それでも愛らしいお姿をたくさん見ることが出来ました。
なにもせずに立っている姿から品格に溢れています。
しかしこのペンギンさんはこのようにごろりんと。
えっへん。
ようし今から水に入ろうっと。水の方に体を傾けました。構えている様子が何とも言えずに可愛いです。
水中でのお姿も愛らしいのですよ。ちょっとかゆいのでしょうか、水の中で振り返って羽を掃除しているようです。かなり速い動きなんですよ。
顔のアップが撮れました!えへへへへ。
人の方を向いて泳ぐことは滅多にないのですが、たまにこのようなことがあると嬉しいですね。このペンギンさん子供に向かってちゃんと挨拶していました♪
でもよそ見をしたくなることも。。。ありますよね。
かと思ったらまたこちらを向いてくれました!ガラスを隔てていますがこの子とは意思が通じたような気が(^^)愛らしすぎてたまりません♪
実は水族館ではいろいろなショーがあり、イルカやクラゲなどが主役になっていたのですが、この新江の島水族館ではフンボルトペンギンが主役の「ペンギンストーリー」というショーがありました。これは絶対に見逃すわけにはいかないと真ん前を陣取って見ました (イルカのショーはうっかりして見逃しました、残念)
ショーが始まったとき。水中にかなりいたはずのペンギンが陸上に上がりました。飼育員さんの挙動からショーが始まることがちゃんと分かっているのですね。
ペンギンは陸上ではよちよちと歩きますが、水中、そして特に餌を捕まえようとするときにはかなりの速度で泳ぎます。飼育員さんが魚を水中に投げた瞬間。我こそが餌にありつこうと競争のように餌に向かっていました。なんどかそういう餌を食べたペンギン当てクイズがあったのですが、同じペンギンが複数の餌をいただいたりと、生存競争の激しさを感じました。
餌を確保後は水中でものんびりしていたのですけどね。
水中での顔の拡大写真。なかなか真に迫っていると思いませんか?真剣な顔立ちです、凛々しいですね♪
偏りだらけの水族館生物紹介でした。筆者の嗜好でフンボルトペンギンの割合が異常に多いのですが、実際はフンボルトペンギン以外も多くの種類の魚や生物たちが飼育されています。
たとえば
こんなお方もいました☆
ちょっと~何だよ!!!!!この俺様を忘れるとはとんでもない話だぜ。
では♪
ご覧くださり有難うございました!
江の島、今度は別の方向から江島神社の奥津宮周辺そして海岸に向かうことにしました。
商店街こと弁済天仲見世通りの坂を上っていたらこのような看板を目撃。
島内にたくさんの猫を見かけたのですが、すべて島外から持ち込まれた捨て猫たちだったのですね。。。なんということでしょう。この方たちもそうだったとは!結構人慣れしていたのですよ。
商店街を出て山道を歩いていたらこのように美しい風景を味わうことができました。森の向こうに顔をのぞかせているのはまさにあの海!人の少ない朝でまさにパラダイスタイム♪
奥津宮周辺に来ました。神様が宿っている神聖な木です!
江島神社の奥津宮前です。しゃもじに絵が掛かれています。
そして上を見ると睨みを効かせた亀さんが!!!!!
この絵の通り「八方睨みの亀」というそうです。
そしてその隣には龍宮があって龍が祀られていました。龍宮の龍です!
奥津宮からは海岸が近いです。しかもどちらかと言えば外洋に面しているため離れたところからも白い波が見えます。
さらに近くまでやってきました。波の音が聞こえてきます。そのような中、釣りをしている人たちを何人か見かけました。波にもすっかり慣れているようでした。
さらに近くに来ると白い波が迫ってくるように見えました。音もしっかり聴こえました。月の動きをもろに受けています。太平洋の海だと思いました。そんな中でも釣り人たちはたくましく釣りを続けていました。すっかり馴染みがあるからこのようにできるのだろうと思っていたのですが、警備をされている方は獲物の魅力に虜になっているのではという話をされていました。
光がまぶしい中遠方には船が見えます。左のファミリー、かなり海の近くにいるようですが、慣れているような雰囲気です。
岩と岩の間にあるのは橋のように見えます。左のこちら側にも右の向こう側にも人がいます。右側の人は真ん中の渡って向かったのでしょう。この状態だったら楽に渡れそうですね。
ところが、そこに波が押し寄せてくると。。。。
ジャブーン!
とてもではありませんが、真ん中の橋を渡るときには細心の準備を。
ちなみに右の釣り人さん、真ん中の波が引いた後すたこらさっさと左側へと渡って行きました。
波打っていた海から徐々に離れていきます。岩と岩の間に海があるというのっていいですね!
そしてさらに歩くと、山ふたつというところにたどり着きました。島内は違う種類の岩でできた二つの部分に分かれているようですね。その境目です。彼方に見える海が懐かしいです。
ご覧くださり有難うございました!
先日は江の島に小旅行に行ってきました。最初は江の島神社に咲いていた花を中心に投稿します。
江の島神社の入口には、球状にまとまったツツジが咲いていました。このくすだまのようにまとまったツツジ、西洋ツツジの仲間のようですね。
紅葉や桜の記事を書いて以来、カメラを上へ向けて下から木の様子を撮ってみたくなる傾向が強くなったような気がします。
登って行くと江の島神社の本社こと辺津宮の姿が見えました。緑の輪をくぐって穢れを払ってからお参りしました。
その後八坂神社、中津宮とありました。
中津宮広場から見た海の眺めです。
さらに登って展望灯台のあるところ近くまで来ました。今回は展望灯台は登らなかったのですが、その周辺のサムエル・コッキング苑という庭園に色とりどりの花が咲いていました。明治時代の英国人貿易商「サムエル・コッキング」が私財をはたいて作った庭園だそうです。
涼やかな風貌のネモフィラ。
このように整えた状態で咲いていたのでちょっと分かりにくかったのですが恐らく芝桜でしょうね。
サイネリアというみたいですね。他の色の花もありました。なかなか激しい紫色です。
ノースポール。白と黄色のコントラストが卵みたいで見ていてほっとしました。
この花、名前はよく分からなかったのですが、鮮明な赤と整った花弁の形が印象的でした。
赤と黄色のコントラストが見事ですね。
ゴージャスに咲いています。色のコントラストも見事です。
当時のまま残っていた煉瓦積みの地下通路です。
金魚草。ふっくらした花弁が素敵です。
そしてこんなに豪華な咲きっぷりの花も!ルピナスの小さな花。花びらの精巧で細やかなつき方が印象的でした。
最後にラベンダーの写真を入れます。あの涼やかな香りも風と花弁も共に空中に舞っていました。
先日の4月27日、私の地元の広島で友人主催の発表会がありました。この会場で開かれる際にいつも声をかけていただき、今まで毎回参加しては刺激をいただいていました。今回は三度目。三度目の正直とばかり張り切って?出かけました。参加者の顔ぶれは以前からの友人、前回にも参加されお会いした方たち、今回初めてお会いした方たちとさまざまでした。4時間ぐらい前からリハーサルが始まって本番は2時からでした。
プログラムは三度の休憩込みで以下の通り、無記入はピアノソロです。連弾あり弦楽器ありオカリナあり、クラシックあり日本の歌ありラジオ体操ありと多種多様な内容でした。
ソナタ第24番Op.78「テレーゼ」第1楽章 ベートーヴェン
イタリア協奏曲BWV971第1楽章 バッハ
ピアノソナタKV545第1楽章 モーツァルト
ヴァイオリンソナタ第5番Op..24「春」第1楽章 (ヴァイオリンとピアノ) べートーヴェン
エル・ペレレ グラナドス
威風堂々(ピアノ連弾) エルガー
弦楽四重奏曲KV156全3楽章 (弦楽四重奏) モーツァルト
童神(オカリナとピアノ) 作詞:古謝美佐子 作曲:佐原一哉
ラジオ体操 第1 服部 正
ラジオ体操 第2 團伊玖磨
小プレリュードBWV939 バッハ
ノクターン1番 Op.9-1 ショパン
ソナタ第8番Op.13「悲愴」第1楽章 ベートーヴェン
幻想小曲集Op.73よりⅢ (チェロとピアノ) シューマン
ハンガリー舞曲 第1番&第4番(ピアノ連弾) ブラームス
平均律曲集第2巻第14番BWV883 バッハ
バラード3番Op.47 ショパン
月の光 Op.54-3 パルムグレン
ロマンス Op.101-1 シベリウス
小組曲―小舟にて・行進・メヌエット・バレエ―(ピアノ連弾) ドビュッシー
ピアノ歴は様々な方たちだったのですが、どの方の演奏も曲に深く真摯に向き合ったと感じる演奏ばかりで、とても聴きごたえがありました。弦楽器やオカリナのアンサンブルも心から楽しんでいるというのが伝わってくる演奏でした。弦楽四重奏というのは初めてでしたね。モーツァルトのKV156わくわくしながら聴きました。連弾も素敵でした、高校生の方も出ていたのですがハンガリー舞曲溢れ出るようなエネルギーが伝わってきてこちらもパワーをいただきそうでした。大人の方たち同士の連弾も楽しそうでキラキラ感が感じられるものでした。
ソロの演奏も静けさの中から高貴さが伝わってきそうな演奏があってそのままその音楽の世界に没入していたいような思いになりました。自分は弾かなくていいから。。。そう、消え入りたいような思いにも。
そう、私はショパンのバラード第3番を弾いたのですが、なぜかプログラムが終わりの方でした。大曲を選んだのもあったのかもしれませんね。前の方が素晴らしすぎて緊張にさらに輪が掛かってしまった状態で出る羽目に。。。今までにないようながちがちした状態。Uターンできるのならばしたいような、いつの間にかそういう弱気な思いとの闘いになっていました。しかしそれでは、これまでの数か月が水の泡になってしまいます。前回のこの会場での演奏会で弾いたラヴェルのように、止まったり暗譜が飛んで楽譜を取りに戻るということだけにはならなければよい、あとは落ち着いて弾こう、と思って弾きました。う~ん、確かに、止まりはしませんでした。しかし、呼吸はいつのまにかなくなっていたし音は外したし、まともに弾けたとは言えないような状態。
自分の演奏が終わった後は、瑞々しいパルムグレンやシベリウス、そしてドビュッシーの演奏を楽しむことができました。さりげなそうに弾かれているのですが、その背景にはたゆまない努力があるのだと思いました。
私の演奏は反省点だらけでしたが、発表会、とても楽しく温かく、しかも刺激を受けたひとときでした。限られた環境の中、本当に真摯に取り組んでいる方たちばかりで頭が下がる思いでした。声掛けして下さったKさん、そしてご一緒することが出来た方たち、有難うございました!ちょっと遠距離なのですが、また機会があれば、顔を出せたらと思っています。
そしてひとまず私は、頭を冷やして次に向かおうと思います。 音楽にじっくりと真摯に向き合う事と地道な積み重ねの大切さをひしひしと痛感した機会でもあったので。
久しぶりに読書レビュー。ユーモラスで実践的な人生啓発本。ブック○フでとても安い値段で手に入れることができて感謝感謝。
「自分を知るまで、自分を愛するまで、なんとまあ、長い時間と遠い道のりをかけてきたことか」という言葉が好きな筆者。自分を知ることの大切さ、愛することの尊さは「自分の欠点」を理解することの中で教えられるという立場で、悩みの原因、そしてその悩みの解決に合ったアドバイスを書いています。
いくつか例を挙げてみます。
いつも他人と比べてしまう人へ
いつも他人と比べてしまうのは、もっともっと自分の人生を貪欲に生きたいからです。
自分の存在を語る唯一の証は子供の頃の写真です。寝る前に幼いころの写真を見ましょう。なえた心を奮い立たせてくれます。
いつも責められていると感じる人へ
いつも責められている気持ちになる人は、大きな失敗をしない「人生の達人」です。
寝る前に、枕を思いっきり投げとばしてみましょう。きょう一日の「我慢」を吐き出すように。
何もしたくないという人へ
何もしたくないときは自分が寂しいときです。むなしさもせつなさも、自分の思い通りにならないからです。でも反対に目的さえ見つかれば、一気にそこに突進します。
休日、公園に出かけましょう。そして一日じゅう、ボーッとしているのです。ボーッとしているつもりでも、あなたはきっと何かをつかむはずです。
自分では決定ができない人へ
自分で決定ができないのは、決して優柔不断ではなくて、欲張りだからです。生きるのに貪欲なだけです。
朝起きたら、大きな声で言いましょう。「私は欲張り!」と。欲張りと認めることで心から満足するから不思議です。
私がこの本を読んでいて印象に残ったのは、悩みのもとには欲がある、ということが書かれていたことです。欲というものは人を動かす原動力にもなるけれど、認識を間違えると心をまどわせ悩みの元になりかねない。なので自分はどんな欲をどれぐらいもっているか、ということをまず自覚することが、心のもやもやから解放されるのに不可欠な気がしました。
最後にこれを挙げることにします。
むなしさに襲われる人へ
私は今まで何をしてきたのだろう、そう思った時が新たなる門出です。人は自分の危うさには敏感だから。
月に一回、大きな図書館に出かけてみましょう。あの本の一冊一冊に、その人の人生が凝縮されているのです。手でふれるだけでも、帰り道のあなたの表情は違います。
今日は横浜市内の三ツ池公園という公園に桜を見に出かけました。一見有名でなさそうに思える公園ですが、実は日本の桜100選にも選ばれる桜では定評のある公園です。とはいえ、初めて知ったところなので半信半疑で出かけました。この三ツ池公園、おそらく上野公園にも匹敵するであろう広さ、名前の通り三つの池がある上に起伏もあってミニハイキングでもできそうな雰囲気の自然豊かな素敵な公園でした。桜も少し散りかけてはいたものの、まだまだ満開の花もたくさんあって楽しむことができました。
桜を始めとし美しい花にたくさん巡り合えたのですが、今日はこちらをアップします♪
昨年紅葉の写真を撮るときに、カメラを下から上へ向けたら天井画みたいで素敵だったのを思い出し、さくらでもやってみました。今回は午前中に出かけたので朝日の光がちょっと覗いています。
それから三ツ池公園という名の通り、桜が池に面しています。種類の違う桜が隣り合わせに植えてあってカラフルでした♪
そして池の水面に向かって桜の枝が垂れているようなところがありました。水際に咲いているからこそ見ることの出来る姿だと思います。
そして近くに迫りくる花にも巡り合うことが出来ました。そういうときって本当にうれしいですね!
この花を元に絵を描いてみました。ピンク、無理やりつけているかもしれませんね、あと枝も遠景は省略しています。桜の絵を描くのは難しいのですが、折角なので描こうと思いました。久しぶりです♪
ちなみにこの投稿、桜の後に(その1)と書きました。実は続きの記事も書きたい想いがあるのでした。すっかり桜も散った後になるかもしれませんが、書けたらと思っています
先々週横浜のある街を歩いていたら、ロケットみたいな風貌の強烈な花を見つけました。この季節、カラフルな竹の子のようにも見えます。
しかしこの花、正確には花ではなくて葉っぱでした、葉牡丹なのですね!白く輝いて見えるので、一瞬花のように思えますが、葉牡丹の仲間だそうです。
二週間後ですがその葉牡丹の絵を描いてみました、透明水彩色鉛筆で描いたのですが、透明感を出すのは至難の技でした。強烈な印象を出すのには熟練がいりそうです。
ちなみにロケットのような葉牡丹の行く末が今日花見に出かけた公園で分かりました。黄色い菜の花みたいな花が咲くのですね!葉牡丹はアブラナ科の植物なのでそれはごもっともだったのですね
この季節になると紅色の大胆で丸みを帯びた花びら、そして先端が黄色い雄しべの愛らしい花を見かけます。そういう花は椿と呼ぶのだと思っていたのですが、似たような花に山茶花というのもありました。思わず写真に収めたくなるし、絵にも描きたくなる花です。
そこで早速描いてみました。この花は花弁の形から、恐らく椿のような気がしたのですがいかがでしょう。うつむき加減の表情ですがとても愛らしかったです。
そしてこの花はどちらでしょうか?上は元々の写真です、ちょっと薔薇のようにも見えますが、薔薇ではなくて、椿か山茶花のようです。さてさてどちらでしょうか?
随分白っぽいしごまかして描いている、と突っ込まれたら困るのですが、立体感と明るさを出そうとしたらこのようになりました。葉っぱの光沢を出すのも難しかったです
今日は合唱団「アニモKAWASAKI」の記念演奏会に行ってきました。ツイッターで知り合ったフォロワーさんに団員の方がいらっしゃり案内していただきました。アニモKAWASAKIは神奈川フィルハーモニー管弦楽団特別演奏会の合唱担当として川崎市合唱連盟が川崎市からの要請を受け、連盟加盟団体より選抜された精鋭たちとオーディションに合格したメンバーにより結成された合唱団で、毎年東京交響楽団とともにクラシックの合唱曲を演奏してきました。今回はその公演の15回目の記念演奏会でした。出演は音楽監督・指揮:堀俊輔、ソプラノ:馬原裕子、メゾソプラノ:富岡明子、テノール:鈴木准、バリトン:青山貴、オルガン:藤井美紀、合唱:合唱団「アニモKAWASAKI」、管弦楽:東京交響楽団でした。
曲目は
シューベルト作曲 未完成交響曲 ロ短調 D.759
モーツァルト作曲 レクイエム ニ短調 KV.626 ジュスマイヤー版
シューベルトの未完成交響曲は東京交響楽団のみの演奏でした。チェロとコントラバスの地の底から出てくるような旋律から印象的、美しく憂いに満ちた音楽に溢れていてとても充実した内容だったのですが、睡魔に少し襲われてしまい第2楽章のある箇所でうつらしてしまいました。本当にもったいなくて申し訳なかったです。実はこの未完成交響曲、私にとっては睡魔を誘う曲の上位になっておりまして最後まで睡魔に負けずに聴けたことがないような気がします、精神性の深い名曲だと思いながらこういう状態、恥ずかしい限りです。今度こそ睡魔に襲われることなく心から堪能したいです。
モーツァルトのレクイエムでは気分をがらりと切り替えました。モーツァルトのレクイエム、音源や映像で数回聴いたことがあるのですが生で聴くのは初めて。どんな音楽を体感できるのかわくわくしていたら、スポーンと抜けるような勢いのある合唱も含めた情熱的で熱い出だしでたちまち惹きこまれました。すごいものが始まりそうだというわくわく感でいっぱいに。場面に応じてソロになったり合唱になったり、しかも各パートの参加の仕方にも変化が見られたりしていました。目で見ることができたのでその変化を視覚的にも味わうことができました。東京交響楽団の管楽器の方も上手でトロンボーンのソロの部分も美しかったです。合唱の部分では静かなところと入り組んだフーガのようなところのめりはりがはっきりとしていて、フーガの所は立体的で心にぐいぐい迫ってくるような音楽でぞくぞくしっぱなしでした。合唱団のメンバーさん、暗譜で歌われていたのですがあんなに美しく構成のしっかりした彫刻を思わせるような音楽を作られていてただただ脱帽、お見事でした。今もレクイエムのフーガの部分が頭の中を駆け巡っています。歌詞は聴くだけではつかめなかったのでプログラムに掲載してあった歌詞の部分を手でなぞりながら聴いていましたが、歌詞の意味も聴くだけで理解できたらもっと深く聴けただろうなと思いました。
言葉ではうまく言い表せていないのですが素晴らしい演奏会でした。同行した友人も見事な演奏に心うばわれていました。本当に素敵なひとときを過ごすことが出来ました。有難うございました!
春が近づいています。花が美しくなる季節です。そこで折角なので花の絵を描きたくなりました。絵の方はすっかり腰が重くなっていたのですが、描きだすと楽しいものですね♪
薔薇の花です。少し前に買ってきて花瓶に生けました。
パンジーです。道端に可愛らしく咲いていました。写真の助けを借りましたが。。。いいことにしますm(__)m
アンドラ―シュ・シフのピアノリサイタルに行ってきました。今まで私はシフの演奏についてはメンデルスゾーンの無言歌やバッハのイギリス組曲のCDをときどき聴いていて好感を抱いていたものの、集中して彼の演奏を聴く、ということは実はあまりありませんでした。しかし、何といっても有名なピアニストの一人、来日してしかも県内の音楽堂で演奏するとなればこんなに有難い話はないということで聴きに行くことにしました。
会場は神奈川県立音楽堂、初めて出かけたところだったのですが、古き建物で大きな公民館みたいなのどかな雰囲気がただよっていました。木のホールとある通りステージは木で囲まれていて、ピアノはスタインウェイでした。
演奏曲は以下の通り。
メンデルスゾーン作曲 厳格な変奏曲 ニ短調 Op.54
シューマン作曲 ピアノソナタ第1番 嬰ヘ短調 Op.11
休憩
メンデルスゾーン作曲 幻想曲 嬰ヘ短調 Op.28「スコットランド・ソナタ」
シューマン作曲 交響的練習曲 Op.13 (1852年改訂版)
アンコール
メンデルスゾーン作曲 無言歌より Op.19-1甘い思い出、Op.67-4紡ぎ歌
シューマン作曲 アラベスク
シューマン作曲 子供のためのアルバム より 第10曲 楽しき農夫
バッハ作曲 ゴルドベルグ変奏曲BWV988 より アリア
バッハ作曲 イタリア協奏曲BWV971 より 第3楽章
厳格な変奏曲の出だしからホール全体に音が立って響いてきました。本当に曲の髄まで吸収し納得できるところまで妥協せずに追求し正面から向き合って取り組んだ深遠で厳粛な音楽がそこにはありました。この曲を演奏するまでにシフはとことんメンデルスゾーンと対話し熟考しながら練習し丁寧に取り組んできたというのが感じられるような演奏でした。
シューマンのピアノソナタ第1番は激しく疾風怒濤のような雰囲気あふれた第1楽章に対して、第2楽章の出だしのピアニシモの美しさにぞくりとしました。ピアニシモ、ダンパーペダルも使っているような気がしたのですがまるで天国のベールのような幻想的な音。それに対して他の部分ではペダルによる濁りがほとんどありませんでした、どんなに音符の動きが細かくても、一切濁りがなくどんなに小さくて繊細な音でも粒の表情が感じ取れたというのは本当に凄いことだと思いました。それ以降の楽章、そして他の曲でもそうだったのですが、メロディーがしっかり引き立てられていたとともに、伴奏部分の一音一音にも最新の注意が払われていて、方向性や強弱も含む表情が感じ取れました。レッスンでも伴奏形は旋律部分の背後に来るのではなくしっかりと組み込まれて引き立たせたり、ときには音楽の流れを作ったりもする、という話を聞いていたのですが、まさにそれを演奏で実現していて見事だと思いました。
休憩後はメンデルスゾーンの幻想曲「スコットランドソナタ」でした。哀愁にあふれた第1楽章の始まりから細やかなベールのようなアルペジオが美しくその後の切なさに溢れた語りかけそして怒涛のように流れゆく音楽が印象的でした。第3楽章の光がさすようなところからは情熱がほとばしり溢れていくような感じがして永遠なる音楽の世界に連れ去られそうな感じでした。メンデルスゾーンの作った音楽には一音たりとも無駄がない、それは事実だと思うのですが、それを再認識させてくれるような演奏でした。
プログラムの最後はシューマン作曲の交響的練習曲!この演奏を聴けたのは私にとって宝のような経験でした。最初のテーマは短かったのですが息が長いフレーズでしっかり聴かせてくれました。そしてそれぞれの変奏を聴いていて感じたのは、ここでこう来るか、というような再発見をしたような気分になる内声の扱い方でした。旋律だけではなく特に左手で演奏しているのではと思われる内声部分の浮き立たせ方が独自でしかも美しく、テーマとうまく絡み合い音楽も深みが増していたような気がします。しかも反復部分では内声の引き立たせ方にも違いがあって、一度目はしっかり、二度目は軽くというような音量配分の工夫もありました。 (アンコール曲のアラベスクにもそのようなところがあって、ここにこんなメロディーがあったのかとはっとするような思いになりました)
そして交響的練習曲フィナーレには魂を持って行かれそうになりました。華やかな音楽でありながら適度な抑制が聴いていてとても洗練されていました。特にすごかったのは華麗に場面転換するこの部分
の出だしの音!小さいのです、おそらくPでしょう、ぞくりとか美しいとかという言葉だけでは足りないような、体や心の奥底にまでたちまち入り込みとろけてしまいそうな、そんな音でした。ピアノはこんなに美しい、艶めかしい音も作りだせるんだ、という驚きを感じたとともに、この音の再現が出来る人は他にはいないだろう、と思えるような音でした。ちょっとワルの雰囲気もあったかもしれません。。。シフ氏の人間臭い素顔がこの瞬間顔をのぞかせたような気がしました。
プログラムが終わった時点で彼の音楽にすっかり酔っていたのですが、サービス精神旺盛なアンコールがまたまた素敵でした。小曲ばかりだったのですがこの曲はこんなに美しかったのだろうか、そしてこんなところにこんなメロディが隠れていたのかということを発見させてくれるような演奏ばかりでした。傑作だったのがシューマンの楽しき農夫。子供の頃、つまらないと思いながら練習していたのですが、彼が弾くとあんなに命のこもった感動的なものになるのですね。そしてノンペダルのイタリア協奏曲も見事でした。ペダルなしでもタッチ次第であんなに柔らかく瑞々しい響きが出せるのですね。その背後には徹底的な楽曲分析と楽譜の裏の深いところまで突っ込んだ解釈、そして細かいところまで心の配られた練習があるのだろうと思いました。非常に感動的で学ぶところの多かった演奏会でした。曲が終わるたびに手を合わせてお礼をしていたところも音楽への敬意が感じられました。終了時にはスタンディングオベーション状態でした。
アンドラ―シュ・シフ氏、はじめに書いたように、私はそこまで彼の演奏を音源で聴いていたとは言えなかったのですが、一度の演奏会ですっかり心をうばわれ、次の来日時にも行きたい、と思うようになりました。本当によき演奏会でした。
雪の日に本番があり一度ステージで弾いたショパン作曲のバラード第3番、もう一度人前での本番で弾くことにしたのでやり直しているところだ。先日のレッスンで特に指摘のあった点は
1.どのような音を出すかしっかり準備してから出す
2.フレーズの終わりの部分ではまとまるように
3.打鍵は上から下へと打ち込むのではなく、下から上へ重心をしっかり乗せて
1.と2.についてはこの楽譜から
165小節目からますます緊迫した雰囲気に向かっていくところなのだが、この部分は左手が旋律を担っている。水色で囲んだ音は決して無造作に出さずに出す前に鍵盤の前に指を持ってきて望む音を出すために頭も指も準備しておく必要があるとのこと。したがってその前の八分休符から音を出すまでの瞬間で指を次の音の鍵盤の上に持ってきてフォームも作っておくのが望ましい。インテンポだと気を付けたつもりでも無意識の音になりやすいので、あえてものすごくゆっくり弾いている。
それから赤い曲線と①②③という番号を付けた部分は、フレーズの終わりなのでまとめたい部分、自分では意識して終わらせていたつもりだったが、ぶつりと切れていたり、終わりの音がなおざりになっていたりと、こう聴こえてほしいという音からかけ離れていたという状態になっていた。しかも①では最後が和音になっていて思わず尻餅をついた感じになりやすく、②ではオクターブ移動まで入るために前の音と同じフレーズではなくプつりと切れた感じになりやすい。ファ♯の一度上の位置にあればフレーズとしてもおさまりがよく弾きやすいのにと思うのだがしっかりオクターブ下にきている。そこをぶつ切りではなくてまとまりのあるように聴かせるためにはどうしたらよいものかと思う。このように敢えて弾きにくくしているショパンの意図はどこにあるのだろう、とふと思う。③の部分は②よりは納得いく感じだがそれでも最後のソで素っ頓狂な音にならないように、と思う。 そのフレーズの終わりの直前の音と終わりの音の間、まとまりをつけたいとはいえども、指を離さなければまとまりがつくというほど単純な訳ではなく、②や③では物理的には指を離しても柔軟な手首でフレーズを感じるように弾けばつながった感じで聴こえるようだ。そのようなこともあるからなかなか奥が深い。
実は伴奏形の右手も無駄な動きが多かったとのこと。親指と人差し指の間の水かきをもっとうまく使い、人差し指の動きを生かし位置に心を配ればさらに省エネが出来る上に響くようになるとのこと。そして今の私の指の筋肉はまだまだ硬いとのこと。脱力脱力と言われるが、その前に、指が伸びるように柔軟性をつけることが大切だということが分かってきた。これからはストレッチ、こつこつしたほうがよさそうだ。
そしてここに載せた楽譜の直後の部分である173小節目からは右手左手とも音をしっかり響かせたいところだが、そこで思わず上から打ち込んだ音になってしまわないように。打ち込んだ音は大きな音が出ているようで実は遠くまでは聴こえない響かない音とのこと。打ち込んだ音か、それとも下から上へと伸びた響く音になっているか、二音を比べた状態ではなくて、自分でその音のみを弾いている状態でも聴き分けられるようになりたい。
そのような練習をしていたら時間はすぐにたつのだが、自分でそれらのことができるようになったか、という確認がしにくいために、練習の達成感がいまいちないのだった。その場で的確にチェックできるような耳と感覚がほしい。
今日は弦楽四重奏団の演奏を聴きに行ってきました。クァルテット・ソレイユという溌剌とした弦楽四重奏団のアンサンブルでした。
曲目は
ドビュッシー作曲 弦楽四重奏曲Op.10
西村朗作曲 弦楽四重奏第2番 光の波
シューベルト作曲 弦楽四重奏曲第14番ニ短調 『死と乙女』D810
弦楽合奏だけのアンサンブルは今までなぜか縁がなく、生演奏を聴きに行ったのは今回が初めてだったような気がします。今回はピアノの先生が声をかけて下さり、折角の貴重な機会だからということで行くことにしました。
演奏前にリハーサルも見学することができたのですがそれぞれのメンバーさんたち、一音一音にこだわり、納得できるものに仕上げようと意見を出し合っていました。弓をどのように扱うかという話などもしており、音を出し合ってこれでよいか細かく確認し合っていました。
本番開始直前にレクチャーがありました。ドビュッシーの弦楽四重奏曲の共通しているテーマや、西村朗の光の波で用いられる独特な奏法の一例など、その後の演奏が楽しみになるような内容でした。
そして本番。演奏者の方が書いて下さったプログラムの解説も少し引用しながら書きます。なにしろ三曲とも知らないで行ったのです(^^ゞひどい聴衆です。
ドビュッシー作曲 弦楽四重奏曲Op.10
この曲はドビュッシーが残した唯一の弦楽四重奏曲なのですね、インパクトが強く迫力と臨場感のあふれるテーマで始まりました。牧神の午後への前奏曲とほぼ同時期に書かれ、音楽で絵画のような色彩を表現するきっかけとなった曲だということですが、音楽から原色の雨を感じさせるようなカラフルな色が見えてきました。しっとりとした湿気が感じられるひねった響きから弓の細やかな操作からうまれるはっとするような細やかな響きまで本当に多彩で濃厚な音楽でした。
西村朗作曲 弦楽四重奏曲第2番 光の波
現代音楽の演奏で世界的に有名な弦楽四重奏団「アルディッティ・クァルテット」が「非常に演奏が難しい曲を作ってくれ!」と頼んだ結果作られた曲。まさにその通りのようで、フラジオレットという笛の様な音や、スル・ポンティチェロというキイキイいう音や、打楽器のように叩いたと思われる音など、様々な特殊奏法も駆使したすごいものでした。異様でミステリアスな雰囲気で始まりました。虫がぶんぶんと飛んでいるような雰囲気から、だんだん暖かく、そして熱くなってきてなんとなく熱帯の楽園のようなイメージ、楽譜にはどのように書かれているのかと思えるような弦楽器同士のずれぐあいが絶妙でした。ぐちゃぐちゃなようで世界がちゃんと出来ていて、クライマックスと思える部分では、インドネシアのケチャの儀式と思えるような (解説にありました)躍動感の溢れた踊りの音楽もあり、聴いていて血が騒ぐようでした。調性もこれといったメロディーもなかったようなのですがとても魅力的な世界が繰り広げられていました。メンバーさんたちの集中力もただならぬものがありました。まさに本番では徹底的に向き合うプロの姿勢だと。本当に貴重なものを聴かせていただいたという感じです。
シューベルト作曲 弦楽四重奏曲第14番ニ短調 『死と乙女』D810
15曲残されたシューベルトの弦楽四重奏曲で最も有名な曲だと言われていて、第2楽章のテーマに同名の歌曲のピアノ伴奏部分を用いていることから、「死と乙女」というタイトルがつきました。題名からも、そして全楽章単調であるということからも、重くて恐ろしい曲なのでは、と思っていたのですが半分当たり半分外れた印象でした。確かに出だしの激しさ重さは主人公が迫りくる何かと闘っているような雰囲気で、重く悲しい情景が曲全体を覆っていたのは確かでした。しかし古典的な調性感に収まっているため、激しいけれどもどうしようもなくぞっとするような感じはなかったです(むしろドビュッシーの新しい響きの方が私にはぞっとしました)そして第2楽章や第3楽章で顔をのぞかせる長調の部分の歌心と透明感あふれた美しさがたまりませんでした!まさにこれぞシューベルト、こんなに美しくていいのでしょうか。曲全体から見たらほんの一部分にすぎないところかもしれませんがそこの美しさにすっかりはまった私。第2楽章だけでも抜粋して何度でも聴きたい思いです。第4楽章は激しかったですね、追い立てられているような感じで死神が疾走するという喩えが当たっているのかもしれませんが急速な動きの中に見られた目くるめくような、そして物語を感じさせられるような場面の変化の鮮やかさにほれぼれしてしまいました。難しいと思うのに、音程もばっちり息もぴったり。本当に、素晴らしい演奏でした。
弦楽器は音がでる弦の部分が表に出ているため、音楽が舞台前面から勢いよくでてきているような気がしました。弓の方向や微妙な動かし方や楽器の角度によって出てくる音、そして方向性や動きが異なり、音のパレットが実に多く、音楽そのものを作り上げるという楽しさもたくさんありそうな気がしました。しかし、そこまで楽しめるようになるまでに気が遠くなるような積み重ねがあったのだと思いますが。フレーズや音の表情づくりの面でピアノでも生かしたいと思えるところがたくさんありました。それとともに生演奏ならではの臨場感も体全体で感じることが出来ました。本当に貴重な機会でした。
(ちなみに来週もクァルテット・ソレイユの演奏会があります。2014年3月10日(月)19:00開演で横浜市鶴見区民文化センターサルビアホール3階 音楽ホールです。曲目は今日とは異なっています。ベートーヴェン、リゲティ、メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲です。)