2005年4月で仕事もひと段落したその後、比較的楽なグループの課長に部内移動。
仕事は平和でずいぶん気分も楽になり、薬も徐々に減らして6月ごろには薬無しで元気に仕事が出来るようになります。
時々不安感に襲われることはありましたが、抗不安剤のコンスタンで抑えることができ、ようやく正常な生活に戻れました。しかし、それもたった半年だけ。
2005年10月に、部内の別の課長が病で倒れ、代わりに私が後釜に任命されます。
業務命令では仕方ないのですが、移動してみてびっくり。
ぐちゃぐちゃな状態のプロジェクトが2本もあり、しかも内1本は客先トラブルで大問題の状態。
連日深夜までの仕事が続き、たちまち病状がぶり返し、強い不安感と憂鬱感でまた通院して薬を飲む羽目になります。
一時は14日間連続で毎日深夜(時々徹夜)の業務で、この時は自殺してしまうのではないかと感じてしまいました。
半年後の2006年4月ごろにはようやく峠を超え、通常の状態に戻ったのですが、何とか休職せずに耐えることが出来たのは、協力して対処してくれた直属上司の副部長や支援してくれた部長のおかげもありました。
その後、2006年度いっぱい(2007年4月まで)は忙しいながら何とか薬も減らし、最終的には飲まなくて済む状態まで復帰。
しかし、更なる地獄が2007年4月以降に待ち受けていたのでした。
仕事は平和でずいぶん気分も楽になり、薬も徐々に減らして6月ごろには薬無しで元気に仕事が出来るようになります。
時々不安感に襲われることはありましたが、抗不安剤のコンスタンで抑えることができ、ようやく正常な生活に戻れました。しかし、それもたった半年だけ。
2005年10月に、部内の別の課長が病で倒れ、代わりに私が後釜に任命されます。
業務命令では仕方ないのですが、移動してみてびっくり。
ぐちゃぐちゃな状態のプロジェクトが2本もあり、しかも内1本は客先トラブルで大問題の状態。
連日深夜までの仕事が続き、たちまち病状がぶり返し、強い不安感と憂鬱感でまた通院して薬を飲む羽目になります。
一時は14日間連続で毎日深夜(時々徹夜)の業務で、この時は自殺してしまうのではないかと感じてしまいました。
半年後の2006年4月ごろにはようやく峠を超え、通常の状態に戻ったのですが、何とか休職せずに耐えることが出来たのは、協力して対処してくれた直属上司の副部長や支援してくれた部長のおかげもありました。
その後、2006年度いっぱい(2007年4月まで)は忙しいながら何とか薬も減らし、最終的には飲まなくて済む状態まで復帰。
しかし、更なる地獄が2007年4月以降に待ち受けていたのでした。