原発被災地フクシマをボランティアガイドします。 (主に相馬から富岡間をご案内します)

原発の爆発のため周囲の環境はどう変わったか、是非、現地に来てご自分の目で確かめてください。そのお手伝いをします。

JDF支援センターの解散!……されど課題は山積み!

2016-10-18 | 画像

JDF支援センターの解散!……されど課題は山積み!

 

 2016年6月、東日本大震災発生後、県内の被災した障害者の支援を目的として、2011年3月に発足した「JDF被災地障がい者支援センターふくしま」(以下支援センター)が解散した。支援センターは、発足当時から5年にわたり、支援物資の供給や避難した障害者の要望を聞く調査活動、事業所へのボランティア派遣、交流サロンの設置、新たな商品開発と販売など多岐にわたる活動を展開してきたが、当初の役割を終え解散することになった。最後の仕事として避難生活を続けている障害者の実態調査と事業所等の課題を載せた冊子を発行した。

 支援センターには、県内の障害者団体がかかわっていたが、震災後5年経過した今でも、「課題は山積みだ」という指摘はされていたが、今回の冊子からその具体的な課題が読み取れる。その中から、福島原発事故の影響を色濃く受けた南相馬市で生活している障害者の実態調査の結果を観点を絞って紹介する。(南相馬市の実態調査は、アンケート方式で実施し、約150名から回答が寄せられている。)

 まず「住まい」では、震災後3割の人が場所を変え、その中の4割の人がグループホームで生活をしている。さらに、全体の3割を超えた数の人が、今後も住まいが変わる可能性があると回答している。その内の1/4は、今だに「仮設住宅」「借り上げ住宅」(期間が限られている住宅)で暮らしている。

極めて、不安定な住宅事情が推察される。

 また、「交通手段」としてのバス路線の復旧が遅れていたり、縮小されたりしており、障害者や家族のための移動手段が限られてきている状況も報告され、生活のしにくさを助長している。

 「家族関係」では、震災・原発事故前の状況と比べ、全体の36%の人たちが、家族構成数の減少があった。3人以下の家族が61%を占め、小家族へと家族構成が変化してきた。以前は、5人以上の大家族の中で支えあい暮らしていた障害者は、福祉的な支援がなければ生活していけない状況にある。

 こうした生活環境の変化にともない、今の暮らしについて「大変さ」を感じている人の割合が45%おり、その原因として3/4の人が「健康の不安」を上げている。

 「仕事」では、仕事量の少なさや賃金の少なさが顕著であり、生活の豊かさを支える基盤が損なわれている。全国から支援を受け、独自製品を開発し仕事量や賃金を確保してきたが、少しずつ先細りの状態になってきており、新たな仕事探しを試みる時期にさしかかっている。

 実態調査の報告のまとめでは、「地域の中で障害者やその家族の暮らしを支えていく仕組みを中心施策としてすすめていく確固たる方向性を打ち出す時期に来ています。そのことを実現させていくために、福島県や国の思い切った手立ても必要です。」と結んでいる。


帰還困難区域の交通事故に思う。

2016-10-18 | 画像

ゴールデンウィーク中の5月4日の夜9時前、福島県大熊町の常磐高速道路で乗用車と高速バスが正面衝突する事故があった。乗用車に乗っていた方が亡くなり、バスの乗客40人が軽いけがをしたという事故だ。

ところで、この場所は線量が高い「帰還困難区域」での事故なのです。この高速道路を走るためのルールは、走り続けること、窓を開けないこと、バイクは通行禁止・・・それだけ線量が高いということだ。もちろん、大熊町は近くに人が住んではいないし、病院もない。

あるテレビ局が、その事故に関して、東日本高速道路の伝える対応として「車を降りてガードレールの外など安全な場所に避難すること」「路肩などでは放射線物質がたまりやすい茂みや水たまりを避けて待機し」「駆け付けた交通管理隊員に空間線量を確認すること」と呼びかけたとのこと。

交通事故と言う、混乱した現場で、ともかくバスの外に避難しても、その路肩は、「降りてはいけない」高線量の所。冷静に対応できるのか。空間線量を確認しても、いったいどう身を守るのか。5分や10分でそこを離れることができるならまだしも、乗客を避難させるための代替バスがすぐ到着するわけではない。実際救急車もいわき市から駆け付けた。

しかし、この事故については、ゴールデンウィーク中に起こったあれこれの事故として、主に、対面交通の高速道路の危険性が大きく報道されたように思うのだが・・・