Sleeping Sound with Swinging Sounds

Diary of a Japanese graduate student.

留学で私は何を学んだのか

2005-12-17 02:39:39 | イギリス生活
 先日、来月末締め切りの、卒業論文の構想をゼミで発表した。この数ヶ月というもの、アルバイトとサークルで本当に忙しく、報告は2日間で書き上げなければならないはめに陥った。そのため、ある程度予想はしていたものの、先生やゼミのみなさんにこっぴどく批判された。大学に入って一番批判された日だったかもしれない。

 批判された点は主に2点。1点目は、報告の内容の曖昧さ。2点目はより根本的なことで、私自身の問題意識の短絡さに対してであった。

 1点目の批判については、ある程度覚悟はしていた。急ごしらえのやっつけ仕事で、卒論の全体像も示さずにいきなり序章と第1章に取りかかったものだから、書きながら自分でも「この内容じゃ卒論の全体像、私が何を問題にしたいのかが、他の人にはよく見えてこないだろうな」と思っていた。様々な分野を研究する人が集まるゼミ発表の場というのは、研究の具体的内容についてうんぬんするよりも、発表者の問題意識と、研究課題に対しての方法が主な論点となる。しかし今日の私の発表は、テキストに書いてあることをまとめただけのいわば「お勉強ノート」であった。だから「教科書的だ」、「何をどのように書いていきたいのかが見えてこない」といった批判を頂いたのも当然といえる。これらはどれも的を射た批判であり、もっと私自身の問題意識と、卒論の全体像をレジュメ形式でも良いから、前面に打ち出した報告にするべきだった。

 その後「で、君の問題意識ってのは結局何なの」といった質問に話が及んだ。ここで私は口頭で私の問題意識と具体的な研究の方法を説明するはめに陥ったわけだが、それに対して厳しくなされたのが第2点目の批判だった。ここでは自分の問題意識と研究内容と方法が、それぞれことごとく批判された訳で、よりショックは大きかった。ゼミの後はかなり落ち込んだが、考えを整理するためにも、そのことについて考えなおし、ここに書いておく必要があると思う。今の私の問題意識というのは、主に去年1年間のイギリスでの留学経験で形づくられたものだ。だから自分でも納得のいく卒論を書けるようになるために、まずあの留学経験を、もう一度振り返って考える必要がある。


 私は昨年の夏から今年の夏まで1年間、イギリスの大学で勉強する機会を得た。それまでも一応社会学部に在籍して社会学を勉強するという身分ではあったものの、ゼミでしばしば扱われる格差とか貧困とか、そういった概念が、今ひとつ自分にはピンと来ていなかった。社会学的なセンスが自分には無いのかもな、と悩みつつも、勉強自体は好きだったので、就職よりも大学院に進学するつもりでいた。そんな折に、1年間の留学といういわば「猶予期間」を与えられたわけで、留学すれば何かつかめるかもしれない(英語力も身につくし)、といった漠然とした思いと共にイギリスへと渡ったのである。

 単位取得の義務が特に無かった私の留学生活は、そこそこ本を読んだり授業に出たりしてそれなりに勉強しつつ、友人たちとパブで酒を飲んでいた1年間だった。こうした点はあまり日本での生活と変わらなかった。でもそんななかでも、イギリスの、とりわけ私が住んだバーミンガムという街のようすは、私のような社会に対する感覚が鈍い人間にとっても、なかなか考えさせるものがあった。

 あれは留学して間もない頃だった。街の中心部から少し離れた界隈をあちこち散歩していたら、パキスタンやインドといったアジア系の人々が住む地域に偶然立ち入った。そこは私が通う大学キャンパスの周りの、白人の人々が住む一軒家が立ち並ぶ小綺麗な地域とは、まるで正反対で、狭い家が密集し、道はごみや雑草で溢れた、とても貧しい地域だった。人々の身なりや服装も明らかに違う。あちこちに固まっている子どもたちや、すれ違う中年男性が、みなこちらをじろじろと見てくる。歩きながらとても緊張している自分がいた。

 その時はイギリスがこんなに移民の多い国だったとは知らなかったので、たくさんのアジア系の人々が住んでいるということに、まずとても驚かされた。でもそれ以上にショックだったのは、そうした人々の身なりや住まいや生活のレベルが、キャンパスにいる学生たちやその界隈に住む人々のそれと、余りにもかけ離れているということだった。上にも書いたが、日本にいた時はそういった格差の存在がよく実感できなかったので、イギリスでそうした現実を目にしたことは、無知な私には大変な衝撃だった。次回に続く。