Sleeping Sound with Swinging Sounds

Diary of a Japanese graduate student.

水俣病公式確認50年

2006-05-02 03:08:49 | 映画・小説・漫画・音楽・時事ネタなど
昨日5月1日は、水俣病の公式確認50年の日だった。水俣病は私が生まれるずっと以前に発見された事件だが、いくつか新聞を読み比べて分かってくるのは、水俣病の問題がいまも全く終わっていないということだ。多くの患者の人々の苦しみも、加害企業のチッソや政府による謝罪・補償問題もすべて、今も変わらず存在し続けているということが分かる。

とりわけ今も根強い水俣病患者への差別や、認定申請を踏みとどまらせる要因でもある障害に対する偏見の問題を考えると、水俣病はすぐれて現代的な問題であることが分かる。1日付朝日新聞の「私の視点」では、小規模通所授産施設代表の加藤たけ子氏による「水俣病問題を社会福祉の先進モデル構築のために生かすべき」との議論が紹介されていた。


「(発症当時胎児だった)胎児性患者は(現在)40代から50代になったが、通常の加齢では考えられない急速な身体機能の低下が目立つ。・・・全身に及ぶ重い障がいを負いながら、介護は高齢化する家族に委ねられ、地域で半孤立状態になっている。・・・ 地域に福祉施設がないわけではない。偏見と差別を背景に人との信頼関係が持てなくなり、そうした専門機関とつながっていけないところに水俣病の根深さがある。・・・対策の基本的方向は、住み慣れた地域で、人々とのつながりの中で暮らしていくことができる社会的条件=地域福祉システムをつくることである。具体的提案として、いつでもだれでも、通えて泊まれ、相談にのってくれる人がいる場が必要である。働くことを中心に創造的な活動に取り組める場、仲間や地域の人との交流の輪を広げる場であり、生活の場としてのグループホームもある。自宅に顔なじみのヘルパーを派遣したり、介護で疲れた家族を癒したりすることも必要だ。こうした多機能で小規模な施設が地域に開かれてほしい。行政はいまこそ、水俣病の教訓を生かし、社会福祉を具現化した先進モデルとなる地域づくりに貢献することが求められている。」(5月1日付朝日新聞朝刊「私の視点」より)


ここで挙げられているモデルはもはや水俣病問題にとどまらず、他の身体的・知的障害者に対する福祉サービス問題や、高齢者介護問題、ホームレスの自立生活支援問題など、いわば社会福祉一般にも関わってくる事柄である。水俣の問題と向き合うことなくして、21世紀の日本社会における福祉の充実は願うべくもないだろう。

ちなみに先月28日、小泉首相は水俣病について「政府の責任を痛感し、率直にお詫びしたい」との談話を発表したそうだ。


「政府は28日、5月1日で水俣病の公式確認から50年になることを受け、「長期間にわたって適切な対応をなすことができず、水俣病の被害の拡大を防止できなかったことについて、政府としてその責任を痛感し、率直にお詫(わ)びを申し上げます」として政府責任を認める首相談話を発表した。 首相談話では「このような悲劇を二度と繰り返さないために、その教訓をいかし、環境を守り安心して暮らしていける社会を実現すべく、政府を挙げて取り組んでいく決意」を表明している。」
(記事全文はこちら

言葉通りの実行責任が伴っていることを願いたい。しかし下のような記事を読むと、そんな願いもむなしくなってくるが・・・。


「…石綿に目を転じると、石綿工場周辺で、石綿関連がんの中皮腫にかかった「公害」とみられる患者の数はこれまでに100人を超えた。潜伏期間が30~50年と長い中皮腫は、2040年までに10万人が死亡するとの予測もある。水俣病に学び、行政が初期対応をきちんとすれば、被害はここまで広がらなかった可能性が高い。
 旧環境庁が発足したのは、水俣病公式確認から15年後の71年。その翌年、国際労働機関(ILO)などで石綿の危険性が指摘された。旧労働省や旧環境庁もその危険性を認識していた。だが原則禁止は04年10月まで遅れた。…(中略)…被害が広がり始めてからの動きも鈍かった。国が石綿対策に本腰を入れたのは、兵庫県尼崎市のクボタ旧神崎工場周辺での事態が昨年6月に報道されてからだ。」(記事全文はこちら


いっぽう民主党は「水俣病被害救済特別措置法案」(仮称)の制定をめざしているそうだ。内容は患者の認定基準を拡大して、国による補償額を引き上げるもので、早ければ秋の臨時国家で法案を提出するとのこと(5月1日付毎日新聞朝刊社会面)。野党にはこの問題をもっとクローズアップして突いていってほしい。

ラルク・アン・シエルと私

2006-04-29 00:45:19 | 映画・小説・漫画・音楽・時事ネタなど


中学・高校生の頃、一番好きだった音楽バンドの1つにラルク・アン・シエル(以下ラルク)がいた。今日、2005年にリリースされた彼らの一番新しいアルバム「AWAKE」を買い、久しぶりに彼らの音楽を聴いてみた。これがとても良かった。私のなかで、高校生の時以来の、第2次ラルクブームが来そうな予感がする。

私がラルクの音楽を初めて聴いたのは、ファンの間で最高傑作との呼び声高い、4枚目のアルバム「True」(1996)だった。その後は、より初期のアルバムへと遡って聴いていき、その叙情的な雰囲気に惹かれて一気に彼らのファンになった。16~17歳の頃は、上記「True」までの4枚のアルバムを、それこそCDがすりきれるほど聴いていた。



私が高校生だった1998-2000年は、ちまたでもラルクの人気は絶頂期を迎えていた。3枚同時にシングルCDを出したり、2枚同時にアルバムを出したりして、ヒットチャートの上位を席巻していた。しかし「初期の頃が好き」という私のようなファンにはありがちなことだが、その頃に出た彼らのCDは、初期の作品ほどには私の好みではなかった。多くのバンドについて言えることだが、売れ始めるとより万人受けする音楽になってしまい、バンドの個性が薄まってしまう。ラルクについては、初期の個性であった叙情性や幻想性が薄まり、より「売れ線でキャッチーな」作品が増えてきたように思えた。

それでも同時発売された6、7枚目の「ark」と「ray」(1999)までは、初期の叙情的要素とそれ以降の「売れ線」要素が、アルバムのなかでそれなりにうまく調和されていたように思えた。しかし2000年に出た8枚目のアルバム「REAL」では、その2つの雰囲気が悪い具合にちぐはぐに出てきてしまい、アルバム全体の統一性が損なわれてしまった印象を受けた。そのため「この曲は聴くけどこの曲は飛ばす」的な聴き方になってしまったし、ラルクがいったい何がしたいのかも、よく分からなくなってしまった。

私自身はその後大学に入ってアカペラを初めてからは、アカペラやソウルなどの音楽を、また1年間イギリスで暮らしときはUKロックをそれぞれよく聴くようになり、しばらくラルクからは離れてしまった。ラルク自体もまた音楽的に行き詰まりを感じていたのか、上記「REAL」を出して以降は、活動を長期間休止するようになった。その後、約4年間の休止期間を経て2004年に復活したと風の噂には聞いていたが、その時に出た9枚目のアルバム「SMILE」の評判もあまり良くなく、私自身もラルクを再び聴くには至らなかった。

しかし昨年に出た冒頭の「AWAKE」は、「かなり良い出来」とか「原点に帰ったようだ」といった好意的な意見を聞いていた。たまたま今日そのCDを買ったわけだが、評判通り、ラルクの良さを再確認させてくれるような、とても充実した内容のアルバムだった。まず各メンバーの演奏技術の高さに、改めて感心させられた。また各曲のクオリティーが高く、何度聴いても飽きない。そして大ヒットしていた頃のキャッチーさと、初期の頃の叙情性がうまい具合に合わさり、アルバム全体を通して、非常に完成度の高い作品に仕上がっている。

自分が十代の頃に好きだったバンドの新作に久しぶりに出会い、その良さを味わうことのできた今日の体験は、何か古い友人と再会できた時のような、そんな懐かしさと嬉しさを伴うものだった。ラルクを友に、今夜は安眠といこう。

ある車内の出来事2

2006-04-17 23:22:17 | つれづれなる日本の日々
いま1日に平均2時間くらい電車に乗っている生活を送っているので、色々な種類の人々に出くわす。今日はそんな「車内での出来事」パート2。パート1はこちら

バイトの帰り、夜9時頃だろうか。比較的空いている車内に15、6歳の少年が3人乗ってきて、私の向かいの席に座った。3人とも髪の毛を金色や茶色に染め、ピアスにズボン腰履きと、一見して不良だと分かるいでたちだった。顔には幼さが残るものの、5人がけの席に3人でふんぞり返り、かなり大きな声で卑わいな話を始めた。彼らのそばに座っていた若い女性は、身の危険を感じたのか違う車両へ移っていった。私も彼らと目を合わせないようにと寝たふりをした。

そのうちに彼らの中で会話の主導権を握っていたリーダー格とおぼしき少年に、携帯電話がかかってきた。電話の相手は年上らしく、少年はそれまでのぞんざいな口ぶりから一転して、下手な敬語を使って話し出した。

「12時までですか?」「いや、それはちょっと・・・」

会話の断片から、少年が困っている様子が伝わってきた。興味を引かれたので寝たふりをしながら聞き耳を立てたが、残りの2人の会話がうるさくて、なかなか聞き取れない。しかし電話を終えた少年が残りの2人と交わした会話は、はっきりと聞きとれた。

「今日の12時までだって。」「いくら?」「10万。」

私は驚いた。それって今日の12時まで(あと3時間くらい)に、10万円用意しなきゃいけないってことか?それまで楽しそうに会話をしていた少年たちの顔に、焦りの表情が浮かぶのが見て取れた。

「おい、1コ下に電話しろよ。」「女にも電話しろ。」

リーダー格の少年が他の2人に指図する。3人でそれぞれ電話をかけていたが、なかなかつながらないらしい。彼らの会話の断片がまた聞こえてきた。

「おい、こういう話はここ(車内)ではやばいぞ。」
「とりあえず~(駅の名前)で降りてからだ」

その駅で彼らは降りていった。彼らの存在は、私を含めた他の乗客に緊張を与えていたので、車内にほっとした空気が流れた。

会話の一部分しか聞こえなかったのでここからは私の想像に過ぎないのだが、もしも彼らが上級生(あるいは学生ではないかもしれない)に金銭を要求されていたのだとしたら、そしてそのタスクを、彼らが下級生や女子生徒にも押しつけていたのだとしたら、そこには一種の恐喝のネットワークが出来上がっていることになる。

そしてもしも彼らが本当に金銭を要求されていたのだとしたら、典型的な「優等生」であった私の中学・高校生活と、彼らの生活との間には、何という隔たりがあることだろう。勉強と部活と恋愛のことだけを考えていれば良かった私自身の中学・高校生活と、すでにカネのことを考えなくてはならない彼ら。ふと彼らの姿が、以前に観たケン・ローチ監督の「スウィート・シックスティーン SWEET SIXTEEN」に出てくる少年たちのそれと重なった。あの映画で主人公の少年は、母親の愛を得たいというただそれだけのために、麻薬の売買に手を出し、裏の世界の道に足を踏み入れていく。学校と家族という、10代の少年少女たちにとって最も近い存在であるはずの2つの世界が共に縁遠いものになったとき、彼らの受け皿となる「大人社会」は、裏の道のそれしかありえないという、現代の悲劇がそこにはある。いったい「大人社会」のうち、誰が彼らを理解できるのだろう。誰が彼らを理解しようとするのだろうか。

『マルクスの使いみち』余談

2006-04-07 00:21:43 | お勉強
2つ前の記事で紹介した本、『マルクスの使いみち』に、社会学者の加藤秀一さんも、ご自身のブログで感想を書いている。基本的にはこの本の内容を褒めているのだが、著者の1人である経済学者、吉原直毅さんの「あとがき」に対する批判というか、忠言は少し面白かった。


「吉原氏がどうも「人間」をきわめて平板にしか見ないところで答案を書いているように思える・・・(中略)・・・吉原氏が(稲葉振一郎氏からの)フェアネスの問いにうまく答えられなかった、というよりも問いそのものの意味がピンときていなかったように見えるのも、その点に関わるのではないか。吉原氏の描く経済システムの「青写真」は興味深いが、少なくともぼくは、<「俺を信じる者は、ついてこい!!」なんてセリフは「女を口説くときにこそ、ふさわしいというものだ(笑)」>なんてことを平気でほざくマヌケな男や、それに本当についていくようなバカ女がたくさんいるような未来社会は、あんまり実現してほしくない。」
(「旅する読書日記」より)


確かに普段本を読んだり講義を聞いたりする時に、どれだけシャープでためになる議論を展開されても、ジェンダー・デリカシーに欠ける発言を聞くとそれだけでがくっと失望してしまうというか、その人の人間性に少しばかり疑念を抱いてしまうということはよくあることだ。ジェンダー論、セクシュアリティ論を専門とされる加藤秀一さんにとってはなおさら、それが例え後書きでの軽いトーク内での発言であっても(いや、著者の人間味が出やすい後書きだからこそなおさらか?)、看過することはできなかったのだろう。その気持ち、よく分かります。まあそれでもこの本の内容がためになるということに、変わりはないのですが。

ある車内の出来事

2006-04-06 00:59:30 | つれづれなる日本の日々
今日の夕方、大学からの帰りの電車の中で、私は座りながら本を読んでいた。途中の駅で、30歳代後半の、知的障害者とおぼしき男性が乗ってきた。私の右隣の席が空いていたので、彼はそこに座った。座るなり、彼は私の顔をじっと見つめたかと思うと、突然、腕を組んできた。私はびっくりして彼の方を見た。周りにいた乗客の間にも緊張が走った。周囲の注目が、私達に集まった。

私は困惑の笑みを浮かべつつ、「本を読んでいるので…」と(いま思えば意味不明な言葉を)彼に言った。「やめてほしい」と続けて言おうとしたのだが、なぜか言えなかった。すると彼は、今度は私の肩に頭を乗せ、私の方へよりかかってきた。

「か…肩がこるので…」と私はまたもや意味不明なことを口走り、「やめてほしい」という意志を伝えようとした。しかし彼は腕組み&肩によりかかりを止めようとしなかった。続けて彼は自分の携帯電話を取り出し、そこに写っていた画面を私に見せてきた。そこには悪魔のような顔をしたドラえもんが、言ってみれば「悪魔コラージュのドラえもん」の画面が写っていた。「面白いでしょ?」と彼は私に言いながら笑ったのだが、私はそうした彼の行為と、ついでにその悪魔の形相をしたドラえもんの画像が恐ろしかった。その時、私はとても怖くて、不快だった。その時の彼の行為は、私に対するセクハラ含みの、明らかなハラスメント行為だったといえる。

しかし私はその時、なぜか彼に対して「やめなさい」と強く言ったり、またはその場を離れるといったことができず、上記のような曖昧な言葉だけを(しかも愛想笑いまで浮かべながら)述べただけで、それでも彼が止めようとしないと、しまいには諦め、彼のなすがままにさせ、自分は何事もなかったかのように本を読み続けようとした(もちろん驚きと緊張と混乱で、内容は全く頭に入ってこなかった)。

なぜ、私はその時はっきりと拒絶の意志を示せなかったのだろう。今考えれば、それは彼が知的障害者であったことが大きかったのだと思う。私の対応には、彼に対する同情と、そして同時に、そうした同情心に含まれていたであろう、知的障害者に対する差別心が表れていたのだと思う。すなわち彼を無視して席を移動するということをせず、一応は笑顔で対応したのは、私がこれまでに何度か、知的障害を持つ人が若者にからかわれたり邪険にされたりして悲しそうにしている光景を見たことがあるからであり、自分はそのようには知的障害の人に接したくないと思っていたからである。

しかしそうした私の対応には、同時に「健常者と同等のコミュニケーションを取ることは、知的障害者に対しては不可能だ」という思いこみが、すなわち知的障害者一般に対する偏見によるところもあったのではないかと思う。「優しく接しよう」という態度も、言ってみればそうした偏見の裏返しに他ならない。下でも述べるように、私は彼と明確な意志の疎通が可能であった。にも関わらず「知的障害者とはコミュニケーションがとれない」と私は心の底では思い込んでいたのであり、それがゆえの同情心でもあったのだ。私のこうした態度は、差別以外の何者でもない。

その後、彼は別の画面を私に見せ、「僕、この人が好きなんだ」と言ってきた。そこには笑顔の若い男性が写っていた。その画像は、彼が同性愛者であることを示していた。そのことが分かった瞬間、私の緊張はやわらぎ、「知的障害」と「同性愛」という、現代社会では2重のスティグマ(=「望ましくない」、「逸脱している」と社会的にみなされる属性。しばしば差別構造を生み出す源となる)を付与された彼に対する「同情」の気持ちが、ますます強まったのである。

「(画面の男性は)藤井隆に似てるでしょ?」と言ってきたので、「いや~藤井隆よりかっこいいですよ」というと、彼は嬉しそうだった。私の緊張がほぐれるにつれ、周囲の緊張と私達への注目の度合いもまた減っていき、再び無関心の空気が車内を包み込むのを私は感じた。

「どこまで行くの?」と聞いてきたので、「~駅までです」と私は答えた。「じゃあ~駅までこのままでいい?」と彼は言った。それは彼が乗ってきた駅から3つ目だったので、私は10分間ほど、彼に腕を組まれ、寄りかかられていたことになる。

緊張はほぐれたものの、相変わらず頭のなかはぐるぐる回っており、彼がさらに抱きついてくるなんかしてきたら今度ははっきり拒絶しようかとか、ああ知的障害でそのうえ同性愛だなんて、彼はいったいどれだけの苦労を今までしてきたんだろうとか、でも1人で電車に乗っているし、知的障害者のなかでは比較的軽度に属するんだろうなとか、私の対応は正しかったのかなとか、とにかく色々な考えが頭のなかに浮かんできて、本を読みつづけるふりをしていても、それは字面だけを追っているに過ぎなかった。

その一方で、ある種の優越感のような感情も、次第に私のなかに芽生えてきた。それは「他の人だったら彼に対してもっと邪険にするんだろうな、俺は日頃そういう偏見をなるべく持たないようにしてるから、見たまえ、彼も心地よさそうにしているじゃないか。これも社会学を勉強してきたおかげだよな」という類の、他の「一般人」に対する優越感だった。しかしその次の瞬間には、そうした優越感とか他人に対する見下しの感情を自分が持っていることに気づき、嫌悪感にかられた。

こうした複雑な思いが私の頭を駆けめぐっていたが、彼は続けて誰かに電話をかけようとしていた。こっそり彼の携帯電話の画面を見ると、「お母さん」と書いてあった。その時、私たちの乗っていた車両の前の方にも、他の知的障害者の男性が、母親とおぼしき女性と一緒に立っているのに私は気づいた。母親と一緒に電車に乗っている彼、そして、私の目の前で母親に電話をかけている彼、その光景を見て、私は、ああやっぱり今の日本では、知的障害者に一番近い介護者は家族の、しかも女性(この場合は母親)なんだな、と思った。目の前の彼が40歳近いところを見ると、電話の相手の母親は、もう60歳代とかだろうに。この国では介護サービス提供の多くが、未だ家族に、それも主に女性の不払い労働に依存している、「福祉後進国」なんだなと、どこかの本で読んだことを思い出した。

先ほど彼が「そこで降りる」と言っていた駅につくと、彼は私の肩からむくっと起きあがった。そして組んでいた手を外すときに私の上半身をペタペタっと触わって最後のセクハラをかました後、私に「お疲れさまでした」といって降りていった。私はそれを聞いて笑ってしまったのだが、頭の中の混乱もとりあえず落ち着き、ほっとした。向かいの席に座っていた2人のおばあちゃんが、何故か私に微笑みの眼差しを向けていた。

そのあと家に着くまでは、彼の行為と私自身の対応について、堂々巡りする頭で必死に考え続けた。そこで私は初めて、上でも述べたような知的障害者に対する私自身の持つ差別心に気づかされ、自己嫌悪に落ち込んだ。もしも彼が知的障害者でなく、健常者の同性愛者であったなら、セクハラを受けたときには、私は毅然と拒否し、ことによったら駅員に通報していたかもしれない。ここには私自身のなかに存在する、健常者/障害者という分断線と、それによって生まれる「思いやり」という衣をまとった、偏見や差別心といった問題が存在している。すなわち私は「障害者」の彼に対して比較的に社会的強者である「健常者」であったからこそ、そしてその「強者/弱者」の社会的構図を無批判に受け入れていたからこそ、彼に対して、健常者に対しては決して同じようにはしないであろう「思いやり」と余裕を持って接することができたのだ。

しかし私がもしも女性だったらどうだろう。相手が知的障害者であろうとなかろうと、女性である私は、男性にあのようなセクハラをされたらもっと怖くて、拒否するか逃げ出すかしていたことだろう。私が比較的「余裕を持って」彼に接することができた他の要因として、私が彼と同じ「性」だったということがある。すなわちここには障害の問題と並んで社会的な性、つまりジェンダーの問題もまた潜んでいたことが分かる。もちろん彼の体格が私よりもがっちりしていたものだったら、セクハラによる恐怖心はより増していたことだろう。彼が細身だったことが私に与えた安心感は大きい。しかしこうした体格の問題に他に、男性が女性に対して比較的に社会的強者であるこの社会では、「男性→男性」へのセクハラに比べて「男性→女性」へのセクハラの方が、被害者の受ける恐怖心や精神的苦痛はより増すという傾向があるのだ。これは体格の問題とは別次元の、ジェンダー、すなわち社会的な問題である。

障害、ジェンダーと並んで、あの光景には、セクシュアリティの問題もまた存在していたことが分かる。彼が私によりかかっていた間、周囲の注目が私達に注がれていたのだが、いったい彼が同性愛であることで私にあのような行為をしていたことに思い至った人が、何人いるだろうか。これは私の推測に過ぎないが、周りの人は、「知的障害者だからああいうことするんだよね」という理解のもと、私達を見ていたのではないかと思う。日本では大都市の一部地域を除けばまだまだ同性愛は社会的に認知されていない。「同性愛者なんて見たことないよ。本当にいるの」などとほざく輩も私の周りにいる。「知的障害者だから」という偏見と同時に、「(同性愛に対する)存在の抹消」という問題があの光景には存在していたのではないか、と私は推測する。

彼と共にいたその10分間は、そうした「ジェンダー」とか「障害」とか「セクシュアリティ」といった諸問題、さらには(ジェンダーと関連するが)「女性の介護問題」といった、これまで私が社会学の本から学んできたことがぎゅうぎゅうに圧縮されて展開されていた。それはまさに、私に「社会学の応用問題」が与えられていたような時間であった。

しかし諸々の本から得た知識など、あの10分間の間に私が得たさまざまな正と負の感情や想像力の密度の濃さに比べれば、炭酸の抜けたコーラのような薄っぺらいものでしかない。あの時の私の対応は、果たして間違っていなかったのかどうか、今度同じような状況に遭遇したら、私はいったいどう対応すればよいのか。この記事を書いている今もまだ、答えはでていない。まがりなりにも社会学を勉強しているくせに、そうした具体的な状況について、私は何ひとつ答えを出せないのだ。ただ私にできること、するべきことは、足りない想像力を働かせることだけだ。彼の行為、私の対応、私の偏見、そしてそれを見ていた周囲の人の思い、こうした事柄をひとつひとつ考えて、そこに潜む問題を個別に見つけていかなければ、ジェンダーの、セクシュアリティの、そして障害の「ノーマライゼーション」社会が、真に実現可能なものになることは難しいだろう。

『マルクスの使いみち』を読んだ。

2006-04-04 03:29:02 | お勉強


ゼミの友人が勧めていた『マルクスの使いみち』(稲葉振一郎・松尾ただす・吉原直毅著、太田出版、2006年)を読んだ。とても面白かった。そして大いに反省させられた。経済学に疎く、かつ左派的価値観を持つ私のような人間が陥りやすい、新古典派経済学に対する食わず嫌い的な偏見を、この本は見事に払拭してくれた。

主な内容は「分析的マルクス主義経済学入門」といったところだろうか。数式を全く使わないため、私のような門外漢にも何とかついていける。同時に他のマルクス主義諸派に対する方法的批判と、左派の立場にとってのミクロ経済学の意義について多く論じられている。

この本を読む前は、私は新古典派経済学の「需給一致の原則」だとか「自己利益最大化を合理的に追究する個人や企業」といった想定を、そのまま新古典派の経済学者が持つ資本主義経済観だと思い込んでいた。だから「権力関係とか人間の非合理性とかを無視する(新古典派)経済学って何かうさんくさい。結局最近の規制緩和とか民営化とか、公的福祉サービス厳格化とかの趨勢を最終的には肯定してしまう、体制側の学問じゃん」くらいに考えていた。しかし著者の1人である吉原直毅さんは、こういう非常に無知で、同時にマルクス主義にかぶれている人間が持ちがちな上記のような偏見を、「理論モデルとイデオロギーの取り違い」だと批判して、次のように述べる。


「そもそも理論化するときに使うモデルというものは、そのモデルが何を研究課題にするのかという点が重要で、課題に即した形で、現実の捨象ないし単純化・デフォルメーションがなされるわけです。一般均衡理論では、企業というのは利潤最大化をする経済主体という位置づけで単純化しますが、それは大きな市場のなかで相互に関係しあい、最終的に需要と供給が一致した形で取引される大きな構造というものをみる限りにおいては、企業は利潤最大化の主体として扱って十分だという前提の認識があるわけです。単純化したうえで分析することで、「完全競争市場」というものの原理的な特性がわかるだろうということです。そのモデルがイコール資本主義経済のある種の忠実な反映であるというようなことは誰もいっていない。」(p38-39)

「「厚生経済学の基本定理」ふうの共通認識を共有し、新古典派的な経済学的分析をするか否かということと、「市場原理主義」なり「ネオ・リベラリズム」なりの経済・社会認識をもつかどうかという問題は、基本的に別問題です。」(p43)


昨今の新古典派経済学は(少なくとも吉原さんが依拠する分析的マルクス主義は)、労働者の疎外や階級間の権力関係や支配関係など、古典的マルクス主義が問題にした諸概念を無効だとして退けるわけではない。重要なことは、そうした権力や支配といった政治的な観点と同時に、市場的構造から個々人が受ける影響といった経済的な観点をも持つことであり、両者の間のバランスを取ることだろう。この本からは、何よりもまずそうしたバランス感覚の大切さを教わった気がする。このバランス感覚は、例えば吉原さんの次の言葉から見ることができる。


「経済全体としては、機械のペースに合わせるというモチベーションを労働者に与えるものとして労働市場があり、そこでは労働者は絶えず「相対的過剰人口」創出メカニズムが働き、つねに過剰供給という立場に置かれる。しかも労働者はその前提として無所有で自分の労働力以外に売り物がなく、生きていくためには疎外されるような状況であっても、そのメカニズムに従って所得を稼ぐことで生活していかざるをえない。・・・しかしそれらも含めて、労働力商品における買い手市場的構造のもとでの、「売り手」と「買い手」の「交渉(Bargaining)過程」という性格の範疇に収めることが、資本主義経済システムの「安定的」再生産機能というものでしょう。」(p162)


考えてみれば、私はこれまで、このうちの前者、つまり「疎外される労働者」という側面しか見えていなかったと実感する(逆に昨今の経済学部生の多くは、後者の側面にのみとらわれがちなのかもしれない)。もちろんそれはとても重要なことなんだけど、そうすると外側から資本主義経済を批判することはできても、「じゃあどうすればいいの」と問われた時に、具体的な政策案を出すことは難しい。「そんなことは革命が起きてから考えればいい!」という話になってしまう。それもまた極端な話だ。

この本では、私にとってもう1つ重要なことが書いてあった。それは概念の精緻さ、厳密さが、生産的な議論のうえでどれだけ大切かということだ。例えばこの本の第2章では、マルクス主義の中心概念である「搾取」について論じられていた。ここで吉原さんたちは、従来のマルクス主義の「搾取」概念が、「いろいろな意味を持たせて結果的に定義としてあいまいな概念にしてしまう傾向」(p113)があったと批判している。つまり古典的マルクス主義においては、搾取の概念のなかに、「生産関係における民主主義」という論点と、「「生産手段の所有関係」に起因する資源処分に関する自由」という論点が混在していたのだという(p112)。他方、分析的マルクス主義においては、搾取の概念は後者の資源処分に関する概念に限定され、前者の「生産関係における民主主義」は支配(Domination)の概念に関わる論点として区別される。

ここはマルクス主義の根幹に関わる点であり、議論の余地も大いにあることだろう。果たして「支配」概念は、搾取の概念にとって必要十分なものではないのか(分析的マルクス主義は「ない」としている)。しかし生産的で精緻な議論展開に、精緻な概念は必須である。その意味では「搾取」と「支配」の概念的区別は、私にとってなるほどと思わせてくれるものであった。

『マルクスの使いみち』からは離れるが、一方でイギリスの政治学者で古典的マルクス主義者のアレックス・カリニコスなどは、搾取の本質は資源の配分のあり方にあるのではなく、「ある人が強制的に労働に従事させられること」にあると述べている。("Equality" p67. ここでカリニコスは'A person is exploited if and only if she is illegitimately compelled to work for others.'と述べている。)これなどは、支配関係を搾取の本質と見る、典型的な古典的マルクス主義の考え方である。



しかしカリニコスはその著"Equality"において、センやロールズなどの平等主義リベラリズムやローマーなどの分析的マルクス主義を検討することで、「平等」概念の精緻化を図るものの、古典的マルクス主義者として、結局は彼らをまとめて「市場経済を前提にしている」と批判せざるをえない状態に陥る。その一方で具体的な代替案を出すわけではなく、結論では「より脱中央集権化された計画経済を指向すること。情報や決定が中央から各生産ユニットへ縦割(horizontally)に流れるのではなく、異なる生産者や消費者どうし横(vertically)に流れるシステムを指向することは、人間の可能性を越えることでは決してない」(p123)という、抽象的な社会主義的主張に終始する。具体的な政策論に弱い、古典的マルクス主義の限界が見え隠れしている。

ここでいきなり個人的な話になるが、私が社会の問題に関心を持つに至った決定的なきっかけは、去年1年間のイギリス生活と、そこで出会った寮メイトが従事していた社会主義運動だった。その寮メイトが属していたイギリス社会主義労働者党の理論的ブレーンこそ、上記のヨーク大学教授、アレックス・カリニコスであった。私はその寮メイトの影響で、カリニコスのスピーチにも何度か赴き、その熱のこもったアンチ資本主義の議論に心酔した。当時は「イギリスの社会主義運動は、カリニコスのような理論的バックボーンも備えており素晴らしい」と思っていた。

しかしいざ自分の興味が社会保障論というよりアクチュアルな分野へと向かうようになると、彼らの資本主義批判が以前ほど説得力を持つものには思えなくなったことは事実である。日本に帰国してからも、しばらくはその影響を相対化できず、このブログにも、彼らの議論にのっかった記事をいくつか書いてきた。しかし自分自身の左派的価値観をこれからより精緻に発展させるためにも、彼らのマルクス=レーニン主義的な議論を、一度相対化する必要があるだろう。ゼミの友人の指摘などによって薄々感じていたこうした思いが、『マルクスの使いみち』を読んだことで、最後の一押しを与えられたような気がする。結局、何事も食わず嫌いはいかんよ、ということだろう。精進精進。


ところで明日(というか今日)は、大学院の入学式だ。ついに自分も「院生」か。もう学部時代のような、ちゃらんぽらんな勉強はできないなあ。。。

イギリス文学って面白いかも

2006-03-26 03:05:00 | 映画・小説・漫画・音楽・時事ネタなど
<注意:小説『自負と偏見』と、映画「ブリジット・ジョーンズの日記1と2」の
ネタばれあり。まあネタなんてあってないようなものですが・笑。>



勉強の息抜きに読んだジェーン・オースティンの『自負と偏見』(原書だと"PRIDE AND PREJUDICE")が、とても面白かった。新潮文庫で約600ページの長編だが、一気に読めた。



私はイギリスについて勉強していこうと思っているのに、イギリス文学について、これまでほとんど知らなかった。これはいけないと思って、まず平凡社新書の『不機嫌なメアリー・ポピンズ-イギリス小説と映画から読む『階級』』(新井潤美著)を読んでみた。まずこの本が非常に面白かった。イギリス文学について何も知らなくても、ディケンズからハリー・ポッターまで、「階級」という概念を軸に、その面白さをとても分かりやすく解説していた。

私は映画の「ブリジット・ジョーンズの日記」が1も2もわりと好きなのだが、この本のなかで「「ブリジット・ジョーンズの日記」は、現代版『自負と偏見』である。」と書かれていたことに驚かされた。『自負と偏見』といえば、読んだことはないものの、文学史上に名高い名作ではないか。そんなどブンガクと、あのレニー・ゼルヴィガーやヒュー・グラントがドタバタ演じているラブコメが、いったいどう関係しているのだろう。そこにまず非常に興味を持った。

読む前は、「19世紀イギリス文学の傑作」というその敷居の高さに多少気後れしたものの、1ページ目をめくるやいなや、たちまちその面白さに引き込まれた。とにかく、読みやすい。そして読み出すと止まらない。まず何よりも、訳が良いのだろう。岩波文庫の『高慢と偏見』と新潮文庫の『自負と偏見』をパラパラと読み比べ、新潮文庫版の方が軽い文体で読みやすそうだったのでそちらを選んだのだが、大正解だった。

冒頭の文章、「独りもので金があるといえば、あとはきっと細君をほしがっているにちがいない、というのが世間一般のいわば公認真理といってもよい。」を読むやいなや、たちまちオースティンの世界に引きずり込まれる。ストーリー自体は、とりたててダイナミックなものではない。19世紀初頭の上層中流階級の若い男女とその家族が何組か出てきて、舞踏会やら旅行やらするうちに、仲良くなったり、または誤解し合って疎遠になったり、かと思えばまたくっついたりして、結局最後はハッピーエンドに終わるというものだ。こんなB級恋愛映画っぽいストーリーが、延々と600ページも続くのだ。そこにはヘッセの『デミアン』のような、ひたすら自己の内へ内へと沈みこむ内省感もなければ、ドストエフスキーのような、神に対する人間存在の意味を問いかける壮大さもない。あるのは登場人物どうしの軽妙洒脱な会話のみであって、とりたててスペクタクルなことは何も起こらない。

しかしそれでいて素晴らしく面白く、さらに人間の強さや弱さ、愚かしさや微笑ましさ、単純さや複雑さなどについて、つまり人間そのものについてもまた、深く考えさせてくれる。もう200年も前に書かれた作品である。さらに登場人物の生活する世界が、私達が「英国」という言葉を聞いてステレオタイプ的にまず思い浮かべる中流のLadies and Gentlemenのそれであり、現代の私たちの生活からはかけ離れた世界の話のようである(語義矛盾のような気もしますが、当時の「中流」の社会的地位は相当高いようです)。にもかかわらず、登場人物がみな「こういう人いるよなー」と思わせてくれるようなリアリティを持っているのだ。

解説にも書いてあったが、なんでもオースティンは徹底した写実主義の手法によって小説を書いていたらしく、とにかく自分の知らない世界のことは、いっさい書かなかったのだという。なるほどこの作品の背景である19世紀初頭のヨーロッパといえば、産業革命とフランス革命という2つの大革命を経て、いよいよ近代に本格的に足を踏み入れようとする、まさに激動の時代であった。しかし『自負と偏見』には、政治も宗教も、またはこの頃から存在感を増しつつあった労働者階級の人々の姿なども、これっぽっちも出てこない。しかしオースティン自身が育った中流階級の世界観に作品が限定されているにも関わらず(いやそうであるからこそ?)、現代人にも通じる、近代的人間の特徴のようなものが、作品のなかでリアリティをもって描かれている。この作品に出てくる人達とは、現代の私達でも完璧なコミュニケーションが取れそうな気がする。

さて上で述べた「ブリジット・ジョーンズの日記」との関係について言えば、なによりもまず『自負と偏見』の基本的な作品の構図が、「ブリジット…」のそれとそっくりなのだ(パロった順序はもちろん逆だろうが)。すなわち共にヒロインは中流階級の中か、またはやや下の家庭出身であり、対するヒーローは、中流階級の上の、金持ちの家の息子である。両方の作品で、ヒロインとヒーローのお互いの第一印象はきわめて悪い。ヒロインは金持ちのヒーローに対して「自分が金持ちだからって思い上がってる、いやなやつ」という偏見を持ち、対するヒーローの方も、自分よりも階級位置が下のヒロインに対して(というよりもヒロインが属する「下の階級」の「礼儀の悪さ」に対して)、軽蔑感を持って接する。『自負と偏見』も『ブリジット…』も、ストーリーはこの後、お互いがこうした階級的な偏見を乗り越え、1人の人間としてお互いを見つめ直し、最後はカップル成立でめでたしめでたしというものである。

さらによりあからさまな共通点を挙げると、「ブリジット・ジョーンズの日記」のヒーローはダーシーという名前で、これは「自負と偏見」のヒーローと同じ名前である。また2001年にBBCで放送された連ドラ版「自負と偏見」では、このダーシー役をイギリスの俳優コリン・ファースが演じていたとのことだが、図らずも「ブリジット…」のダーシー役もまた同じコリン・ファースによって演じられた。ここまでされれば「ブリジット…」を『自負と偏見』の現代版パロディとして見ないわけにはいかない。最初はお馬鹿なドタバタ喜劇としてしか見られなかった「ブリジット・ジョーンズの日記」だが、どうやらオースティンファンが見ればニヤリとさせられるような細かい遊びが作品中にちりばめられているらしく、本作を読んだ後では、さらに面白さが増すに違いない。


(BBC連ドラ版「高慢と偏見」)


(映画「ブリジット・ジョーンズの日記2」。
ダーシー役の俳優(右側の男性)が上といっしょですね。)

『自負と偏見』自体も何度か映画化されているらしく、去年キーラ・ナイトレイ
を主役に据えた2005年版が公開され、アカデミー賞にノミネートされたとの
こと。これはぜひ見てみたい。最後に、新潮文庫の解説で引用されていた
サマセット・モームの評言がオースティン文学の面白さをうまく表していたので、
ここでも引用して今日の締めとしたい。

「どの作品にもこれといった大した事件は起こらない。それでいて、あるページを
読み終えると、さて次に何が起こるだろうかと、急いでページをくらずには
いられない。ところが、ページをくってみても、やはり何も大したことは起こらない。
だがそれでいて、またもやページをくらずにはいられないのだ。これだけのことを
読者にさせる力を持っているものは、小説家として持ちうるもっとも貴重な才能の
持主である。」(新潮文庫版の解説より)


(2005年度版映画「プライドと偏見」のワンシーン。評判は上々のようです。)


(いつか原書でもチャレンジできれば…)

Goodbye A cappella world...

2006-03-24 03:51:14 | つれづれなる日本の日々
もう10日ほど前になるが、大学に入って以来ずっと続けてきたアカペラの、
最後を締めくくるライブに出演してきた。吉祥寺のライブハウスでほぼ毎月
行われるアカペラライブで、今回私が所属していたバンドも30分ほど演奏
を行ったのだ。

楽器を用いず、なおかつ少人数で行われるアカペラは、高音から低音までの
各パートが、音の正確さだけでなく声質や強弱や表現やリズムを合わせて
歌っていかなければならない、とても繊細で難しく、奥の深い音楽である。
しかしそれだけにバンドのみんなと上手に歌えて素晴らしいハーモニーを
出せたときは、聴いてるお客さんが感動してくれているのが伝わってくるし、
こちらも歌いながら鳥肌ものの気持ちよさが味わえる。

去年の夏、1年間の留学から帰ってくると、サークルの同期の友達は、すでに
ほとんどみんな卒業してしまっていた。院試の準備やアルバイトの必要なども
あり、卒業までの間、もう一度アカペラをしようかどうか、初めは大いに迷った。
しかしとても歌の上手な4年生と2年生の後輩たちが、新バンドを結成するので
ベースをやりませんかと誘ってくれ、その誘惑にはとうとう勝てなかった。

ライブは大成功だった。とても気持ちよく歌うことができたし、ライブに来て
くれたサークル員や友達が、良かったよ~と言ってくれたのが何より嬉しかった。
またライブのプロデューサーの方にも「君のベースはとても好きです」と
褒められ、ここまで続けてきて良かったな、と思った。

声の低い私は、大学入学以来、最も下のベースパートを担当してきた。
ベースは曲のコード進行を低音でボンボン歌いながら支えるパートである。
ハモってる上のパートの人々(コーラスパート)に比べて、音取りはそれほど
難しくない。しかし曲のコード進行を支えるパートである上に、コーラスからも
独立しているために、ベースは音を少しでも外してしまうと、とても目立つ。
さらにベースは曲のリズム作りにも大きな責任を持っている。要するに、歌って
いる間は一瞬も気の抜けないパートだ。しかし「曲を縁の下で支えている」
というまさにその役割が、同時にベースパートの最大の魅力でもある。

5年前、私が大学に入学してアカペラサークルに入ったのは、ハモることの
気持ち良さと、草食動物系の穏やかなサークルの雰囲気に惹かれたからだが、
その頃から、ちまたでも「ハモネプ」というテレビ番組や「ゴスペラーズ」の
ヒットなどによって、若者の間でアカペラがブームになった。そのおかげも
あってか、私が入った当初は小規模でややマニアックな雰囲気を発してさえ
いたこのサークルも、あれよあれよという間に毎年部員が急増し、今や学内の
文化系では1、2を争う、押しも押されもせぬ一大サークルへと成長した。

このサークルで過ごした5年間を通じて、私はたくさんのバンドで歌う機会を
得た。アカペラは1バンドの人数が5~6人という少人数なので、練習を通して
の親密感や友情が育まれやすい。数々のバンドで歌ってきたなかで、歌以外にも
たくさんの大切な思い出ができた。メンバーの実家にみんなで飛行機で
押しかけて数日ご厄介になったり、こたつで鍋を囲んだり、男2人旅をしたり、
誕生日を祝ったり、また留学直前には同期やバンドのみんなが寄せ書きや
プレゼントをくれたりなどなど、私の大学生活を通して育まれた貴重な
思い出の多くは、このサークルが私にくれたものだった。

昨日、そのアカペラサークルで、最上級生のさよならパーティー(通称追い出し
コンパ、略して追いコン)があった。去年留学に行ってしまったこともあって、
一緒にバンドを組んだメンバー以外の後輩たちとは、残念ながらなかなか知り合う
機会がなかったのだが、追いコンではほぼ初対面の私でも暖かく迎えてくれ、
とても楽しいひとときを過ごすことができた。追いコンの最後に行われる毎年
恒例の後輩から卒業生に送られる合唱では、とうとう私も送られる側になった
ことで、感動もひとしおだった。4月から大学院に進学するにあたって、昨日は
私の人生で、1つの大切な区切りの日となった。これまで数々の素敵な思い出を
くれたサークルのみなさんに、感謝の気持ちを捧げたい。

WBC-of America, by America, for America.

2006-03-20 03:06:55 | 映画・小説・漫画・音楽・時事ネタなど


目下行われているWBCは、まさにアメリカの、アメリカによる、
アメリカのための茶番劇であったように思う。野球がサッカーのように
(どちらも未だ男性中心のスポーツという限定つきでだが)、ワールドワイドに
普及することを願うのならば、野球界はこの「アメリカ中心主義」から抜け出す
必要があるだろう。今大会では大きく3つの点で、アメリカが有利になるように
コトが進んだように思える。

まず1つ目は、試合中の判定がアメリカに有利に進んだことがある。準決勝進出を
かけた2次リーグ、アメリカ対日本戦とアメリカ対メキシコ戦で、ともに大事な
場面で、日本とメキシコ両チームの得点が、審判によって無効とされた例は
記憶に新しい。日本戦では日本選手の犠牲フライによる得点が、またメキシコ戦
ではメキシコ選手によるホームランが、共に無効とされた。VTRを見れば多くの
人が(アメリカ選手アメリカ人記者によってさえも)「得点無効はおかしい」と
感じた判定であった。

これらの疑惑の判定はアメリカ人の同一審判によってなされたのだが、
第2の点として、試合の行方にこのように大きな影響を与える審判の国籍が、
非常にアメリカ人に偏っていた点がある。今大会の審判32人中、22人が
アメリカ人の審判であった(上部リンク先参照)。出場国が16カ国であること
を考えれば、公平性のために審判は各国から2名づつの割り当てにするべきで
あっただろう。

第3の点として、トーナメントの組合せ方の公平性に疑問がある。
FOXスポーツの下馬評によれば、今回のWBC、優勝候補はもちろんアメリカで
あったが、その対立候補として、ドミニカ共和国、ベネズエラ、プエルトリコ、
キューバなどの中南米の国々が挙げられていた。そして不思議なことに、
予選から決勝までの流れを見てみると、アメリカは決勝までこれらのいずれの
国とも当たる必要はなかった(リンク先真ん中のトーナメント表参照)。

特に露骨だったのが、2次リーグから準決勝へ上がる際のルールである。
2次リーグでは4チームごとにA組とB組に分かれてリーグ戦を行い、各組の
上位2チームがそれぞれ準決勝へ上がることが出来る。ここで通常ならば、
A組の1位とB組の2位が、そしてA組の2位とB組の1位がそれぞれ準決勝で
当たるのが一般的である。しかしこのWBCでは、A組の1位と2位が、
そしてB組の1位と2位がそれぞれ再び準決勝で対戦するという、
「世にも珍しい試合方式」を採用した。これならば2次リーグでA組のアメリカは、
B組に集中した中南米の国々と、決勝戦まで当たる必要はないのだ。

こうした奇妙なトーナメント方式の犠牲の象徴が、昨日の日本対韓国戦だった
ように思う。韓国と日本は1次リーグと2次リーグでそれぞれ対戦したばかりか、
2次リーグが終わってまもなくの準決勝でもまた、三たび対戦することを余儀
なくされたのだ。それまで日本に2連勝していたばかりか、防御率1点台という
素晴らしい内容で、全ての試合を無敗のまま準決勝に進んだ韓国が、準決勝で
またもや日本と当たったことで、どちらが勝っても気まずさだけが残るという
結果となってしまった。

韓国にしてみれば、準決勝まで無敗で来て、しかもそれまで2度対戦して
共に勝っている相手に1度負けただけで、なぜそこでゲームオーバーとなり
決勝への道が閉ざされてしまうのか、納得が行かなかったに違いない。
「また日本と対戦か」と韓国チームはうんざりしたことだろう。逆に日本に
してみれば、同じ相手に対して3度続けて負けた際に、チームやファンの
雰囲気が計り知れなく悪くなることは避けられなかっただろう。これは
「ルールだから仕方ない」のだろうか。そのルールの奇妙さによって、
共に背負う必要の無かったリスクを背負って臨んだ昨日の試合ではなかったか。

冒頭でも述べたが、こうしたアメリカに有利なルール満載の状態がこれからの
WBCにも常に付きまとうならば、この大会が本当の意味で"World Baseball
Classic"を名のることは到底できないだろう。今回一つ私の溜飲を下げたことが
あるとすれば、そのアメリカが2次リーグでまさかの敗退を喫したことだった。
特に2次リーグで、韓国がアメリカに大勝した様子は圧巻だった。2次リーグの
他の2試合(対メキシコ、対日本)でも、アメリカは自国に有利な疑惑の判定に
付きまとわれたりと、選手たちは決して気持ちよくプレーすることはできなかっ
たのではないか。4年後の第2回大会は、誰もが納得のいくトーナメントや
審判、球場選びをしてほしいものだ。

私は普段野球にはほとんど関心がないのだが、今回はあの悪名高き2chからも、
しこしこと情報を集めたりして、おかげでやけにWBC通になってしまった。
そのきっかけは、やはりたまたま初めてテレビで目にしたのが、2次リーグの
アメリカ対日本戦であり、しかもそれが、例の判定が行われた、あの8回表の
日本の攻撃のシーンだったからだろう。犠牲フライのシーンは、私もつい
「おい、どー見ても得点しただろ」と叫んでしまった。

しかしなあ、オリンピックとかワールドカップといった、こういう「国対国」の
スポーツの大会は、やはりどうしても好きになれない。「日の丸背負ってます」
みたいなチームの雰囲気も嫌だし、ナショナリスティックな発言をするイチロー
なんて、見たくない。イチローには野球の天才として、国境を越えた存在で
あってほしいのに。

しかしそれと同時に、こういう大会を見れば、心の底では日本チームを応援
している自分を発見してしまうのも、一方では事実だ。どうもイギリスに留学
してからこうした自身の内なるナショナリズムが強まったのを感じる。外国に
行くとやはり「日本人」としての自分を強く意識する機会が多いし、また
東洋人として差別される体験も多々あった。こうした体験が自然と愛国心を
育んでしまうのだろうか。うーん注意せねば。

卒業決定

2006-03-18 14:01:35 | つれづれなる日本の日々
大学で卒業者発表があった。何とか卒業していた。単位的にはかなりぎりぎり
だったので、卒論提出後もけっこう心配していた。卒業できて、本当に良かった。
ひとまずほっとした。

嬉しさと、春からは大学院かー、という感慨を胸に、八王子や町田の古書店を、
競争相手の視察もかねて、かなり時間をかけて回る。この辺りにはブックオフ
などの新古書店と共に、専門書が充実した老舗の古書店が多い。目当ての本を
探すには、今は何と言ってもインターネットが便利だが、ぶらっと歩き回って、
自分が今まで知らなかった掘り出し物を見つける喜びが、古書店巡りにはある。

ジョン・ロールズの『正義論』(紀伊国屋書店)を見つけた。4000円。これって
確か絶版になっていたと思う。今読んでいる本にもロールズが登場してきていた
ので思い切って買ってみた。難解だと噂には聞いていたが、見るからに難しそう
だ。訳者あとがきにも、困難だった翻訳への泣きが入っている。とりあえず
第一章だけ読んで、あとはしばらくお蔵入りかな…。その他、日本の社会保障の
歴史に関する本を2冊購入。おかげで有り金を使い果たし、夕飯は駅中の立ち食い
そば屋に入った。だんだん行動がおじさんくさくなってきた気がするな。