『マルクスの使いみち』を読んだ。



ゼミの友人が勧めていた『マルクスの使いみち』(稲葉振一郎・松尾ただす・吉原直毅著、太田出版、2006年)を読んだ。とても面白かった。そして大いに反省させられた。経済学に疎く、かつ左派的価値観を持つ私のような人間が陥りやすい、新古典派経済学に対する食わず嫌い的な偏見を、この本は見事に払拭してくれた。

主な内容は「分析的マルクス主義経済学入門」といったところだろうか。数式を全く使わないため、私のような門外漢にも何とかついていける。同時に他のマルクス主義諸派に対する方法的批判と、左派の立場にとってのミクロ経済学の意義について多く論じられている。

この本を読む前は、私は新古典派経済学の「需給一致の原則」だとか「自己利益最大化を合理的に追究する個人や企業」といった想定を、そのまま新古典派の経済学者が持つ資本主義経済観だと思い込んでいた。だから「権力関係とか人間の非合理性とかを無視する(新古典派)経済学って何かうさんくさい。結局最近の規制緩和とか民営化とか、公的福祉サービス厳格化とかの趨勢を最終的には肯定してしまう、体制側の学問じゃん」くらいに考えていた。しかし著者の1人である吉原直毅さんは、こういう非常に無知で、同時にマルクス主義にかぶれている人間が持ちがちな上記のような偏見を、「理論モデルとイデオロギーの取り違い」だと批判して、次のように述べる。


「そもそも理論化するときに使うモデルというものは、そのモデルが何を研究課題にするのかという点が重要で、課題に即した形で、現実の捨象ないし単純化・デフォルメーションがなされるわけです。一般均衡理論では、企業というのは利潤最大化をする経済主体という位置づけで単純化しますが、それは大きな市場のなかで相互に関係しあい、最終的に需要と供給が一致した形で取引される大きな構造というものをみる限りにおいては、企業は利潤最大化の主体として扱って十分だという前提の認識があるわけです。単純化したうえで分析することで、「完全競争市場」というものの原理的な特性がわかるだろうということです。そのモデルがイコール資本主義経済のある種の忠実な反映であるというようなことは誰もいっていない。」(p38-39)

「「厚生経済学の基本定理」ふうの共通認識を共有し、新古典派的な経済学的分析をするか否かということと、「市場原理主義」なり「ネオ・リベラリズム」なりの経済・社会認識をもつかどうかという問題は、基本的に別問題です。」(p43)


昨今の新古典派経済学は(少なくとも吉原さんが依拠する分析的マルクス主義は)、労働者の疎外や階級間の権力関係や支配関係など、古典的マルクス主義が問題にした諸概念を無効だとして退けるわけではない。重要なことは、そうした権力や支配といった政治的な観点と同時に、市場的構造から個々人が受ける影響といった経済的な観点をも持つことであり、両者の間のバランスを取ることだろう。この本からは、何よりもまずそうしたバランス感覚の大切さを教わった気がする。このバランス感覚は、例えば吉原さんの次の言葉から見ることができる。


「経済全体としては、機械のペースに合わせるというモチベーションを労働者に与えるものとして労働市場があり、そこでは労働者は絶えず「相対的過剰人口」創出メカニズムが働き、つねに過剰供給という立場に置かれる。しかも労働者はその前提として無所有で自分の労働力以外に売り物がなく、生きていくためには疎外されるような状況であっても、そのメカニズムに従って所得を稼ぐことで生活していかざるをえない。・・・しかしそれらも含めて、労働力商品における買い手市場的構造のもとでの、「売り手」と「買い手」の「交渉(Bargaining)過程」という性格の範疇に収めることが、資本主義経済システムの「安定的」再生産機能というものでしょう。」(p162)


考えてみれば、私はこれまで、このうちの前者、つまり「疎外される労働者」という側面しか見えていなかったと実感する(逆に昨今の経済学部生の多くは、後者の側面にのみとらわれがちなのかもしれない)。もちろんそれはとても重要なことなんだけど、そうすると外側から資本主義経済を批判することはできても、「じゃあどうすればいいの」と問われた時に、具体的な政策案を出すことは難しい。「そんなことは革命が起きてから考えればいい!」という話になってしまう。それもまた極端な話だ。

この本では、私にとってもう1つ重要なことが書いてあった。それは概念の精緻さ、厳密さが、生産的な議論のうえでどれだけ大切かということだ。例えばこの本の第2章では、マルクス主義の中心概念である「搾取」について論じられていた。ここで吉原さんたちは、従来のマルクス主義の「搾取」概念が、「いろいろな意味を持たせて結果的に定義としてあいまいな概念にしてしまう傾向」(p113)があったと批判している。つまり古典的マルクス主義においては、搾取の概念のなかに、「生産関係における民主主義」という論点と、「「生産手段の所有関係」に起因する資源処分に関する自由」という論点が混在していたのだという(p112)。他方、分析的マルクス主義においては、搾取の概念は後者の資源処分に関する概念に限定され、前者の「生産関係における民主主義」は支配(Domination)の概念に関わる論点として区別される。

ここはマルクス主義の根幹に関わる点であり、議論の余地も大いにあることだろう。果たして「支配」概念は、搾取の概念にとって必要十分なものではないのか(分析的マルクス主義は「ない」としている)。しかし生産的で精緻な議論展開に、精緻な概念は必須である。その意味では「搾取」と「支配」の概念的区別は、私にとってなるほどと思わせてくれるものであった。

『マルクスの使いみち』からは離れるが、一方でイギリスの政治学者で古典的マルクス主義者のアレックス・カリニコスなどは、搾取の本質は資源の配分のあり方にあるのではなく、「ある人が強制的に労働に従事させられること」にあると述べている。("Equality" p67. ここでカリニコスは'A person is exploited if and only if she is illegitimately compelled to work for others.'と述べている。)これなどは、支配関係を搾取の本質と見る、典型的な古典的マルクス主義の考え方である。



しかしカリニコスはその著"Equality"において、センやロールズなどの平等主義リベラリズムやローマーなどの分析的マルクス主義を検討することで、「平等」概念の精緻化を図るものの、古典的マルクス主義者として、結局は彼らをまとめて「市場経済を前提にしている」と批判せざるをえない状態に陥る。その一方で具体的な代替案を出すわけではなく、結論では「より脱中央集権化された計画経済を指向すること。情報や決定が中央から各生産ユニットへ縦割(horizontally)に流れるのではなく、異なる生産者や消費者どうし横(vertically)に流れるシステムを指向することは、人間の可能性を越えることでは決してない」(p123)という、抽象的な社会主義的主張に終始する。具体的な政策論に弱い、古典的マルクス主義の限界が見え隠れしている。

ここでいきなり個人的な話になるが、私が社会の問題に関心を持つに至った決定的なきっかけは、去年1年間のイギリス生活と、そこで出会った寮メイトが従事していた社会主義運動だった。その寮メイトが属していたイギリス社会主義労働者党の理論的ブレーンこそ、上記のヨーク大学教授、アレックス・カリニコスであった。私はその寮メイトの影響で、カリニコスのスピーチにも何度か赴き、その熱のこもったアンチ資本主義の議論に心酔した。当時は「イギリスの社会主義運動は、カリニコスのような理論的バックボーンも備えており素晴らしい」と思っていた。

しかしいざ自分の興味が社会保障論というよりアクチュアルな分野へと向かうようになると、彼らの資本主義批判が以前ほど説得力を持つものには思えなくなったことは事実である。日本に帰国してからも、しばらくはその影響を相対化できず、このブログにも、彼らの議論にのっかった記事をいくつか書いてきた。しかし自分自身の左派的価値観をこれからより精緻に発展させるためにも、彼らのマルクス=レーニン主義的な議論を、一度相対化する必要があるだろう。ゼミの友人の指摘などによって薄々感じていたこうした思いが、『マルクスの使いみち』を読んだことで、最後の一押しを与えられたような気がする。結局、何事も食わず嫌いはいかんよ、ということだろう。精進精進。


ところで明日(というか今日)は、大学院の入学式だ。ついに自分も「院生」か。もう学部時代のような、ちゃらんぽらんな勉強はできないなあ。。。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 1 )
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コメント
 
 
 
Unknown (david copperfield)
2006-04-06 13:00:08
blogではどうもお久しぶりです。



『マルクスの使いみち』、面白そうですね。

タイトルこそマルクスの名前を冠していますが、中身は新古典派経済学への入門書といった感じですかね。



よく似た本で、杉本栄一著『近代経済学の解明』(岩波文庫)というのがあります。

http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/qsearch

去年の夏に読んだのですが、経済学音痴の僕にもわかりやすかったです。

この本に触れて、僕も「食わず嫌い」はいかんなと思いました。

学部時代に読んでいたら、もう少し違った世界観を獲得できていたかもしれません。



では、院生生活、ご健闘お祈りしています。



p.s.今年度から、高校で非常勤講師を勤めることになりました。教えるのは「現代社会」です。



 
 
 
お久しぶりです! (Nicholas)
2006-04-06 22:02:50
david copperfieldさんどうしてるかな~と思ってました。お元気そうで何よりです!コメントありがとうございます。『近代経済学の解明』、僕も以前先生に勧められました。『マルクスの使いみち』がミクロ経済学の最新理論の入門書だとすれば、杉本栄一さんの著作は、経済学の歴史的な発展の側面が深く学べそうですね。バイト先にも売ってたので、時間があったら読んでみたいと思います。



おーそして高校で現代社会を教えられるんですか。大学で学んだことの、まさに延長線のような科目ですね。それを「現代社会」の最前線で体得できるなんて、素晴らしい経験になると思います。頑張って下さい。ぜひ今度お話を聞かせて下さいね。
 
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