うたかた

何を書こうか考えていませんが、つらつらと綴ってみようと思います。

03.どこまでいってもいい、なんて嘘

2022-12-22 23:45:25 | 日記

さて。師走という言葉の通り、あっという間に駆け抜けている12月です。

「一つくらいはしっかりした書き物を出品しないとな〜」と思い続けて、あっという間にクリスマスを迎えようとしています。

 

今から冊子を作ろうにももう印刷が間に合わないし…

年末年始入っちゃったらもっと絶望的だし…

 

うーん。どうしようかな…と考えた結果。

元々、出品してみようと思っていたポストカードサイズのアート作品と、即興小説をセットでお届けするという強行策に出てみようかなと思います。

ご購入いただいた方には、購入後メッセージで「リクエストお題」を送っていただきます。
そしてそのお題を見て、私の方で即興で物語を書き、お送りする…という、己の首をめちゃくちゃ締めるチャレンジ。笑

物語は、残念ながらしっかりした冊子の状態なんかにするのは難しいと思うのですが(※主に私の力量不足で)、とにかく読める状態にはしてお届けしたいと思います。

お題の例としては、「空、コーヒー」などキーワードで送っていただくのもよし、「高校生とおじさま」「男子高校生たち」など人物イメージで送っていただくのもよし、「『それでもいいよ』」などの台詞指定で送っていただくのも、面白くて良さそうです。
(※ジャンル指定や二次創作でのリクエストはNGとさせていただきます)

私自身やったことのない試みですので、どの程度できるか未知すぎるのですが、面白そうだなーと勝手にワクワクしています。
文章量としては、あまり長い作品にはならないのかなと。いわゆる掌編〜短編くらい?仮にちょっと長くなっても5000文字は超えないかなと思います。

最初はアートのイメージで書いた小説を添える、とかでもいいなーと思ったんですが、よりインタラクティブにした方がきっと予測不能かつ追い込まれて面白いに違いないと思い、こんな形で試してみたいと思います。

 

もし制作に難航したら、メッセージで「すみません……もう少し待ってください…」と編集者に懇願する作家状態になる可能性もあります。ご容赦ください。


02.愛なのか哀なのか

2022-11-24 21:15:05 | 日記

愛という言葉は本来、日本語には存在しなかった。

そんな一説を読んだことがある。

昔書いたコラムでも取り扱ったことがあり、その時の記事には以下のように書いていた。

 

無論、誰かをいとしく思う心はあったし、その感情をあらわす言葉もあった。ただ、それらを「愛」として表現するのは、西洋文化の流入以降、西洋文学の翻訳の際にさだめられたものであろうというのが現在の通説らしい。

それまでの日本人は、「愛」をさまざまな言葉をもって表現していた。恋ふ、慕ふ、焦がる、慈しむ……さらに、「愛し」と書いて「かなし」と読む言葉も、「愛」のひとつだった。

「愛(かな)し」は、相手をいとおしい、かわいいと思う気持ちや、守りたいという思いを抱くさまを表すという。

つらく切ないことを表す、「哀し」と読みが同じだ。音読みの「アイ」でさえ、この二語は同じ音をもって紡がれている。

70seeds「愛のもつ「かなしみ」のことより抜粋)

 

愛しいと思う気持ちと、哀しいと思う気持ち。それらは確かに、近いところにあるものなのかもしれない、と思う。

前回血迷って絵を描いた訳だが、今回はちゃんと元々やっている活動である「言葉」と「写真」で作品を出品する。

とはいえ、こんな風にフォトブックを作成したのも初めてのこと。どんな仕様になるかわからず、手に入れやすそうなミニサイズで作ると同時に、写真が綺麗に印刷できそうな少し大きめの版(A5版)も作った。(が、こっちはフォントが冊子サイズに合わせて大きくなってしまって、写真はとても綺麗だけれど言葉がやや不恰好という仕上がりになってしまった感も否めない。写真重視派はこっちの方がいいかもしれない)

どんな冊子にしようか、手元でいくつか入れ替えたり試したりして、さて最後にどんなタイトルをつけようか、となった。

いつも、小説を書くときなんかもタイトルは最後につけている。過去に参加したイベントで最初にタイトルをつけないといけなかった時は「うぐっ」となった。タイトルは最後に、という所作は、確か小学生の頃に作文を教えてくれた先生に言われたものだったような気がしている。(単純に授業時間内に書き終わらせないといけないから、タイトルに悩むなら本文をという意味で言ってくれたのかもしれないけれど)

結局、入稿データを眺めて、うーんと考えた結果、「片時雨(かたしぐれ)」という名前をつけた。

タイトルをつけるという行為は多分、だるまの目を入れるのと同じ感じで、在るけれど曖昧だったものをはっきりと「存在させる」ための儀式なのだと思う。だからこそ、タイトルをつけるというのは非常にプレッシャーを覚える。

「片時雨」というのは、「ある一方では雨が降ったり止んだりしているが、ある一方では晴れている」というような、そんなことをいう。

人生、雨も晴れもある。そんなにはっきりと天気がわからない、傘を差すほどでもない小雨や曇天なんかが一番鬱陶しいということもあるだろう。雨が降ったらいつか晴れるよ、なんてことが救いになった試しはない人間なのでそんなことは言わないけれど、ただ、「片時雨」という状態を示す言葉があるというのは、世界の事実として、少し面白いなとも思う。「引き」のアングルからの表現。昔の日本には、拡大率を変えて物事を見ることが上手な人が多かったのだろうか。山の上から町を見下ろしたり、そういうことが多かったから気づいたのだろうか。

結局、全ては一過性のもので、自分の上の晴れも雨も、くるくると行き交って過ぎていく。人間というのはそういう、どうしようもないものの中で共に生きている。

写真を撮る人の中には、光を探す人と影を探す人がいる。これは愛と哀と同じくらい、近い距離のものだとも思うのだけれど。

私は影を探す方だなとなんとなく思っていたけれど、今回このミニフォトブックを作っていて、「影の中にある光を探していたいのだ」と思った。特別なものは撮らず、日常の隅っこにある何でもないものを撮る。そんな人間の撮った写真と言葉の冊子、もしよければご覧ください。


01.書かずに描いた

2022-10-19 18:20:22 | 日記

パスワードを失念し、今日この日までログインができずにおりました。
藤宮ニアという名前で小説を書いたり、中西須瑞化という名前でPRライターをしたりしています。ここではIDを取得している「nia(ニア)」と名乗りましょうか、と言いつつ、ここまで来ると名前って何なんだと思いますね。もはや何でもいいです。

 >> 一応、自己紹介的なものたち

プロフィール

雑なポートフォリオ

・小説サンプル

one by one / 私たちの幸い / 雨後に願う

電子書籍「リトルホーム、ラストサマー」(NovelJam2018秋 花田菜々子賞受賞作)

 

ちょっとしたご縁をいただいて、今月からgooマルシェルさんに参加させてもらうことになりました。よろしくお願いします。

普段は電子世界でぽちぽち文字を打っているもので、こういうところに作品を出すというのは初めてです。

さて、何を出品しようかなぁと、掌編小説と写真を合わせて何かをしようか、それともエッセイなんかを書いてまとめた冊子を作ろうか、などぼんやり考えていたら、なぜか、絵が出来たんですね。不思議ですよね。なのでまずは、絵を出品してみます。

元々はひたすら散文や小説や詩歌を書いたりしている人間でした。だけど「言葉」の無力さ、言葉にした瞬間に失われるもの、みたいなものに気づいた頃に、写真を撮るようになりました。そして今回、この機会をいただいて、なぜだか絵を描いてみたくなりました。言葉を書くということは、結局空中に漂う何かを伝えたいだけであって、その手法は何だって構わないのかもしれないと改めて思う。(そういえば昔は音声作品を作ってみたり、いろいろトライしていたことがありました)

絵を描くということに、私は苦手意識がありました。

「自由な発想で」なんて言われると、途端に何を描けばいいのかわからなくなる。

模写はできても、絵は描けない。自分自身に対してそう思っていました。

けれど、それから何年も何年も生き続けてきた結果、なぜだかスルッと、ここにきてキャンバスや絵の具を手に入れたくなり、手に取ることができるようになりました。

 

絵というのは、言葉とも写真とも違う、不思議なものです。

写真よりも鮮烈で、言葉よりも刹那的で。

軌跡があり、息吹があり、それでも何かを規定はしない。言葉の世界でよく直面する、取りこぼす・取りこぼさないという議論の前に、身を委ねても良いものなのかもしれないと、描きながら思っていました。

私自身、誰かが生み出すものを見るのが好きで、気に入ったものがあればそばに置きたいなと思うタイプの人間です。信楽焼がたくさん並ぶお店で、気になって手に取った作品がどれも同じ作家さんのものでびっくり楽しかったという経験もあります。笑

文字書きの人間が、“書かずに描いた”ものをここに出すのはどうなんだろう…とも少し迷いました。何かこれに言葉を足して出品するのがいいのかもしれない、とも。だけど、今回はなんとなく、もう少し自由にやってみてもいいのかもしれないと思いました。

もし、この作品をそばに置いておきたいと思ってくれる方が現れたとしたら、その時に浮かんだ言葉を添えて、ありがとうの気持ちを届けたい。そんな風に考えています。

言葉にしろ写真にしろ絵にしろ、あるいは私自身の人生そのものにしろ、いつか、どこかの誰かにとって、ほんの一瞬でも数日でもいいから、心が豊かになる補助輪のようなものになれたら幸せだなぁと思いつつ。自分でもまさかですが、一つ目は書かずに描いたものを、お届けできたらと思います。

 

来月は中身のわからない物語の封筒を売ろうかと思っていますが、それよりも購入者の方にお題をいただいて、それに対して即興で物語を書く方が自分も面白いかもなぁなんて思い始めました。自由に楽しく、セッションみたいな何かを生み出せたら嬉しいな。大変かな。笑

ひとまず、お誘いいただいた機会を満喫しつつ、「#注目クリエイター」なんて恐れ多いハッシュタグと共に、情報の海へ流してみます。ぷかぷか揺蕩うボトルメッセージみたいに、いつか気まぐれに、誰かのところへ届きますように。