正直に言うと僕は過去、女性のことを"知識"としては人間に分類しながら"意識"としては別の種類の生き物だと思っていた。万能感を期待しながら見下し、尊敬・崇拝しながら性的に消費するには、同じ人間だと思っていると整合性が取れなかったのだ… twitter.com/i/web/status/1…
— きーん (@Kean_Univ) 2018年12月26日 - 12:52
妻と向き合い、娘3人を無力で何の役割も負っていない状態から育てる過程を経て、僕は女性が人間であることを初めて"実感"した。人間と暮らしている→彼女らの属性は女性である という順を経て初めて、女性であることは彼女らにとって人間である… twitter.com/i/web/status/1…
— きーん (@Kean_Univ) 2018年12月26日 - 12:52
僕が女性に求めていた万能感、見下す対象になること、尊敬・崇拝の対象になること、性的に消費し得ることは、どれも別に必要ではないことを知った。
— きーん (@Kean_Univ) 2018年12月26日 - 12:52
そしてそれらを求めるようになったのが生来の感覚ではなく環境による刷り込みであったことも段々と実感できるようになってきた。
女性を何となく同じ人間でないと感じているのは昔の僕だけではないだろう。多分、かなり大勢いる。整合性が取れないほどの役割を女性に期待するような認知やそれを形成させる環境を見直すのは我々男性自身であるべきだが、洗脳された人が自分自身で洗脳を解くことの難しさもすごく感じる。
— きーん (@Kean_Univ) 2018年12月26日 - 12:52