YEAR3210

風に転がる迷走日記

トォルバドールの詩

2010-06-29 20:53:37 | 日記
トォルバドールの詩


トォルバドールの詩が
やせた大地に流れる
葡萄の酒の匂いが
西風に流れる
遥かに響く 運河の唸り

イーリアスとオデュッセイア 
赤い血の酒で 今も語る

砂に朽ちた剣を
歴史は見逃すことはない
かつて憎悪に満ちていた
国境も今は 和んでいる

子供らに示す道はあるか
導くための力はまだあるか

少女の傷んだ靴を
直す古い指先
革の焼ける匂いが  フランネルに絡みつく

遥かに響く 運河の唸り

イーリアスとオデュッセイア 
赤い血の酒で 今も語る

痩せた犬は遠くを見て、待ち人を待つ
帰るはずのない主を 骨になるまで 待つ

月のうさぎ

2010-06-28 21:28:36 | 日記
月のうさぎ



魔法の呪文を ほどいているけど
絡んでしまって あなたに届かない

砂浜に書いた 迷宮経路
かすかにたじろぐ 影にもたれる

あたしは 月のうさぎ ねえ、気づいてよ
移り気な 雨雲に隠されてしまう前に

折れそうな弓月 眩しいのは朝日じゃない
火の星 土の星 あなたはどこにいるの

カシオペアを横切る 難破船
天の川で すべてを燃やしたい

あたしは月のうさぎ ねえ気づいてよ
幾億年も 御伽噺を 一人で 編んでる

西風に乗った 鳥の群れが
待ち人ですかと問いかける

あたしは月のうさぎ 一人にさせないで
満ち潮にはぐれた 小魚みたいに

あたしは月のうさぎ ねえ抱きしめて
引き潮の貝殻に隠れてそいまう前に

戦場の少年

2010-06-27 17:55:08 | 日記
♪戦場の少年            


西陽が突き刺す 瓦礫の街に
一人で生き抜く 少年
カメラを見つめる瞳の奥に 誰も信じぬ心が 見える

身の丈より長くて 古い銃身
廃墟で抱きしめて 一人眠る
節くれだってる小さな手に 握り締めてる 家族の写真

戦場の少年 彷徨う大地
制圧 服従 略奪 反抗
覚えた言葉が 尖っている


歴史も見捨てる 冷たい雨が
置き去りされた火薬に 降り注ぐ
祈りを添えてる 慈愛の雨音 いつか覚えた 子守唄

戦場の少年 戦う大地 誰のために 何のために
生まれた国が違うだけなのに

大河を渡る 自由な鳥が 人間なんてと かすかに笑う
大地の柵は 朽ちるだけ

大地の柵は 朽ちるだけ

時代は変わる

2010-06-24 21:29:15 | 日記
殴る蹴るの暴行を加え、長年酷使したパソコンが壊れてしまい、ほぼ諦めていた。十五万円の予算を準備し、電気屋を巡った。急な出費は急にやってくる。大いに計画が狂う。同じタイミングで身の回りに衝撃的なことが起きてしまった。もっとも親しかった友人の死である。この精神的ダメージは計り知れない。彼は闘病中、ライブに足を運んでくれた。去年の秋のライブの映像、最後に、彼の、「じゃあ、まだよ、」の一言で映像が終わっている。何かを暗示しているかのように。・・・
 パソコンはだめで元々と考え、全てのデーターを消去しリカバリーをし、NTTコミュニケーションズに遠隔操作で復活を頼んだ。一時間もの電話でのやりとりがあった。電話の向こうでやれ、パスワードだのアドレスを入力してくださいと言う。緊張して汗だくになる。ドットを押せと言う。緊張しているからドットのキーがわからなくなる。こっちの態度、キー操作が全て見抜かれているのである。電話の向こうの女性は、ドットに手間取っているぼくにみかねて、では、「る」を押せという。パソコンのキーボードで「る」はなかなか見つからない。英文字の「Q」なんてのは見つけ出すまでしばらく時間がかかる。女性はやさしく含み笑いをしながら「る」を押してくださいと言った。僕は「る」を押した。その格闘の結果、治ってしまった。完治である。0120でよかった。
全く新しいパソコンに生まれ変わってしまった。全ての動作が俊敏になった。以前はラジオに接続したら三分ぐらい待たないとつながらなかったが、その後は三秒でつながるようになった。タイガはDJの素質があるかも知れないなぁ。逝ってしまったあいつ、しょうないね、人も時代もかわる、しょうないね、しょうないね。

早朝の新車

2010-06-09 20:43:00 | 日記
朝方、前を走っていた車はピカピカの新車だった。
眩しいぐらいの新車だった。見ているだけで恥ずかしくなった。
ピカピカの新車に乗ることほど恥ずかしいことは無い
と思う。わざと追い越しを掛けてわざとじろじろ見てやりながら
その車と運転手の横顔を見る。運転手はこんな細い県道で
追い越すんじゃねーよ、馬鹿ヤローと言う顔でオレを見る。オレ
はわざと見下したタイドで薄ら笑いをしてみる。
その持ち主の心境。
*勤続年数、35年、ひとつの会社に仕えてやっと主任の肩書き、
 子供も就職していよいよ、余裕。(まだキビシイケド)
 思いあまり、思い切り、頭金多めに出し勇気を持って身分不相応
 ながらついに買ったこのマークツー。それを汚すヤツはたとえ
 バッタであろうと、ミチバタのタンポポであろうと、アカイエカ
 であろうと許しませんな。土曜日は最高級のワックスをかけ、
 車内は無論、禁煙、飲み物もお菓子もダメ、当然。
 私はこのマークツーさまのオーナー。私の今後の人生は、ツマ
 でもなく、子供でもなく、この新車さまとともにあるのです。
 無理な追越を掛けて泥でも跳ねたらこの車様になりかわり
 せいばいしますからね。・・・
ざっとそんな心境であろう。金満国家、ひとつの会社ヒトスジ、
そんな日本の象徴的、図柄、風景である。
ピカピカの新車、おーかっこ悪い。そういう自分の車も新と言える
時代があった。その時代はその車に乗ることが恥ずかしくて恥ずかしくて
仕方なかった。車保有歴、32年、その間、数台の車を乗り継いだ。
最初の2台は中古、その後、7台は新車であった。その間、自ら洗車
と言う作業は記憶にある限り2回しかない。一度目は四駆の車で
茨城の海岸で車半分まで海に浸かってしまった時。もう一回は、
江戸川区でホームレスの写真を撮影していたら犬のクソを投げられた時。
長旅のあとあまりに汚い時、近所の高校生に三千円で洗ってもらった
ことも数回、あったっけか。車は長靴のようなものである。
無事、走ればいい。自信の無い車で遠出して、現地にたどり着いた時、
無事、帰還した時、ある種の達成感に包まれる。
車で遠くまで旅行に出かけたとき、家に帰ると、そのヨロコビの方が
人知れず大きかったりする。それこそ現代の冒険と言う気がしてならない。
車を買うときは得体の知れない中古を買うよりも新車の方がなにかと
いいに決まっているが、もし、いつか新車を買ったとしても、
二週間ぐらい雨ざらしにして台風の中を走り回り、車中に宿泊し
ビールと焼き鳥で一杯やりながら、気持ち悪い新車の匂いをかき消して
から道路を走らせたいもんだ。
今時の車は10万キロでやっと大人の仲間入り、人生はそれからだって
気がてならない。僕のドレイ車はやっと来月1Oマンキロになる。

変換への道

2010-06-07 20:47:42 | 日記
(基本)

僕は東京駅に買い物に行き、その帰りに夕飯を食べた。そしてその後に
甘味処に行き僕の大好物のあんみつを食べた。うっかりしていたらだいぶ時
間が過ぎてしまい、高速バスのバス停まで全速力で走った。

KONASAN&NEMIYAN MIX風

ものすごく久しぶりに東京駅に行きました。いつものことだけど
右も左もわからず、あたふた。今日はお友達のお付合いなんだけど
なんとなくはしゃいじゃいました。さっそく、REMIのお勧めのラーメン屋さんへ。
おいしい!久々にラーメンに感動です。それだけじゃなく
そのあと、話題の甘味処ノンノンへ。フウ。
そこでまたあんみつを頂きました。
途中、成田のスポーツ、益子商店でスパッツと絆創膏をゲット。
すっかり完食。100キロ、記録を気にせず完走を目指して。
早く帰らないとシロウナギナナナナナナちゃんが腹をすかしているから。

シラギ屋風

・・・・・・
そごのラーメン食ってみればいーだ。食ったーが?
うめがったが?
・・・あめーのーは、だめだー。バスんながのビール
かーねーどしょーめー。

アリの動物園

2010-06-04 23:35:01 | 日記
子供がまだ小さかった頃、よく動物園に連れて行った。動物園などは
子供をダシにしないとなかなか行かないところなので、大人が動物を
見たいからと言う気分も正直あった。上野動物園で缶ビール片手に象
を見ていた。
子供はその象には全く興味を示さず、檻の前にある僅かな砂地に生え
ている草むらを眺めていた。両手で子供を抱え挙げてもいっこうに象
を見ない。ただ地面だけを気にしている。なぜだろうと思ってしゃが
みこんでみるとそこに小さなアリが群れをなしていた。
子供の視線は低い。大人の見えないところが見えている。まして、全
く動こうともしない像をただ眺めているより、忙しそうにざわめいて
いるアリを見るほうが子供にとってはおおいに疑問を感じ、不思議を
感じるのである。興味、なぜなぜ感はそういう他愛の無いところから
生まれてくるのだ。動かない像を見ても大人でさえ三分もあれば確実
に飽きる。
それならば今度は熊だと言うことになる。熊は大きな溝のその向こう
のコンクリートで模擬的にこしらえた岩山で昼寝をしている。その岩
山に植栽された木々には自由なカラスが熊を見下ろしている。子供の
視線はあきらかにカラスにあった。東京駅から上野までの異動空間は
すべて人工物の中である。上野駅公園口から上野動物園までは一応は
木々があり公園的であるがそれは明らかに人間が作り上げ人造物であ
る植樹区域はフェンスや煉瓦でたて分けられ、地面はコンクリートで
固められ側溝がある。子供にとって動物園の動物はその延長線上にあ
るにしか過ぎないのである。
軍隊ありが列を成してひとつの方向に向かっている。その列は草むら
の中に吸い込まれている。子供にとってはその行く先が気になってし
ょうがない。
中にはその流れに逆らって逆向きに走るアリもいる。
「きっと忘れ物だ」と言うと子供は批判的な目で親を見上げる。
たかだか二、三才でも本能的に何かを感じているのだろう。大人は子
供に対して色々なことを擬人化するくせがある。それで子供を力尽く
で納得させようとしているフシがある。ディズニーランドなどはある
意味でその極地ではないのだろうか。
それが平和の象徴であることは間違いない情操教育という面ではいい
のかもしれない。
しかし、ほのぼの、たのしい、みんな仲良し、さあ、手をつなごうで
は、本来の野生本能、防御本能、創造力、加えて体力は衰えていくの
ではなかろうか、
数年前までは子供をつれよく釣堀に行った。今は誘っても絶対に来な
い。
理由を尋ねると「サカナがかわいそう、面白くない」と答える。
それならば海釣りはと聞くと目を輝かせ、飛び跳ねてよろこぶ。
海釣りのサカナに対してはかわいそうと言う意識はなく楽しくてしょ
うがないということがよくわかる。子供たちは冒険がしたくてしたく
てうずうずしている。
学校は五時までに家に帰ること、学区外には絶対に行かないこと、港
には行かないこと、云々、規則を子供たちに与えて子供の安全を守ろ
うとする。
果たしてそれでいいのだろうか。だから子供たちはゲームの中の冒険
に逃げるしかなくなっている。格闘ゲームやアドベンチャーゲームに
視線をあずけるのだ。
時代は変わってしまったと言えばそれまでだが、最近のこんな子供た
ちが近い将来、国を運営する係りになる。僕らこれから老人予備軍は、
その子供たちが管理監督するこの国の中で生かされる?生きることに
なる。
不安を感じるがだからこそ、この先、老人の絶対数は増えるが強い老
人も増えていく公算でいる。だから何となくは安心しているのだが。
いつの時代でも人が集まれば十人十色でありプラス例外がいる。
歴史の中でその例外とは坂本龍馬だったりジョンレノンだったりする。
例外が増えるとそれは平凡に変わる。
例外になりたいが、例外は暗殺されるから考えなくてはならない。
例外者になるために必要なものは思想だ。突拍子も無い思想が時代を
変える。
混迷するこの国は、もはや例外的政治家が出現しないと救われないの
かもしれない。

今の老人達はかつては本当に軍隊アリみたいだった時代もあった。
どっちがしあわせなんだろう。

シラカワゴー

2010-06-02 20:49:34 | 日記
旅の友人から、シラカワゴーと誘われた。
シラカワゴーといえば確か世界遺産だ。
日本の真ん中。岐阜県の山奥というぐらいの認識しかない。
僕の父方の父は岐阜県からのナガレモノだという話を
去年の父親の葬儀の後、15才も年下の父親の妹、つまり
僕から見たら叔母に聞かされた。そのじいさんは
東京で板前の仕事をしていたと言う。
そのじいさんが働いていた料理屋にやってきたのが、
ヤマサ醤油の関係者、いきさつは既にわからないが、銚子から
仕事がらみで都内に来て、その板前(僕の祖父)の
味に魅せられてしまい、そのまま見過ごすわけには行かず、
半ば強引に銚子に連れてきてしまい、そのままこっちの人になった
と言う話を聞かされた。だから僕の近い先祖は岐阜なのである。
岐阜県は僕と同じ苗字がとてもポピュラーで、この辺でいえば、
宮内さんみたいなものなんだろう。
そんな岐阜県のシラカワゴーにいつもの酒まみれの電車旅行
に行くつもりになっているのだが、調べてみた。
岐阜県と言うと、東海道を通って名古屋あたりから北上するのが
一番近い気がするが、調べてみた結果、本州を縦断して直江津まで
出てそこから高岡まで下がり、後は車なりバスなりで南下するのが
何となく近いという事がわかった。
さてシラカワゴーに行って何をすればいいのだろう。
茅葺屋根の欠片を少々、譲ってもらえばいいのだろうか。僕の友達
の一人で、被爆した漁船、第五福竜丸の船体の欠片を持っているやつがいた。
僕は二十代の頃、イカホ丸の欠片を持っていた。
しかし、もう、そんなものは興味が無い。
スペースシャトルのタイルの欠片をもらったとしても嬉しくもなんとも無い。
年とともに価値観は変わるのである。
友達から届けられる九十九里のハマグリの方が数段嬉しいのである。
然しながら、ライトアップされたシラカワゴーを眺めながら、湯上りに
冷たいビールを飲むのは、これは至極、シアワセだと思う。
それがあるからこそ、のこのこと出かけてしまうのだな。
またしても午前中からほくほく鉄道の中で、午前中に許されたビールの
域を超えて焼酎、日本酒の中に埋もれてしまうのだな。
電車で旅に出て良く見かけるのは缶ビールならぬ缶ワインである。
このあたりではまず見かけない。
どこだか忘れてしまったその缶ワインをまとめて本買って乗り込む電の中で
飲むつもりでいた。あろうことかその乗り込んだ電車はいわゆるボックスで
はなく車両にあわせた長いすだった。つまり山手線と同じ。そう書けばわかるでしょう。
その環境で酒を飲むのは辛い。前の席の人とすぐ目が合う。隣の席は赤の他人、
まして膝当たるつり革の人は上から見下ろしている。目の槍どころのない
ままに、