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■韓国プロ野球 「僑胞」選手事情 厳しい上下関係に苦労 「半日本人」のヤジも

1987-08-10 17:04:03 | 在日

韓国プロ野球 「僑胞」選手事情 厳しい上下関係に苦労 「半日本人」のヤジも

1987.08.10

 助っ人外人。日本と違って韓国プロ野球では、青い目ではない。在日韓国人--「僑胞」(キョッポ)のこと。誕生六年目、すでに何人もの僑胞選手が韓国に渡った。現在、大洋で活躍中の新浦寿夫(金日融)投手のようにUターン組もあるが、現役の若手選手は、“半外人”の壁に悩みながらも、祖国に野球人生をかけ、そして根づこうと、懸命に努力しているようだ。そんな中の二人、青宝ピントス・チームの金信夫(金城信夫)投手(24)と高広秀(高原広秀)内野手(24)を取材した。(ソウル・土生修一特派員)

 青宝ピントスの本拠地、仁川市は、ソウルから西へ三十キロ離れた港町だ。潮の香りがする仁川球場で練習が始まった。時刻は午後四時、蒸し暑い。内野手の高選手は、遠投に始まり、守備練習、打撃練習をこなし、バッティング投手まで務める忙しさ。金投手は翌々日が登板予定とあって、この日は肩ならし程度。投球練習後、「ここの練習は毎日同じで、ホンマ退屈ですわ」と苦笑しながら、ネット裏に顔を出した。

 金投手は兵庫県の高校を卒業後、八二年南海入りし、昨年ピントスに入った。南海時代の四年間、一軍経験はなし。「去年一月に来ました。韓国は初めてで言葉もわからんし、一週間したら韓国人の顔見るのも韓国語聞くのもたまらんようになって……。ノイローゼだったんでしょうね」と入団当時を振り返る。

 試合が始まってからは野球で頭がいっぱいになり、落ち込むヒマがなくなったという。それでも、慣れない土地での生活。苦労も多い。その最大のものが言葉。「新浦さんみたいに全然しゃべらんでもええいうんなら別やけど、やっぱりこっちの人と話したいしね」。チームメートとのカタコトのやりとりで少しずつ覚え、今では日常会話なら何とか通じるまでになった。それでも、「相手が本当に何を考えてるかわからんですね」。それに、上下の別が厳しい人間関係も苦労の種。日本でのプロ経験から、練習方法などで改善策をコーチに進言しても聞き入れてくれない。「年下の者が口答えしたらアカンのです。これで何度悔しい思いをしたことか」。また、言葉がわかるようになると、「パンチョッパリ(半日本人)」といったヤジも耳に入るようになる。「やっと差別されない国へ来たと思ったのに……」と言葉を飲み込んだ。

 「それでも不思議ですね。この前、前期が終わって日本に戻ったんですが、三日目にはソウルへ帰りとうなりました」

 昨年の成績は十勝十敗。今年はこれまで三勝九敗。「また日本でやれるとは思っていません。こっちで成功したまま終わりたい」と締めくくった。

 場所は変わり、金、高両選手が住む高層マンションの一室。八畳ほどの部屋が三つと十二畳のリビングルームがある。家賃は球団持ち。

 高選手は八一年の夏の甲子園に、兵庫・報徳学園の「一番・サード」として出場、見事、全国制覇を達成した。この時の報徳学園はエース・金村義明(現近鉄)選手をはじめチーム十八人のうち七人が在日韓国人選手だった。「昔からキョッポの親友が多く、おかげでいじけることもなく学生生活を送りました。今でも金村からは電話があります」。甲子園優勝後、日本選抜チームの一員として初めて訪韓もした。法政大野球部ではほとんど代打要員だったが、高選手の巧打ぶりを見ていた韓国球界関係者にスカウトされ、昨年、卒業と同時にピントス入りした。

 高選手の場合も、最大の悩みは言葉の壁だった。入団当時、「韓国人なのになぜ韓国語が話せないのか、と面と向かってなじられた時には、なんでこんな所が祖国なんやとがっくりしました」。飲み屋でもメモとペンを離さず、一語一語覚えていった。現在は日常の用を足すには不自由はしないという。

 現在の悩みは、出番が少ないこと。昨シーズンはピントスには金基泰(金城基泰=元巨人、現三星)投手がおり、高選手は「外人選手二人」枠からはみ出してしまい、成績はシーズン全体で五打数安打なし。千六百万ウォン(約三百十万円)の年俸も千三百万ウォンに減り、「信夫(同室の金投手)の半分になりました」。今年は八月八日現在で八打数二安打。ピントスには二軍がないため、二軍戦を通じてアピールする機会がない。

 「日本へ帰りたい」と思うこともあるが、「やはり、来て良かった。本来なら両親の生まれたこの国は、金払って留学せなならん所なのに、好きな野球して金もらって、言葉も覚え、韓国人とも知り合えたのやから」と日に焼けた顔をほころばせた。帰りに高選手の部屋をのぞくと、読みかけの「ゴルゴ13」がベッドの上に置かれていた。

 ◆“東方礼儀の国”での野球指導 日本流通せば反発も◆

 在日韓国人選手が初めて韓国プロ野球に入ったのは、発足二年目の八三年だった。張明夫(福士明夫)投手(元広島)を始めこの時入団した四人は、いずれも三十歳以上のプロ経験者。彼らは即戦力の助っ人であると同時に、プロ野球とは何かを教える指導者として高額の契約金で迎えられた。助っ人としては各自が一定の貢献をしたが、指導面では、日本流を持ち込むことの反発も強くて必ずしもスムーズに行かず、人間関係がギクシャクすることも多かったようだ。「自分の祖国は日本でも韓国でもない。あえていえば、その中間の日本海」=金戊宗(木本茂美、元広島)選手の発言が示すように、彼らの祖国への思いは一層複雑なものになった。

 これに対し、現在、選手登録されている在日選手九人中五人が二十代で、このうち二人は日本の大学野球から直接、韓国球界に入った。彼ら若い選手は、韓国で実績を作り上げる立場にあり、一日も早く韓国流の野球に慣れようと懸命だ。ただ慣れるためには、野球ばかりでなく文化の差も乗り越えねばならない。

 在日韓国人選手のなかで、これまで一番ファンの関心を集めたのは、張明夫投手(八六年まで在籍)だろう。本塁打を打たれればグローブをたたきつけ、不満な判定には激しくクレームをつける彼の態度は、“東方礼儀の国”を自負する韓国民から「礼儀知らず」として非難を受けた。しかし、他方で、一シーズン三十勝をあげた彼の実力をファンも十分認め、“悪役スーパースター”としての関心を集めた。韓国のファンは、キャラクターより実績第一主義。成績が良ければ、国内選手であろうが在日選手であろうが熱烈な声援を送る。現役の在日選手では、昨年十九勝をあげ、今年もすでに十一勝しているOBベアーズの崔一彦投手(山本一彦、専修大)が、好成績と甘いマスクでファンに人気がある。

※元記事 読売新聞



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