伊豆一宮・三島大社は以前、一の宮ご朱印めぐりをする前に参拝したことがありました。
もちろん、そのときも普通のご朱印は受けました。
神社の駐車場はだいたいが無料なのでありますが、こちらは1時間200円の料金を支払います。
静岡県の東端、三島市大宮町に鎮座し、地元はもちろん、大型観光バスがひっきりなしに立ち寄るメジャー系の一の宮。
ご祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)。山の神様だ。積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)と二柱を総称して三島大明神と言うそうです。
積羽八重事代主神はいわゆる事代主で、大国主命の子神。素直に国譲りに応じたほうの息子だ。
時期が時期なので境内では、来年に向けてと思われる注連縄を打っていた。
この総門の注連縄になるのでしょう。
総門近くの福太郎茶屋で名物・福太郎餅を一箱購入。これが結構美味しい。
連れの女性がトイレに行ったが、紙がないと一旦引き返してきた。ディッシュを持って再度向かう。帰ってくると、あとから来た女性も紙がなくて困っていたので、余っていた紙を差し上げたそうだ。
大社と銘打つ観光地ならば、トイレのメンテくらいはしっかりしておいてほしいものだ。
いま、ちょっとだけ話題になっている源頼朝公とその妻・政子が座ったとされる腰掛石。
私はあまり得意ではないが、花が咲くとその香りが、とんでもなく遠くまで伝わるという金木犀。
三島から足を延ばして修善寺へ。桂川に沿って修善寺の温泉街。
修善寺の寺は本当は修禅寺。
伊豆のうちから時折、修善寺を通って沼津方面へ行くが、修善寺の町というか温泉街に行くのは初めて。
なんと、手水舎の水がお湯。しかも温泉。しかも飲めるらしい。
マスコミで出た十割そばの店を楽しみに行ったが、定休日でもないのにお休み。
すぐ近くにある虹の郷という娯楽施設が、メンテランスのために休園中だからなのか。近所に何軒かある蕎麦屋とか店も、申し合わせたように・・・きっと申し合わせたのだろうが、お休みしていた。
地方に行くとよくある、かつてのテーマパーク的な施設の衰退を、またここでも見たような思い。
静岡市駿河区にある久能山東照宮に行ってきました。
久能山に直接行くと、1000段を超える階段を上がらなくてはいけませんので、
久能山のさらに上にある日本平駐車場から、ロープウェイで向かいました。
日本平ロープウェイ乗り場の駐車場。ガラガラでした。
お殿様が乗る籠をイメージしたゴンドラ。
もう一基はオレンジ色のお姫様仕様だそうです。
日本平はその昔、日本武尊(やまとやけるのみこと)が東征の際、草薙の原で野火の難にあったときに、
天叢雲の剣つまり草薙の剣でなぎ払い、難を逃れたのがこの辺りとされています。
その後、日本武尊がこの山頂に登ったという説話です。
別にアトラクション的なものはありません。
ただひたすらに眺望を楽しみます。(下のほうに写真あり)
神社にも関わらず拝観料というか、参拝料を払います。
日光東照宮もそうですが、神社メグラーとしては些かむっとしております。ちなみに一般大人500円。そして博物館は別料金。
御祭神はもちろん徳川家康。
1616年4月、徳川家康が駿府、現静岡市内で亡くなると、その遺命によりその夜のうちに久能山に葬られました。
二代将軍徳川秀忠により1年とか2年とかの歳月で建てられたということです。
久能山の麓、つまり南側から来ると、ここまでで1000段くらいの階段を上ってきます。
一段ずつが高いのです。昔の武田信玄ゆかりの城郭跡らしいです。
唐門へは直接行けず、向かって右側から回り込みます。
途中にある日枝神社を参拝させるためか、正面に見える直通階段の老朽化のためかわかりません。
拝殿は日光東照宮と同様、他の神社にはないような神輿のようなつくりですね。
本殿まで間近に見えるのはうれしいです。
別に日光東照宮を絶賛しるわけではありませんが、それに比べると規模を縮小した東照宮という感じでしょうか。
ただ、見栄えが良いのは繰り返し修復しているからでしょう。
当時のまま?と思えるものは石段くらいかな。
周りの木々も見た目、なんだか細いような気がして、年代物には見えません。
さらに奥上層に進むと家康公の廟があります。
日光もそうですが、本当に徳川家康の遺骨が入っているのかは疑問ですね。
私の目当ては御朱印帳。
観光地でありますから、御朱印は日付だけその場で入れてくれます。
最近の台風により、久能山や日本平の山が崩れかけております。
木が宙に浮いた状態になっています。思ったのですが、この辺りは大変もろい地層になっているのでは。
日本平東展望台より駿河湾と富士山を臨みます。
帰路、今年開通した新東名の話題になっている沼津駿河湾SAに寄りました。
2Fテラスより眺望。思ったより狭い印象です。
フードコートで食事をしたのですが、フードコートで味云々は言えませんが、それにしてもまあまあの結果でした。
最初は物珍しく混雑していますが、名物でもない限り他のSAと同じでしょうね。
ある出版社発行の「一の宮巡拝完全ガイド」を見ています。
一の宮をめぐる者にとって、とても参考になる書籍です。
しかし、ちょっと「おや?」と思うところがいくつかあって、出版社に問い合わせてみましたところ、
ご丁寧にご回答をいただきました。
ところが、そのご回答にもちょっと納得がいかない私です。
まあ、そんなに追及するようなものではありませんし、
第一、歴史というものは、もともと解釈や史実とされているそのものの真が曖昧なところがありますから。
今回は志摩国一の宮・伊雑宮(いざわのみや)が同書にはない点が納得いきません。
とてもアバウトな言い方ですが、たいていの一の宮本を見るにつけ、
志摩国、現在の三重県東部の鳥羽市、志摩市を中心とする、
思っているより広範な周辺地域を指すのですが、
その地域の一の宮神社は伊雑宮と伊射波神社(いざわ神社)となっています。
この「一の宮巡拝完全ガイド」には伊雑宮は載っておりません。
志摩一の宮として伊射波神社は載っています。
出版社に問い合わせたところ、次のような回答をいただきました。
◆志摩一宮として伊雑宮をあげなかったのは、編集時点(2011年3月時点)
で全国一宮会のリストに入っていなかったからだそうです。
発刊後に情報が変わった形となり申し訳ありませんが、
ご了承いただければ幸いです。
2011年3月時点とありますが、それ以前発行のたいていの「一の宮本」には、
志摩一の宮は伊雑宮と伊射波神社が掲載されています。
このご回答にはそうとう苦しいところがあると考えざるを得ません。
伊雑宮は伊勢神宮の別宮で、言ってみれば伊勢神宮代行みたいな。
いわれは、倭姫云々とあるが、元伊勢をめぐる説の中で一時天照大御神のお祀りに関連しての言い伝えみたいなものがあるらしいが、資料等いっさいなく、宮自身のパンフレットやホームページにも「一の宮」という記載は出てきません。
なにか周りが担ぎ上げていて、本人は関知せずの様相を呈している。
ちなみにもう一つの志摩一の宮・伊射波神社は、たどり着くのが困難と言っては言い過ぎかもしれないが、そこに行くぞ!と決めて行かないといけない立地で、神職の在中もなく、一の宮めぐりの中でも、越中国一の宮・雄山山頂に座する雄山神社峰本社とともに難易度の高い社とされています。