一昨日のブログには、行こうと思ったきっかけなどを書きました。
24日の夜に出て下道で行こうと思っていたのですが、
仲間の情報によると、予備燃料を持っていった方が良い、
という事だったので、まずはガソリン携行缶を買わなくては、
と思い、カーショップやホームセンターを探しましたが、
どこも品切れ。
仲間に連絡したら、20Lの携行缶にガソリン入れて渡してくれました。
その関係で、出発は25日の朝になりました。
軽のパンでも半分も積むと、かなりの金額だったので、
救援物資をお願いできる方は、夜何時までに
持ってきてください、みたいな感じで知り合いに
一斉メールで応援要請しました。
突然にもかかわらず、
何人もの方が、協力してくれました。
みんなの協力のおかげで、物資が結構集まりました。
ちゃんと積んで行くよ、の画像です。
資金提供してくれた友や、、物資提供してくれた友、
道路情報を提供してくれた友、放射性物質の実際の
状況を提供してくれた友のおかげで無事に行けました。
みんな、ありがとうね!!!
いわきの市役所に問い合わせたら、
受け入れ先のNPOを教えてくれたので、
何が必要なのかを教えてもらい、
そのリストにある物を届けました。
途中の水戸辺りから高速に乗っちゃったので、
意外にも普通に行って帰ってこられました。
常磐道は、昨日の時点では、いわき中央ICまでは
通る事が出来、その先が通行止めでした。
道路の凸凹こそあるものの、通れてよかったです。
物資の下ろし先は、いわき中央ICを下りた近くの
工業団地の中、下記の倉庫でした。
下の画像は、ちゃんと行ってきたよ、の証拠画像として撮りました。
分かりやすいでしょ?
津波の届いていない町中は、電気が消え、窓を閉め切っている様子。
みた感じで、ですが、10件に1件くらいやってるガソリンスタンドは、
千葉辺りの震災から2~3日目、以上に大渋滞でした。
開いていないお店も多く、歩行者もほとんどいません。
帰りは下道で、、、
と思ったら、渋滞に嵌りそうだったので、迂回して、
高速で桜土浦経由で帰ってきました。
だいだい千葉から片道230キロ、時間にして3時間とかそのくらいでした。
迂回路では、少しだけ津波の被害があった場所を通りました。
火力発電所がある辺りです。
比較的、軽めの所しか撮れず、本当にヤバイ場所は、
プロパンガスのボンベとか、ゴロゴロ転がっているような状況です。
さすがに、その場で写真撮影する余裕は無かったです。。。
やっぱり、現地を自分の目で観てきて正解でした。
なんだろう、受け取り側の解釈を限定させるような報道のあり方?
みたいなものは凄く感じましたね。
詳しくは書けませんが、自分の中での震災に対する、
緊急課題みたいな焦りとか、不安とかは無くなりましたね。
あとは、長期的に関わっていくしかないんです。
腰を据えて、じっくりとね。
慈善団体がどんな訳で、義捐金、義捐金、ぎえんきん!!!
、と言うのか良く解りました。
自分で完結させてみると解りますが、
やってあげたい事をするためには、
お金は湯水のようにかかります。。。
ただ、現金が入ってくると、自分のものだと勘違いしてしまう
人や団体も、中にはあるそうですので、なるべく義捐金を
託す相手を良く調べたほうが良いですね。
被災者に対する支援も、ソフトからハードまで全て求められます。
そのニーズも徐々にボランティアから、プロの仕事へとシフトしていきます。
例えば、瓦礫を撤去しても産廃業者でもなければ、
捨て場が確保できません。
ガス屋じゃなければプロパンボンベの取り扱いなんて解らないですよね。
話を聞いてあげる事がものすごく大切です。
それは思いやりのある方なら出来ますが、心の苦しさは見えませんので、
心療内科や精神科医の診察が必要な方もいらっしゃるでしょう。
ちょっと話がそれますが、約9年前、父が交通事故で、
ある日突然、帰らぬ人となりました。
ある日突然ですから、残された人は、心の整理に何年も掛かります。
当時は母や兄に代わって、
僕が父のやっていた鉄工所事業の残務整理を全て引き受けました。
かなり先になる予定ですが、もし、父に会う機会があったら、
「俺って頑張っただろ?」と、父に胸を張って言えます。
比較するものではありませんが、津波で安否がわからず、
行方不明のままの親族がいる方の気持ちは、どれほどなものか、
と思います。
想像を絶する精神的苦痛なはずなんです。
身内がそんな中でも、被災地の病院に留まって看護市として
人のために、自分の出来る事をしている方。
また、同じように行方がわからない母がいるにもかかわらず、
同じ避難所のお年寄りを、振る舞いによって元気にしている
高校生もいますよね。
彼らは今まさに、一生ものの心の財産を築いているんだよね。
そんな中で、後は僕に何が出来るのだろうと考えました。
考えて出来る事はやりました。
その上で、後は長期的な視点でやっていく事に決めました。
今日からは、完全に日常業務モードに切り替えます。
エアコンクリーニング千葉県
根本クリーンサービス
24日の夜に出て下道で行こうと思っていたのですが、
仲間の情報によると、予備燃料を持っていった方が良い、
という事だったので、まずはガソリン携行缶を買わなくては、
と思い、カーショップやホームセンターを探しましたが、
どこも品切れ。
仲間に連絡したら、20Lの携行缶にガソリン入れて渡してくれました。
その関係で、出発は25日の朝になりました。
軽のパンでも半分も積むと、かなりの金額だったので、
救援物資をお願いできる方は、夜何時までに
持ってきてください、みたいな感じで知り合いに
一斉メールで応援要請しました。
突然にもかかわらず、
何人もの方が、協力してくれました。
みんなの協力のおかげで、物資が結構集まりました。
ちゃんと積んで行くよ、の画像です。
資金提供してくれた友や、、物資提供してくれた友、
道路情報を提供してくれた友、放射性物質の実際の
状況を提供してくれた友のおかげで無事に行けました。
みんな、ありがとうね!!!
いわきの市役所に問い合わせたら、
受け入れ先のNPOを教えてくれたので、
何が必要なのかを教えてもらい、
そのリストにある物を届けました。
途中の水戸辺りから高速に乗っちゃったので、
意外にも普通に行って帰ってこられました。
常磐道は、昨日の時点では、いわき中央ICまでは
通る事が出来、その先が通行止めでした。
道路の凸凹こそあるものの、通れてよかったです。
物資の下ろし先は、いわき中央ICを下りた近くの
工業団地の中、下記の倉庫でした。
下の画像は、ちゃんと行ってきたよ、の証拠画像として撮りました。
分かりやすいでしょ?
津波の届いていない町中は、電気が消え、窓を閉め切っている様子。
みた感じで、ですが、10件に1件くらいやってるガソリンスタンドは、
千葉辺りの震災から2~3日目、以上に大渋滞でした。
開いていないお店も多く、歩行者もほとんどいません。
帰りは下道で、、、
と思ったら、渋滞に嵌りそうだったので、迂回して、
高速で桜土浦経由で帰ってきました。
だいだい千葉から片道230キロ、時間にして3時間とかそのくらいでした。
迂回路では、少しだけ津波の被害があった場所を通りました。
火力発電所がある辺りです。
比較的、軽めの所しか撮れず、本当にヤバイ場所は、
プロパンガスのボンベとか、ゴロゴロ転がっているような状況です。
さすがに、その場で写真撮影する余裕は無かったです。。。
やっぱり、現地を自分の目で観てきて正解でした。
なんだろう、受け取り側の解釈を限定させるような報道のあり方?
みたいなものは凄く感じましたね。
詳しくは書けませんが、自分の中での震災に対する、
緊急課題みたいな焦りとか、不安とかは無くなりましたね。
あとは、長期的に関わっていくしかないんです。
腰を据えて、じっくりとね。
慈善団体がどんな訳で、義捐金、義捐金、ぎえんきん!!!
、と言うのか良く解りました。
自分で完結させてみると解りますが、
やってあげたい事をするためには、
お金は湯水のようにかかります。。。
ただ、現金が入ってくると、自分のものだと勘違いしてしまう
人や団体も、中にはあるそうですので、なるべく義捐金を
託す相手を良く調べたほうが良いですね。
被災者に対する支援も、ソフトからハードまで全て求められます。
そのニーズも徐々にボランティアから、プロの仕事へとシフトしていきます。
例えば、瓦礫を撤去しても産廃業者でもなければ、
捨て場が確保できません。
ガス屋じゃなければプロパンボンベの取り扱いなんて解らないですよね。
話を聞いてあげる事がものすごく大切です。
それは思いやりのある方なら出来ますが、心の苦しさは見えませんので、
心療内科や精神科医の診察が必要な方もいらっしゃるでしょう。
ちょっと話がそれますが、約9年前、父が交通事故で、
ある日突然、帰らぬ人となりました。
ある日突然ですから、残された人は、心の整理に何年も掛かります。
当時は母や兄に代わって、
僕が父のやっていた鉄工所事業の残務整理を全て引き受けました。
かなり先になる予定ですが、もし、父に会う機会があったら、
「俺って頑張っただろ?」と、父に胸を張って言えます。
比較するものではありませんが、津波で安否がわからず、
行方不明のままの親族がいる方の気持ちは、どれほどなものか、
と思います。
想像を絶する精神的苦痛なはずなんです。
身内がそんな中でも、被災地の病院に留まって看護市として
人のために、自分の出来る事をしている方。
また、同じように行方がわからない母がいるにもかかわらず、
同じ避難所のお年寄りを、振る舞いによって元気にしている
高校生もいますよね。
彼らは今まさに、一生ものの心の財産を築いているんだよね。
そんな中で、後は僕に何が出来るのだろうと考えました。
考えて出来る事はやりました。
その上で、後は長期的な視点でやっていく事に決めました。
今日からは、完全に日常業務モードに切り替えます。
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