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絵本の楽屋   by 夏野いばら

「わかってほしい」                    MOMO:作 YUKO:イラスト クレヨンハウス

もしや、始まりの絵本 ―「病みかわ・テディベア」という意匠
(*ネタバレしてます。おまけに長文です、ごめんなさい)

2003年発行。虐待された経験をもつ女性が、虐待がなくなることを願って作った絵本だという。初版から十年以上たって、ネットで「怖すぎる絵本」として話題になったことがあるらしい。すでに絶版なのだが、気になって、図書館で取り寄せてもらった。

一読して。
うーむ、これって、どうなんだろう…? 絵本として、成立しているのか?

もともと絵本・児童文学と、くまのぬいぐるみ(テディベア)は、とても相性が良い。「くまのプーさん」のように、テディベアが主人公の作品は枚挙にいとまがない。愛らしい彼らは擬人化され、名前と役割を与えられて活躍する。中には「オットー 戦禍をくぐったテディベア」のように、傷ついた姿で登場するテディベアもいるが、それでも最後に傷は癒され、物語は明るい方を向いて閉じる。ふつう、絵本は、子どもに差し出すことを前提にしているからだ。

しかし、この絵本は違う。テディベアが、徹底的に身体的虐待を受け続ける子どもそのものとして、放り出されている。名前を呼ばれることもなく、生きるに生きられず、死ぬに死ねない姿として転がされたま…。物語は閉じない。つまり、物語になっていないのだ。

こんな「怖すぎる」救いのない絵本を、わざわざ子どもに差し出す必要があるのか? というのが、私の正直な思いだった。

そこで。苦し紛れに、ちょうど目の前で箱根駅伝を見ていたダンさんに、この絵本を差し出してみた。ダンさんは精神科に勤めていて、虐待されてきた若者たち・虐待してきた親たちと付き合いが長いのです。
「どう思う?この絵本。三分で読めるから、読んでみて」。

すると、三分もたたぬうちに、予想もしない答えが返ってきた。
「んー。今の若い子らの‘病み文化‘は、洗練されてるからねぇ。
包帯クマも、もっとこう、色も影も、もっとスタイリッシュだからさ…。
あれ?このヤミクマは、包帯まいてないのか…?」

ヤミクマ? 包帯? スタイリッシュ? 一体、何のことですかい?
「検索したら、出て来るよ」

慌てて、「病み」「くま」「包帯」で検索してみると、出るわ出るわ。
血がにじんだ包帯、鎖でぐるぐる巻き、荒く縫い直されて継ぎはぎだらけ、首にロープを巻き付けられてブーラブラ… 可愛くて、こわいテディ・ベアたち。
透明の涙を流すつぶらな瞳はどれも焦点が合っていないから、余計にこわい。
けど、可愛い…けど、こわい…

驚いたことに、その洗練された「病みクマ」たちは、みな、黒Tシャツやトレーナー、パーカー、バッグにキーホルダーなどの中にいた。どれも見事に商品化されているのだ。

続けて、ダンさん曰く。精神科の外来でも病棟でも、これら「病みクマ」商品を身にまとって、「虐待されまくりです、希死念慮あります、自滅系です」と隠キャ・アピールすることが、若い彼らの間で、数年前から一つのスタイルとしてすっかり定着しているのだそうだ。初めは精神科スタッフも「刺激が強いから、そんな服は、病棟では着ないで」と注意していたが、「もはや、見慣れてしまった」とのこと。

「you tubeやツイッターのおかげだろうね。少数弱者(マイノリティー)同士が繋がることが、昔よりずっと簡単にできるから、こういう流行も、シェアされやすい」

つまり、「病みクマ」は、親から不当な扱いを受けて来たと自認する若者たちの、セルフ・イメージを引き受けるキャラとして、絵本よりももっと広い世界で、立派な地位を獲得している、というわけだ。
しかもこの絵本のクマよりも、ずっと洗練された意匠で。

しかし―。ここから先は私の空想にすぎませんが。
2003年には、まだyou tubeもインスタもツイッターもなかった。
もしや、2003年生まれのこの絵本が、「病みクマ」キャラの発祥・元祖なのではあるまいか?

つまり誰かが、この「生きれず死ねずのテディ・ベア」をこの絵本から取り出し、ネットの中に置いたのではないか。さらに誰かが包帯を巻き、また別の誰かは透明の涙を描き加えた。包帯からは血が滲み始め、時にさらに鎖が巻き付けられた。こうして、このテディベアは、ネット・デザインの中で洗練され、さらに説得力のある意匠に変えられながら、一定の若者の共感と親和性を獲得しつつ、進化・増殖していったのではないか? 誰もその躍進を止められなかったのではないか?

もしも検証して、「2003年以前には、『生きれず死ねずのテディベア』は他に見当たりませんでした」と言えたなら、この作品は、虐待されてきた人たちに「生きれず死ねずの私」というアイコンを提供した画期的な絵本、として評価されるべきだろう。そのアイコンが、対話の糸口を作り、彼らの自己アピールを可能にし、ひいては「病みキャラ」「病みかわ(いい)」文化を呼び醒ますことになったのかもしれない。

つまり、もしや、これが、始まりの絵本かもしれない―。

衝かれたように画像検索を続けていると、最も洗練された意匠の一つとして、「十字架の下の病みクマ」を見つけた。
首には鎖が巻き付けられている。宙ぶらりんの姿勢で、死んでいるのか生きているのかも判然としない。
ただ、そのすぐ頭上に、大きな星のように静かに白く十字架が輝いている。
死と、救いと、復活の象徴である十字架が。

絵本の中にはなかった、誰かが付け加えた十字架。
これほど十字架というアイコンがふさわしい場所はない、と思った。

絵本は、絶版。
それでも、この傷つけられたクマの物語はまだ閉じていない、きっと。

だって、テディベアは可愛いから。
どんなに虐待されても、本来、愛すべき、愛されるべき存在だから。
誰かに見い出され、救われ、復活する日まで、物語は続いていく。
輝く、十字架の下で。


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