「みまわりこびと」になろう
もしも、あなたの身近に「長くて厳しい冬」を耐えている人がいたら。
ただひたすらに耐えている人がいたら。
この絵本を携えて、見回って(見舞って)あげませんか。
この絵本さえあれば、あなたももう、「みまわりこびと」になれます。
「また来たよ。また読もうか~」ってね!
新約聖書の中には、パウロから信者あての手紙がいくつか収められています。
それらの手紙の中で、パウロは何度も、しつこく指示を出しています。
「汝ら キリスト・イエスに在りて 聖徒おのおのに 安否を問え」
ピリピ人への書4章21節(文語訳)
パウロが実に26人もの実名を挙げて、彼らとその家族の「安否を問え」と命じているところもあるのです(「ローマ人への手紙16章」参照)。
それは、「あなたは迫害・弾圧の中で、どうしているのか? 彼は生き延びているか? 彼女は元気にしているか? あの子どもたちは信仰を保っているか? その安否確認をせよ」という指示です。つまりパウロは、大きな試練の嵐の中で「互いに見回れ」「互いに見舞え」と命じていたわけです。
実際、このパウロの手紙は各地の教会から教会へと回覧され、それ自体が「見回り」の役目を果たしもしました。
「みまわりこびと」は無力で、問題そのものを解決してくれるわけではなさそう…
見回りに来てくれても、まだ春は遠い…
それでも、その存在は、終わりの見えない試練の時を支えてくれます。
「また、来てくれた。また、必ず来てくれる」という存在。
それは、小さな希望。
そして「自分は一人ぼっちではない」「見放されてはいない」という証しでもあります。
ちなみに。
こびと自身、見回りを辞めてしまったら、ひとりぼっち。
終わりの見えない冬の寂しさに、耐えられるはずもなく。
見回りは、彼自身が「長くて厳しい冬」に耐えていくために、
彼自身が生き延びるために、必要な業なのだとも思います。
別に、この絵本じゃなくてもいい。
絵本を持っていかなくても、いい。
誰かの「みまわりこびと」になりたい。
そんな、小さな勇気を与えてくれる絵本です。