今日、午後1時近鉄奈良・行基像前に集合、城郭研究している会員・在校生の有志が
千田先生のご好意で、大学院の千田ゼミに同行させていただき、院生と西方院山城の
現地踏破を行ないました。
奈良ホテルが建つ場所にあった鬼薗山城とその東の西方院山城は、大乗院の城でした。
まず、名勝旧大乗院庭園文化館で、展示室で大乗院関係の資料で知識を得ました。
大乗院跡が発掘調査され、中世庭園遺構としての価値があるので、江戸期の庭園を復元
すべく整備工事が進められています。
西方院城は、丘陵上に登れば広い土塁が築かれていていました。
本丸の東側には尾根筋を断ち切る東に向けた2重の空堀が深く切り込んであり、室町期の
城郭を考える上で基準例となる重要な遺構だそうです。
先生の説明を聞きながら遺構を歩き回りました。
・・・1479年8月工事再開。(中略)閏9月29日完成、しかし10月2日に一乗院方の筒井氏に
攻められ自焼した。(『大乗院寺社雑事記』)
まだ発掘はされていませんが、当時の状態を少し認識でき、また想像することができました。