音と言葉の中間領域

「体験」と「言葉」には深遠な隔たりがある
ぼくらが生きているのは現実と空想が交錯する不可解な中間領域

泣けた! 神秘! アルカント四重奏団のベートーヴェン第16番

2012-01-15 16:14:50 | クラシック音楽の話題
1月14日,松本市のザ・ハーモニーホール(小ホール)で,アルカント四重奏団の演奏会を聴いてきた.
一晩過ぎた今,感動の質がますます濃密になっていくのを感じている.それを一言で表すと,これまで感じ得なかったような,ベートーヴェンへの特別な親しみとでも言えるかもしれない.そのあたりが上手に言葉にできれば本望だが…,さて?

人間世界のドラマを血生臭く創造してきた怒れる獅子ベートーヴェンが,最期になっていくつかの弦楽四重奏曲で心の告白のような深く厳しい精神の世界を音に刻んでいった.作曲順に第12番,第15番,第13番,第14番と書いていけば,これらを聴いたことのある人なら,ベートーヴェンがどれほどの高みに昇っていったかがわかるだろう.
そして第16番ヘ長調…,ベートーヴェンのまとまった作品としては最後の曲.
人は達観の音楽という.ユニークで簡素な音の連なりは,確かに“解脱の音楽”を想わせるところがある.彼はついに清麗な天上世界へ旅立ったのか…?
ぼくはアルカント四重奏団の演奏を聴いて,透徹を極めた,融通無碍な,不可思議だった第16番の神秘のヴェールに包まれた世界が,少しばかり自分に近づいたような気がした.しかしそれは,人生の達観の味がわかった…ということではないらしい.
今回ぼくは,ベートーヴェンが昇りかかった天上から「さよなら」を言うために,もう一度降りて来たように感じた.それはベートーヴェン自身の生への名残り,残された人間に対する本当の優しさではなかっただろうか.それはぼくにとっては“楽聖ベートーヴェン”が“人間ベートーヴェン”となった瞬間であり,親しい友人と対話しているような錯覚を覚えるほどだった.だから彼とのお別れが悲しかった.
謎めいた第4楽章フィナーレ,ピッツィカートに先導されるコーダのユニーク極まりない世界! ここで彼は本当の意味で旅立つ.ここは泣けた! 最期はあったか~い微笑みと究極のユニークさで人生を閉じたのだ.

ぼくの感じているようなことは,ちょっと文学的に過ぎるところがあるのは承知している.古今数々の四重奏団がこの曲に挑み,それぞれの世界観を刻んできた.そこにはそれぞれの方法論や解釈があるので,アルカント四重奏団ばかりが良いのではない.
しかし,彼らの演奏によって,ベートーヴェンの晩年のある一面が新たに拓けたのは確かだ.彼らは,チャーミングな色彩を撒き散らし,機敏なアンサンブルと息の合った自在なアーティキュレーションによって,まさに人間ベートーヴェンを等身大に描き,それでいて透明で神秘な世界をも表現し尽くしていた.できればもう一度聴きたい.あのコーダの天上の音が耳から離れない!

※ベートーヴェンのことだけ書くのがやっとだったが,もちろんその他の曲もすべて大満足のすばらしさだったことを付け加えておきたい.

--------------------------------------------------------------------
アルカント四重奏団 演奏会
2012年1月14日(土)15:00開演
ザ・ハーモニーホール(小ホール)

アンティエ・ヴァイトハース(第1ヴァイオリン)
ダニエル・ゼペック(第2ヴァイオリン)
タベア・ツィンマーマン(ヴィオラ)
ジャン=ギアン・ケラス(チェロ)

《曲目》
モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番 ニ短調 K.421
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 作品135
ドビュッシー:弦楽四重奏曲 ト短調 作品10
ハイドン:弦楽四重奏曲 ロ短調 作品64の2より第2楽章Adagio ma non troppo(アンコール)



にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へにほんブログ村



コメントを投稿