南国だより

~土佐の主婦クライマーの日常~

望郷

2011-09-11 18:23:40 | 日々のこと

8月。お盆。

東日本震災が発生してから5ヶ月。ようやく仙台への帰省が実現しました。


仙台駅周辺では地震の跡は目立ちません。しかし、よーく見ると・・・、
外壁の一部が剥がれ落ちたまま修復待ち状態の箇所がけっこうありました。
↓こんな感じ。


そして、市内道路には、段差があちこちにありました。
「段差あり」の表示に気づかず、うっかり減速せずに車を走らせていると、
軽い衝撃を受けてちょっとビックリします。
仙台市では平均で6センチの地盤沈下があったということです。(父談)


父母や妹、祖父母、叔父叔母、いとこたち、皆、元気に過ごしていました。
私の家族や親類の生活範囲は海から離れており、津波の被害に遭うことはありませんでした。
家屋が倒壊することもなく被害は最小限で済んだため、自宅で過ごすことができました。
食料、ガソリンや灯油が十分手に入らず不便な時期もあったようですが、文字通り『乗り切った』
ということです。
ご家族や友人を亡くされた方、未だ避難生活を続けておられる方、原発事故の被害状況・・・、
まだまだ続いている色んな状況や境遇を思うと、切なく痛ましい気持ちでいっぱいになります。
そんな思いも胸に抱きながら・・・家族や友人が無事だったことを、ありがたくかみしめます。


八戸の祖父母にも会いに行きました。
祖父母は、地盤の固い高台に住んでいるので、大きな被害もなく無事でした。(海岸部では津波が発生しましたが。)
でもやっぱり怖かったと、ばあちゃんが話していました。

▼ じいちゃん、ばあちゃん、ちかりん、子供たちと。


▼ 青森の叔父・秀樹ちゃんも駆けつけてくれました。



仙台では、中学の同級生にも会いました。
10年ぶりくらいに会うユカは、震災当時はなんと石巻に住んでいて、3日間、
3人の小学生の子供たちの安否が分からなかったそうな。
想像するだけで身が縮まる思いだよ。ご家族が皆無事で本当によかったね。
震災からの無事を喜びあい、懐かしい話に花を咲かせて夜は更けました・・・。
あまりの楽しさに、写真を撮るのをすっかり忘れてたよ。
ユカ、としこ、てっちゃん、ワタル、また来年会おうね。



帰省中に、津波の被害をまともに受けた地域に行ってみようかとも思っていましたが、
あれこれ予定を入れてしまったことを言い訳に、そしてやっぱり目の当たりにするのが
怖いという思いも正直あって、津波の被災地には足を向けることなく高知へ戻って来て
しまいました。



八戸で生まれ、岩手、秋田、宮城で大人になるまでを過ごし、当たり前のように
『私のふるさとは東北』と思っていましたが、今回の震災をきっかけに、自分が
東北人であることを強く意識しました。望郷の念も強く抱きました。

私は東北人。東北が大好きなんだなぁ。

東北の復旧・復興を願ってやみません。


また来年、家族や友人と元気な姿で再会するためにも、遠い南国の地で元気に働くぞ~!