前回のなな色メールで、原発反対を主張した私。12月中旬に市内で行われた原発反対デモに参加した後、参加したデモのメインのメンバー達が熱心に関わっていた「放射能を拡散させない」活動に傾倒していきました。「原発事故による放射能汚染から子どもたちを守らないといけない」という正義感から、流れに任せて入ってしまった活動ですが、次第に「放射能汚染から県を守る」→「被災地からの瓦礫は放射性物質が残存している危険性があるから受け入れない」「瓦礫受け入れ反対!」へと運動が狭い方向に過激化していきました。
たまたまごみ焼却場がある街に住んでいたため、市主催の瓦礫処理説明会にも2回参加、2月末には県と市への瓦礫受け入れに対して慎重に対応して欲しいという要望書提出にも代表のひとりとして加わりました。しかし、同じ東北の隣県として瓦礫を受け入れることに前向きな県や市の意向を、簡単には変えることはできませんでした。また、その間かなりの量の放射性物質を含んだ産業廃棄物が民間の業者を通して、すでに県内に持ち込まれていることを知ったのです。自分がやってきたことは何だったんだろうか?行政とあれこれ丁寧にやり取りしている間に、人々の目をすりぬけて放射性物質は県内に持ち込まれていた・・・その事実に愕然とした私です。
そして今、私は「放射能を拡散させない」の活動からは離れることにしました。そもそも自分が関わろうと思ったのは、放射能を拡散させないということだけだったのか?原発をなくして、自然エネルギー中心のエコロジカルな暮らしを求めていたのではないか?と、自分の思いの原点に返ろうと思います。放射性物質を含んだ瓦礫や産業廃棄物が全国にばら撒かれ、焼却されていくのは許しがたいこと、でもそれだけに立ち向かうのが私のしたいことではない。と、そう思います。受け入れないといけないこともあると思い始めたのです。来月の連休にバニヤンツリーの代表の方と一緒に岩手県の野田村に行ってくるつもりです。バニヤンツリーは、国内外(海外は主にバングラデシュ)の人々の暮らしや環境を支援するNPOで、地に足がついた着実な支援をすることで定評があり、私が最も信頼しているボランティア団体のひとつです。そのバニヤンツリーで昨年の震災以来ずっと支援してきた野田村。そしてその野田村の瓦礫を、県が受け入れる協定を結びました。現地はどうなっているのだろうか?現地の人たちはどう思っているのだろうか?素直な気持ちで、現地の方達(漁師さん)と、向き合って話を聞いてこようと思います。
* * * *
昨年から五十肩に悩まされていたのですが、実はこれが五十肩ではなく自分の身体の形態異常から来る症候群?のひとつであることがわかりました。昨年の春頃からひどくなってきた左腕の痛みを治すためにドクターショッピング(整形外科2か所、針治療1か所、整体2か所、整体の本やネットの情報は数知れず)を繰り返した後、Iさんに紹介されたT先生のもとで治療に励んでいます。私の身体を見るなり、胸郭の小ささが身体じゅうの酸素不足を起こし、それが筋肉内に乳酸を作り出しタンパク質と結合して硬結となり、痛みの原因となっていると見立てたT先生の診断。それはすぐには受け入れられなかったのですが、自分の身体にきちんと向き合ううちに納得できるようになりました。
その後本やネットで調べて自分の状態が「拘束性換気障害」というものであることを知りました。肺の病気です。腕の痛みや肩の痛みの原因が肺にあると誰が思いつくでしょうか?西洋医学からは考えられない全体からの把握だと思います。T先生は私のことを交感神経優位な人間と言います。シュタイナー的に言えば胆汁質ですね。反応が早く行動的。でもゆっくりしない性格は、身体をゆるめることが下手です。浅い呼吸で忙しく暮らす日々は、ただでさえ低い私の呼吸能力をさらに低下させていたようです。更年期にも入り身体のしなやかさを保ってくれていた女性ホルモンともさよならしつつある現在、私の身体は少し動くと酸素不足を起こしてあちこち痛み始めています。無理できないなぁ・・・と、暗い気持ちになりながら、隣の奥さんが言っていた言葉を噛みしめています。「五十六十の坂を登るのは大変だ。」更年期、女性の身体の曲がり角ですね。
たまたまごみ焼却場がある街に住んでいたため、市主催の瓦礫処理説明会にも2回参加、2月末には県と市への瓦礫受け入れに対して慎重に対応して欲しいという要望書提出にも代表のひとりとして加わりました。しかし、同じ東北の隣県として瓦礫を受け入れることに前向きな県や市の意向を、簡単には変えることはできませんでした。また、その間かなりの量の放射性物質を含んだ産業廃棄物が民間の業者を通して、すでに県内に持ち込まれていることを知ったのです。自分がやってきたことは何だったんだろうか?行政とあれこれ丁寧にやり取りしている間に、人々の目をすりぬけて放射性物質は県内に持ち込まれていた・・・その事実に愕然とした私です。
そして今、私は「放射能を拡散させない」の活動からは離れることにしました。そもそも自分が関わろうと思ったのは、放射能を拡散させないということだけだったのか?原発をなくして、自然エネルギー中心のエコロジカルな暮らしを求めていたのではないか?と、自分の思いの原点に返ろうと思います。放射性物質を含んだ瓦礫や産業廃棄物が全国にばら撒かれ、焼却されていくのは許しがたいこと、でもそれだけに立ち向かうのが私のしたいことではない。と、そう思います。受け入れないといけないこともあると思い始めたのです。来月の連休にバニヤンツリーの代表の方と一緒に岩手県の野田村に行ってくるつもりです。バニヤンツリーは、国内外(海外は主にバングラデシュ)の人々の暮らしや環境を支援するNPOで、地に足がついた着実な支援をすることで定評があり、私が最も信頼しているボランティア団体のひとつです。そのバニヤンツリーで昨年の震災以来ずっと支援してきた野田村。そしてその野田村の瓦礫を、県が受け入れる協定を結びました。現地はどうなっているのだろうか?現地の人たちはどう思っているのだろうか?素直な気持ちで、現地の方達(漁師さん)と、向き合って話を聞いてこようと思います。
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昨年から五十肩に悩まされていたのですが、実はこれが五十肩ではなく自分の身体の形態異常から来る症候群?のひとつであることがわかりました。昨年の春頃からひどくなってきた左腕の痛みを治すためにドクターショッピング(整形外科2か所、針治療1か所、整体2か所、整体の本やネットの情報は数知れず)を繰り返した後、Iさんに紹介されたT先生のもとで治療に励んでいます。私の身体を見るなり、胸郭の小ささが身体じゅうの酸素不足を起こし、それが筋肉内に乳酸を作り出しタンパク質と結合して硬結となり、痛みの原因となっていると見立てたT先生の診断。それはすぐには受け入れられなかったのですが、自分の身体にきちんと向き合ううちに納得できるようになりました。
その後本やネットで調べて自分の状態が「拘束性換気障害」というものであることを知りました。肺の病気です。腕の痛みや肩の痛みの原因が肺にあると誰が思いつくでしょうか?西洋医学からは考えられない全体からの把握だと思います。T先生は私のことを交感神経優位な人間と言います。シュタイナー的に言えば胆汁質ですね。反応が早く行動的。でもゆっくりしない性格は、身体をゆるめることが下手です。浅い呼吸で忙しく暮らす日々は、ただでさえ低い私の呼吸能力をさらに低下させていたようです。更年期にも入り身体のしなやかさを保ってくれていた女性ホルモンともさよならしつつある現在、私の身体は少し動くと酸素不足を起こしてあちこち痛み始めています。無理できないなぁ・・・と、暗い気持ちになりながら、隣の奥さんが言っていた言葉を噛みしめています。「五十六十の坂を登るのは大変だ。」更年期、女性の身体の曲がり角ですね。