事務局長通信

2012年大阪民医連「学術運動交流集会」

 2月11日、「大阪民医連学術運動交流集会」が大阪国際会議場であり参加しました。大阪民医連傘下の事業所で医療や介護の現場で働く人が、年1回、各テーマごとに設けられた分科会に参加し、日頃の実践を交流し課題を確認していく場です。その中で行われた大阪社医研特別セッション」、東日本大震災をうけて要援護者対策を地域と連携しながら医療の立場からどうすすめるかが今年のテーマ、社医研から要請もあり準備実行委員会からし、当日のシンャWウムでは、コーディネーターをやりました。
 きょうされん宮城支部事務局長の鷲見さん、仙台市福田町地域包括支援センターの山田さん、大阪市会議員の北山さんがパネリストで、当事者、支援者、(大阪市における)対策の現状とそれぞれの視点から、実態が語られました。
 ちょっと緊張しましたが、今後の連携を確認できるいい内容となり、ほっとしました。

鷲見さんの発言の一部を紹介します。

東日本大震災を経験して…
震災当日… 
 住んでいる所は、築30年くらい経過した鉄筋コンクリート10階建ての2階。起床・就寝時の身体介護と週4回の家事援助を受けながら一人暮らしをしています。その日は家にいてお昼の家事援助を終え、出かける準備をしているところでした。そして14時46分ころ、突然強いゆれを感じたのです。最近地震が続いていたので最初のうちは、また来たかという感じでいたのですが、なかなか揺れがおさず、逆にだんだん揺れが激しくなっていきました。これまでに感じたことのない強烈な揺れが襲ってきたのです。部屋は揺れ壁に亀裂が入っていくのを目撃したときには心底ヤバイと感じました。5分位して最初の揺れが収まったころに、「東京もかなりゆれたけど仙台は大丈夫かな?」と電話をもらい話している最中に余震で、停電になってしまったのです。大体15時くらいだったと思います。それからは携帯電話やメールはっつながりににくくなっていきました。停電でそれ以降の情報はまったく入ってきませんでした。その夜は、余震と寒さと暗闇とのお付き合いでした。そうした中で、同じ建物に住んでいる方が、来てくれて散らかっていた部屋を車椅子で通りやすくしてくれました。またよく行く歌声の店の方が、おにぎりと懐中電灯を差し入れに来てくれました。その夜は、普段なら就寝介助に来るヘルパーさんも来訪できず、何回となく起こる余震に怯えながら夜が明けるのを待つしかありませんでした。

教訓を生かそう…
1)個人情報保護法の消極的運用と他人任せの行政の支援体制に怒り
2)福祉避難所の整備拡充と周知の徹底 特別支援学校の活用等
3)移動支援・仮設住宅・情報のバリアフリー化の整備・災害時要援護者登録制度の活用
4)医療ケア(薬の確保等)の整備
5)自助・共助だけではなく公助の役割が重要かつ不可欠
6)地域の人たちとの相互理解をふかめあうこと、「ひとりぼっち」をなくそう
7}自治体による被害の実態調査を早急に行うこと。復興計画の作成に必要不可欠のはず
8)避難支援体制等の確立



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