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釈尊の超能力と智慧の関係 釈尊直説の唯一の経典・阿含経あごんきょうからの考察

2015年10月23日 16時12分37秒 | 究極の超能力開発法 頭がよくなる瞑想法

 よく、仏教では、超能力・霊能力、輪廻転生、死後の世界などについて、釈尊は超能力・霊能力を説くのか、説いてはいないのか、また、輪廻はあるのか、ないのか、など議論になります。また、無記(仏教の用語で、考えてはいけないこと。)ではないのかという見解もあります。

しかし、これは、後世できた、大乗仏教が、原始仏教である阿含経(あごんきょう)を小乗だと否定し、釈尊の教えを歪曲し、錯綜させてしまったために起きたことです。

近年では、大乗仏教は全て偽経であり、阿含経のみが釈尊の本当の教えを伝えているということがわかっていますので、大乗仏教を信じていても解決できません。(大乗非仏説については、私の他の投稿をご覧ください。)

つまり、釈尊直説の唯一の経典・阿含経を読めば、簡単に決着は付くということです。

しかし、大乗系のかたには、仏教学者でさえ、いまだにこの点を認めていない方が多いのには、辟易してしまいます。

とにかく阿含経には、超能力、霊能力、輪廻転生、死後の世界に関して、釈尊が多くの見解を残されていることが確認できますので、そのごく一部を僭越ですが、ご紹介させていただきたいと思います。

また、超能力と智慧とはどういう関係があるのか、この点もよく議論になります。この点についても、釈尊の阿含経での見解をご紹介させていただきたいと思います。


まず、よく俗に、仏教では、「三明六通」ということが言われます。この点について基本論点を確認してみたいと思います。

三明とは、三明智のことで、仏教最高の三つの智慧のことです。

六通とは、六大神通力のことです。つまり、超能力のことです。ここからして、認められない大乗系の方が多いのですが、まったく閉口してしまいます。

ウィキペディアからです。

  六神通 (ろくじんずう, Pali:chalabhiññā)とは、仏教において菩薩などが持っているとされる6種の超人的な能力。6種の神通力(じんずうりき)。六通ともよばれ、「止観」(瞑想)修行において、「止行」(サマタ瞑想禅那禅定四禅)による三昧の次に、「観行」(ヴィパッサナー瞑想)に移行した際に得られる、自在な境地を表現したものである。

内容

具体的には以下の6つを指す。

 

  • 神足通(じんそくつう, Pali:iddhi-vidha-ñāṇa) - 機に応じて自在に身を現し、思うままに山海を飛行し得るなどの通力。

 

  • 天耳通(てんにつう, Pali:dibba-sota-ñāṇa) - ふつう聞こえる事のない遠くの音を聞いたりする超人的な耳。

 

  • 他心通(たしんつう, Pali:ceto-pariya-ñāṇa) - 他人の心を知る力。

 

  • 宿命通(しゅくみょうつう, Pali:pubbe-nivāsānussati-ñāṇa) - 自分の過去世(前世)を知る力。

 

  • 天眼通(てんげんつう, Pali:dibba-cakkhu-ñāṇa) - 全ての物や事象を見通す力。

 

  • 漏尽通(ろじんつう, Pali:āsavakkhaya-ñāṇa) - 自分の煩悩が尽きて、今生を最後に、生まれ変わることはなくなったと知る力。


以上ですが、この神通力と三明、
つまり三明智とは、ほとんど同じものです。

つまり、三明智とは、上記六大神通力のうちの三つとほとんど同義です。

・宿明智
・天眼智
・漏尽智


したがって、超能力と悟り、智慧は、ほとんど同義です。つまり、超能力得て、その能力を使って、世界を見る、観察することによって、智慧を得るのだと思いま す。そこには、多少のタイムラグがあるでしょうが、超能力が智慧・悟りと密接に関係あることは間違いないことと思われます。


それでは、どのようにして、超能力を獲得するのでしょうか?

釈尊は、阿含経において、きちんと修行法(成仏法 じょうぶつほう)を残してくださっています。

神通力を体得、獲得するためには、「四神足法(しじんそくほう)」を修行しなければいけないと阿含経には書かれています。(上記、ウィキペディアで書かれている修行法、止観法とも密接に関係しています。)

ここで一つの疑問が生まれます。

どうしてこの修行法・成仏法が広く知られていないのかです。

実はそれは上記のとおり、大乗仏教が原始仏教である阿含経を小乗であると否定し、その教えを封じ込めてしまったからです。

では、どのように封じ込めたのかといいますと、仏教を広く普及し、大衆化するために、修行は不要で、祈りだけで仏陀に成れるという、非常に安易な、簡単な教えを作り出してしまったのです。これが、日本でも主流の初期大乗仏教なのです。
つまり、修行は必要ない、いや、やってはいけないことなのだという教えを作り出してしまったのです。

そのために、大乗仏教徒にとっては、修行は不要、悪行だということになってしまったのです。

しかし、これは原始仏教・阿含経に対する冒涜行為であることは間違いありません。阿含経には、きちんと修行法が書かれているのですから。この辺のところを深く反省しないと、現代の情報化社会の中で、大乗仏教に明日はないと思います。


また、近年この大乗の間違った教えは、別の角度からも否定されてきています。

というのは、近年の脳科学などの発達によって、人間の脳には、致命的・構造的欠陥があることがわかってきているからです。つまり、修行法の必要性が問われてきているのです。

一つ例を挙げます。

ほとんどの人には、利き腕、利き足があります。そうすると、ここで当然ながら素朴な疑問が出てきます。それはどうして人間は、両利きではないのかという疑問です。それはどうしてかといいますと、実は人間の脳には、致命的ではないにせよ、重大な欠陥があって、右脳と左脳の連絡がうまくいっていないからなのです。人間の右脳と左脳の間には、大脳縦裂(だいのうじゅうれつ)という深い溝が走っていて、左右の脳の連絡がうまくいっていないのです。 そのために、人間の左右の脳は、均衡がとれず、どちらか一方が優勢とならざるをえず、その優勢となった方の脳とつながっている片方の腕、足しか利き腕、利き足にならないのです。

この欠陥は致命的なものではないかもしれませんが、人間の脳には人類を自ら破滅に導くような致命的な欠陥もあるのです。詳しくは、こちらの私の知恵ノートをご覧ください。


「仏教の脳チャクラ覚醒法①
人間の脳には、致命的、構造的欠陥がある!! 聖者のオーラとは!!」

https://blog.goo.ne.jp/myouken-9/e/92de515fc4acc8c4491d9acceb5d8d4c



したがって、近年の脳科学では、人間の脳を改善させる方法が、人類にとって絶対に必要不可欠ということになってきているのです。そうしてその修行法は、当然のことながら仏教には完備されているということなのです。

大体において、仏教は、聖者、ブッダになるための教えなのに、普通の人間の欠陥脳のままで、聖者、仏陀に成るというのは、まったくもってナンセンスです。

ですから、当然のことながら仏教には、そのための修行法が完備されているのです。こちらの書籍を参照してみてください。

http://www.agon.org/books/books_list_05.php

 


それなのに大乗仏教が、修行は必要ないというのは、近年の脳科学ではまったく通用しないということになります。大乗の教えを鵜呑みにしていては、人間の脳は、いつまでたっても改善できません。両利きにはなれません。

大乗仏教は、仏教を普及させるためとはいえ、致命的な教えを残してしまいました。早く訂正し、是正しないと、いずれ社会問題になると思います。


話が逸れましたので、元に戻します。

釈尊は、阿含経で、
「四神足法しじんそくほう」
という修行法によって、超能力を得るのだと説かれています。

この修行法は当然のことながら、脳の改善法と関連しています。脳を覚醒しないと、超能力は発生しないからです。

四神足法とは、釈尊が阿含経で書かれている唯一の成仏法・七科三十七道品(しちかさんじゅうしちどうほん)の中の一科目です。
詳しくは、阿含宗のこちらのサイトをご覧ください。
http://www.agon.org/about/about_000012.php


雑阿含経 ぞうあごんきょうからです。


 「比丘たちよ、四神足をこのように修習し、このように多修すれば大果・大功徳がある。
 
 比丘たちよ、比丘が四神足をこのように修習し、このように多修するときは、多端神変を経験し、一身を多身にし、多身を一身にし・・・乃至・・・乃至梵世に到るまで身によって威力を及ぼす・・・乃至・・・

 比丘たちよ、四神足をこのように修習し、このように多修するときは、諸漏が尽きることにより無漏の心解脱・慧解脱を現法において自ら証智し作証し具足して住する。

 六神通もまた広説すべし(六神通の内容を省略していますが、この修行で六神通が手に入るということです)」

 『南伝大蔵経16下 相応部経典6』大蔵出版 P129–136 (相応部は、パーリー語阿含のことで、漢訳の雑阿含経のこと。)


「   第九 説示

二 比丘たちよ、あなたたちのために神通と神足と神足の修習と神足に行く道迹を説こう。聞きなさい。

三 比丘たちよ、何を神通となすのか。
 
  比丘たちよ、ここに比丘がいて、多端神変を経験する。

一身を多身にし、多身を一身にし、現れ、隠れ、壁や城壁や山を通り抜けることは虚空におけるように、 地中に出没することは水中のように、水の上を行くことは地上のように、虚空を結跏趺坐して行くことは飛ぶ鳥のように、大神通大威徳あるこの太陽と月をもっ て触り、梵世にいたるまで身をもって威力を及ぼす。

 比丘たちよ、これを名付けて神通となす。

四 比丘たちよ、何を神足となすのか。
 比丘たちよ、それは神通を獲得し、神通の獲得に導く道であり道迹である。
 比丘たちよ、これを名付けて神足となす。
 
五 比丘たちよ、何を神足の修習となすのか。
 比丘たちよ、ここに比丘がいて、
欲三摩地勤行成就の神足を修習し、
勤三摩地勤行成就の神足を修習し、
心三摩地勤行成就の神足を修習し、
観三摩地勤行成就の神足を修習する。
 比丘たちよ、これを名付けて神足(四神足)の修習となす。

六 比丘たちよ、何を神足の修習に行く道迹となすのか。

 この聖なる八支の道(八正道)である。すなわち、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定である。
 比丘たちよ、これを名付けて神足の修習に行く道迹となす」

   『南伝大蔵経16下 相応部経典6』大蔵出版 P128–129

上記経典では、八正道との関連もうかがえます。


長阿含経 沙門果経

「こうして、遠離離貪の段を通過した者は、
解脱を遂げて、六つの神通力を得るのである。
それでは、この六つの力とは、如何なるものか。」

「一身が多身となれば、多身が一身となる。
消えた姿が現れたり、水上を歩き空中を飛ぶ。
全ての世界に出現する、これが、神足通である。」

「近くの音を聴こえて、遠くの音が聞える。
人の声が聞えて来て、神の声が聴こえて来る。
聞えない音が聴こえる、これが、天耳通である。」

「貪りを貪りと知れば、怒りを怒りと知る。
疑いを疑いと知れば、善き心を善き心と知る。
他の人の心を理解する、これが、他心通である。」

「あの時の姓はこうで、あの生の名はこう。
あの生の糧はこうで、あの時の世の中はこう。
前の時の世を理解する、これが、宿命通である。」

「近くの物を見とめて、遠くの者を認める。
この世が見えて来て、あの世が現われて来る。
見えない物を観とめる、これが、天眼通である。」

「この人は漏れていて、あの人は漏れない。
あの煩悩から漏れて、この煩悩から漏れない。
煩悩の漏れを滅尽する、これが、漏尽通である。」


雑阿含経(サンユッタ・ニカーヤ)7.1.8

「前世の生涯を知り, 天界と地獄を目のあたりに見, 再生の消滅の達成を知り, (修行の) 完成した沈黙の聖者こそ, この三知によつて (真の) 三明を持つ (真の) 婆羅門である。」


霊能力、輪廻転生、死後の世界については、下記リンク先の私の知恵ノートを参考にしてみてください。

 

 

人間は死ぬとどうなるのか? 仏陀の「成仏法」と霊魂

http://www.agon.org/about/about_000058.php

 

 

阿含仏教による「死後の世界」 「霊」の存在と「輪廻転生」

http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n45394



こういった阿含経典は、多数存在します。

したがって、釈尊が超能力・霊能力また死後の世界、霊魂を認めていたことは間違いありません。ただ、釈尊が経典で語られているように、信じられない人もいるだろうから普段は説かない、のです。

以上、参考になれば幸いです。

合掌

 

 


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