ねずみの談話🐭| muris confabulate

近況・雑感をめも。

こんにちは。

2022-09-16 14:24:12 | 近況・雑記・生活雑感

こんにちは。ふいに、ブログをはじめてみました。今までメモ帳やノートに、日記や自分の思ったことを綴っているのですが、書いたら終わり、で自己完結してしまうものだし、違うアウトプットの形をとってみようかなと思い、開設した次第です。

🐭さて、近況について。🐭
 働き始めてから実感したのですが、どうやらあまり”普通”らしく生活するのが難しいようでした。そのため、会社員を、今はいったんお休みして無職になってしまいました。この後の行動を、今は思案中です。どこかしかの大学に社会人入学を果たして 何らかの資格や専門性を身に着けるのか?それとも、なんとかできそうな仕事はないか?まだ、はっきりとは決まっていません。
 が、しかし、私は希望を捨ててはいません。もちろん自分の力で道を切り開くという努力は大切だけれども、時にはどうしようもできない困難が現れる時もあると思います。そんな時は、自分の”自然(じねん)治癒力”を信じようと、思っています。「おのずから」と「みずから」を、塩梅良いバランスで、が大切だと思います。

🐭このブログの"ねずみ"について。🐭
 このブログ自体、"ねずみ"推しなのですが、それはなぜか?についてです。なぜか?自分で書いておいて、自分でもよくわからないのですが...
 ねずみって、私の中では、よくいぢめられている可哀想なイメージがあります。例えば、人間に実験道具にされたり、病原菌の運び屋と言われて忌避されたり、猫や鳥類などに追い掛け回されたり、蛇のエサになったり...。特に最近、残虐なネズミトラップにはまってもがき苦しむねずみや、生きたまま蛇に吞み込まれるねずみを目にしたことがあって、私の中でこの生き物を、「贄(人間の暴力性を閉じ込めるための対象)」のシンボルとして見るようになりました。(これらは私の主観的感覚に過ぎません...同じような意味合いで、キリスト教では子羊が挙げられるか?)
 しかし一方でねずみは、他の動物と同等に、生態系や食物連鎖の中で欠かせない役割を果たしています。生態系というのは双方向の網目状のネットワークです。対して私たちの周りの事物・事象も、網目状に複雑に絡まっている因果のネットワークではないかと、ちょと思ったりしています。
 これをアナロジー的にみると、人間も「ねずみ」なんじゃないか、と思えてきます。...というのはつまり、人間(というか私)から見たねずみは弱っちくていぢめられがちだが、生態系のいち部分としての役割を持っている。一方 人間一人ひとり(というか私)は、この世界の中で弱っちくて少しの困難・生老病死であっても思い悩むが、社会的・事象的な網目状のいち部分としてみると、これもまた一つの結び目としての機能を有している。
この意味で、わたしも「ねずみ」なのではないか、と思うのです。メタファーとしての「ねずみ」です。
というわけで、もがき苦しむねずみに共感を覚えてしまって、ふいにブログのプロフィール画像にもブログ名にも「ねずみ」ちゃんを入れてしまった次第です。



ということで、ぼちぼち更新予定です。