理系のがんばって Art 生活

ドンくさい理系人間の悪あがき

弥勒菩薩半跏思惟像@広隆寺

2005-12-07 11:49:34 | 美術館日記

上記の写真はリンク先から直接リンクで表示させていただいています.問題がありましたらご連絡をお願い致します.即使用中止させていただきます.


私が今までで一番美しいと思った弥勒菩薩像です.

一般に,広隆寺の弥勒菩薩は,美しいことで有名で,
「日本一美しい弥勒菩薩」として知られていますが,
勉強不足の私は,その存在を高校生になるまで知りませんでした.

高校生の時,美術の時間に自画像をなかなか描くことができず,
図書館で,自画像,人物画,人物の彫刻,,,
など,様々な「人の形」を模した美術品を見ていたとき,
美術書の中で出会いました.

一目惚れでした.

どうしてこんなに美しいのかを知りたくて,
口の形,目の形,顔の輪郭など,
本に穴が開くほど見つめた記憶があります.

しかし,見れば見るほど,
その美しさが「何か」に起因している訳ではなく,
全体から発せられるオーラのようなものの全てで表現されていて,
一体どうしたらこんな優しい造形ができるのか疑問が深くなりました.

見るほどに,ただただ,
 優しい微笑み
だけが強調され,その圧倒的な優しさにおされて,
他のモノは何も見えない状態になりました.

京都にはまだ3回しか行ったことがありませんが,
そのたびに必ず広隆寺には足を延ばします.

交通
・京福電鉄(嵐電) 太秦駅から徒歩1分
・JR山陰線 太秦駅から徒歩10分
・京都バス(71,72,73,75系統)太秦広隆寺前より徒歩2分

唐招提寺展 国宝鑑真和上像と廬舎那仏@東京国立博物館

2005-02-06 21:56:54 | 美術館日記
タイトル見ると、仏像の展示が中心であるということが良く分かります。
それら、多くの仏像や瓦のカケラなどが「国宝」であると言われても、私にはあまり興味がなく、ほとんど

「東山魁夷」御影堂障壁画

を見るために行ってきました。


私は今回、初めて東山魁夷の墨絵を見ました。

墨の濃淡のみで描かれた作品の雰囲気からは、
今まで私が持っていた東山魁夷のイメージとは少し違い「意外だな」と思える部分があったり、
それでもやはり、彼の「独特の質感」を連想させるような部分もあったりして、改めて東山魁夷の魅力を感じることのできる興味深い展覧会でした。


普段、東山魁夷という名前を聞いて私が思い浮かべるのは、

緑または青の森の中に、滝または馬が描かれている

というタイプの作品です。

そして、それらの作品の多くから、私は「自然のあたたかさ、優しさ、包容力」「ふんわりとした静けさ」といった感じを受けていました。

しかし、今回見ることができた墨絵の作品からは、普段私が彼の作品から感じていたとは違う感覚として「自然の厳しさ」「張り詰めた静けさ」を感じることができました。
それらの感覚は、今まで私が東山魁夷に対して持っていたイメージとはかなりかけ離れていてとても意外だったので、ちょっとした驚きのような感じを受けました。

「どうしてこんな風に感じるんだろう?今日の私はちょっとオカシイのかな?確かにちょっと風邪っぽいしな。。。」と思ってしばらく見ていたら、順路の最後のほうで「揚州薫風」という作品の前に、それをバックにするかのように「鑑真和上座像」が展示されてるところがありました。

「御影堂」というのは「鑑真和上座像」のためのお堂なのだそうです。

それを見て、私は「あ、もしかしたら、、、」きっと鑑真和上の乗り越えてきた道の厳しさや、それに対する決意など、東山魁夷ご本人がいろんなことを感じていて、そういうものをいっぱいこめて描いたから、私がこのような感覚を受ける作品になっているのではないかと想像しました。

ただ、鑑真和上像の前には多くの人だかりができていて、じっくり絵を見ることができなかったのは少し残念でしたが。。。


墨絵だけでなく「濤声」も、いつも感じられない「厳しさ」を感じられる興味深い作品でした。

他にも「山雲」は、いつもどおりの東山魁夷の魅力の詰まった、ほっとするきれいな素敵な作品でした。


この展覧会の会期は 2005年3月6日(日)までです。
詳細は国立東京博物館唐招提寺2001プロジェクトをご覧ください。


# そうそう、そういえば廬舎那仏の後ろに回ってみたら、後頭部がハゲていたり、鑑真和上像は良く見るとヒゲが貧相にチョボチョボと描かれていたり、ちょっと笑っちゃうようなかわいさがあって、意外と仏像類も面白かったです。

日本美術院創立100周年記念特別展「近代日本美術の軌跡」@東京国立博物館(1998)①

2005-01-31 22:05:04 | 美術館日記
名画の洪水!驚きの品揃え!と言えば、やはり

日本美術院創立100周年記念特別展「近代日本美術の軌跡」

だったでしょうか。もう7年も経ちました。

この展覧会をきっかけに、それまでほとんどヨーロッパの絵画(特に印象派)にしか興味のなかった私は、日本画にも興味を持つようになり、日本画の展覧会にも行くようになりました。

確かこの後、程なくして東京藝術大学大学美術館が開設され、何点かの絵は、あまり時期をあけずに見ることができました。
いい絵は何度見てもいいな
と思ったのをよく覚えています。


菱田春草をますます好きになったのもこの展覧会でした。


菱田春草「落葉」

勉強不足な私は、それまで菱田春草の描いた絵は「黒き猫」しか知らず、菱田春草に対する印象も「よく教科書に載ってるヒトの一人」くらいにしか思っていませんでした。
しかし、この「落葉」を見て、その透明感に驚き、菱田春草に対する認識を改めました。
「落葉」を見たときの感想は財団創立55年記念特別公開「永青文庫の国宝」@永青文庫(2004.11.14)に書いています。


他にもたくさん印象的な絵があったので、今後少しずつご紹介していきたいと思います。

財団創立55年記念特別公開「永青文庫の国宝」@永青文庫(2004.11.14)

2005-01-28 00:36:45 | 美術館日記
菱田春草の「落葉」

が見たくて行ってきました。

「国宝展」というだけあって、刀や仏像などの展示もあったのですが、正直言って私はそっちにはあまり興味はありません。
そういうものの展示はほぼ素通りして、ただひたすら菱田春草の絵を見ていました。
今回、菱田春草の作品は「落葉」の左隻と「黒き猫」がありました。

この絵の美術的な意味とか、意義とか、私には全く分かりませんが、
「落葉」
は透明感が違うと私は常に思っています。

「透明感」これ以外にうまい表現が見つからないです。

高原の林の中で、秋の朝に「ああ、もう、冬が近づいてるんだな。」と感じるときの、あの、冷たい空気の、厳しさをいっぱい閉じ込めた美しさが絵の中にそのまま「在る」ように感じられます。

幸運なことに、会場がとても空いていたので、絵に近づいたり、ちょっと遠くに離れて全体を見渡したりと、いろいろな角度から何度も見ることができました。

見れば見るほどこの絵は透き通って見えて、その透明感は、屏風がまるで「超軽量の新素材でできていて、ごく薄い紙の上にごく薄く色が乗せられているから、片手で簡単に持ち上げられそう」な、物理的な質量の軽さを錯覚させられるような感覚があるとでも例えられるでしょうか。
しかし、その一方で、その絵には同時に威厳と重厚感も確実に「存在」していて、(目に見えない)透明っていうのは、質量で表すと限りなく0に近いか、あるいは∞か、どちらにしても極限の両極端な状態を、ちょっとした加減で、ふっと行ったり来たりするようなことをいうんじゃなだろうか?と思えるような気がしてしまいます。


今回「落葉」の隣には「黒き猫」が展示されていました。
この「黒き猫」の方が教科書に載ったりしていて有名なのは知っていましたが、やはり私は「落葉」の方が好きです。

私は1998年の
日本美術院創立100周年記念特別展「近代日本美術の軌跡」
の展覧会で初めて「落葉」を見てから菱田春草のことが好きになったのですが、この「落葉」の屏風は本当に何度見ても、その度に強く感動できる凄い絵です。


いい絵を見せてもらうと、日常の嫌なことが不思議と忘れられるのでとってもうれしいです。

注)この展覧会は終了しています

岡倉天心と日本美術院 -近代日本画の歩み- @日本橋高島屋

2005-01-24 21:46:38 | 美術館日記
岡倉天心

と聞くと、横山大観や下村観山をはじめとする、院展系の錚錚たるメンバの名前が、否が応でも次から次へと連想されます。
そのたくさんのヒト達の名前を思い浮かべただけで、私の頭の中では、勝手に期待と妄想が膨らんでしまい、
「これはいっとかないとダメでしょう」
とばかりに、テンションを上げた状態で、週末、久しぶりに日本橋に行ってきました。

素晴らしい絵がたくさんの充実の展覧会でした。
全体的な印象は
「うん。すごく面白かった。」
という感じです。


中でも私がひかれた絵は、

下村観山「春秋」

でした。

この絵の周りに展示されていた作品が、比較的色味の少ない、地味な配色のものが多かったせいか、ツタの葉の赤の鮮やかさと、フジの花の青の透明さが目に付き「おっ、これは?」と一瞬にして強いインパクトを受ける絵でした。
その第一印象の強さから、興味を持って、さらにジーっと絵を見ていると、鮮やかな配色とは対照的に、全体的にはすっきりとした印象を受け、不思議な感覚になりました。
この不思議な感覚は、最後には「はー。」っとため息をつきたくなるような静かさと、深い落ち着きみたいなものに変わり、その感覚の多様な変化に、自分自身が驚かされました。
インパクトと落ち着きとが表裏一体になった不思議な複雑さを感じることができ「絵ってホントに凄いな」と改めて思わせてもらいました。
素敵な絵でした。
嬉しくて顔がにやけました。


私の大好きな菱田春草の絵ももちろん何枚かありました。
中でも興味深かったのは

「竹に猫」

でした。
「ああ、この透明感に私はいつもヤラレてしまうのよね。」と思いながら、ユリの花にじっと見入ってしまいました。ユリの花の周りは、透き通っていてピンと張った空気があるように感じさせられました。
とても素敵な絵でした。


速水御舟「さみだれ」

も、とても素敵な絵でした。
カキツバタという題材は、多くの日本画家に描かれていますが、それだけに、その絵一つ一つから画家さんの個性が垣間見えるような気がして、いつもとても興味深く思っています。
私は、多くのカキツバタの絵は、全体に「華やかさ」を感じることが多いように思うのですが、この、速水御舟のカキツバタを見ていたら「華やかさ」という言葉より、むしろ「静けさ」「気高さ」という言葉が思い浮かびました。
「あ~、やっぱり速水御舟の絵は素敵だな~。」と、強く思いました。


他にも興味深く、面白い絵がたくさんありました。
ちょっと異色な感じで私の印象に残っているのは、

冨田溪仙「風神雷神」

です。
なんというか、こういう作品から受ける感覚をどう表現したらいいのか私には良く分からないのですが「面白い。絵っていろんな視点で、いろんな捉え方をしていいんだな。」と思えて、それは「素人でも興味を持ってもいい」と言ってもらえるようで、心強いような気がします。


他にも横山大観の「月明かり」や小林古径「日長」など、素敵な絵がたくさんありました。


地下鉄を降りて歩いていたら、三越の「平山郁夫展」のポスターがいたるところに貼ってありましたが、この展覧会で大満足だったので、そちらには行きませんでした。


この展覧会の会期は
平成17年1月31日(金)
です。

詳細はこちら


*本文中に出てくる絵は、、、
下村観山「春秋」
菱田春草「竹に猫」
財団法人 水野美術館の作品紹介のページに掲載されています。

ワシントン・ナショナルギャラリー展 ②(2000年頃)

2005-01-24 11:07:36 | 美術館日記
この展覧会では、順路どおりに進んでいくと、確か階段を下りたさきの部屋に、この

「日傘の女性、モネ夫人と息子」

が展示されていました。

前述のとおり、この絵はあまりにも他とは違い、異彩を放っていたので、
私はその階段を下りている最中、なんとなく視界の隅っこの方にこの絵が映っただけなのに、
瞬時に視線を持っていかれずにはいられないような状態になってしまいました。

その時の第一印象は
「うわぁ」
この一言だけです。

私はヒトの迷惑を顧みずに、思わず階段の途中で立ち止まってしまいました。

「こんなに輝いている絵は見たことがない。」&ため息。

そんな感じです。

次の瞬間、階段で立ち止まってしまったことに対してわれに返り
「いけないいけない。ごめんなさい。」
と思いながら周りを見渡しました。
すると、おそらく私と同じように階段の途中でヤラれちゃったヒトたちは何人かいて、
端に寄って立ち止まり、この絵をじっと見ている姿が数人見受けられました。

実際、この絵の前で立ち止まっているヒトは他の絵より圧倒的に多く、
その人だかりの多さもまた、この絵の魅力の強さを物語っていたと思います。

この絵の中では、明らかに今、まさに今見ている「そこ」に、
草の葉一本一本の間を通っていく風がふいていて、
どう考えてもその風は壁を突き抜けて向こうのほうまで通っているとしか考えられない感じでした。
・・・こんなツタない表現しか出来ないことが絵に対して申し訳ないです。

端的に言うと、
「輝きが違う。輝きが。」
残念ながら、それだけが紛れのない事実なので、ほかに言いようがないのです。

風を感じて、光を感じて、モネの視線のやわらかさを感じて、
もう、ただ、ため息をつくしかなかったです。

こんなに素敵な絵を描いてもらえるご夫人とご子息に、若輩者の私は軽く嫉妬のような気持ちを感じつつ、
羨望と憧れと、なぜか喜びと、、、いろいろな感情が胸の辺りで胸騒ぎみたいにザワザワとしている状態で絵を見ていました。

また、この絵の不思議なところは、視線をそらすことができないということでした。
視線をそらすどころか、もったいなくて瞬きができないのです。
私は自然と目を大きく見開いて、絵から放たれている輝きの全てを、
残さず拾って見てみたいという気持ちになっていたような気がします。

階段を歩いていた時からずっとそうだったのですが、
この絵には、最初からやや強制的に視線を持っていかれてしまって、
それからあとは、どんなに長い間見ていても「もういい」と思わせてもらえませんでした。
ただなんとなく
「そろそろ動かないと、キリがないな」
と自分を諦めさせて、二度と振り返らないようにその場を立ち去るしかなかったような状態でした。

今思い出すだけでも、あの時のドキドキ感がよみがえってきてテンションが上がってしまいます。

この絵もまた、何度も見たい絵の一枚です。

ワシントン・ナショナルギャラリー展 ①(2000年頃)

2005-01-20 23:05:57 | 美術館日記
今回は児島虎次郎の旅で登場したもう一つの絵、

モネ「日傘の女性、モネ夫人と息子」

についてです。
これを見たのは、東京都美術館で「ワシントン・ナショナルギャラリー」の展示があったときです。

残念ながら図録を買っていないので、この展覧会に関する詳細は不明です。

当時、学生だった私は、貧乏な生活をしていたため、かなり印象に残った良い展覧会なのに、
なぜか図録を買ってないというものがいくつかあります。
当時、自らの貧乏への言い訳として
「図録なんかに押し込めた、曲がった印象なんて持っていたくない。
 大人になったら、見たいときに自分がその絵にちゃんと会いに行く!」
と思っていたのですが、今考えると、実際そんなことが簡単に出来るわけでもなく、

どうせ、ほかの事に無駄遣いしてたんだろうに。。。
どうして図録を買っていないんだ?私。

と、思っています。

話が少しそれましたが、この展覧会は、
フェルメールの「手紙を書く女」
が来る!ということでもとても話題になっていました。

それ以外にも、もちろん、さすがワシントン・ナショナルギャラリーだけあって、
素晴らしい作品が数多く展示され、とても充実した気分にしてもらえた良い展覧会でした。

しかし、この
「日傘の女性、モネ夫人と息子」
だけは、あまりにも違いすぎました。(これを見たいがために、私は会期中、何度かこの展覧会を見に行きました。)

はっきり言って、他の絵の印象はほとんどありません。
フェルメールの絵でさえ
「小さくて暗いところに、すっごい人だかりが出来てたな~」
という程度にしか印象が残っていません。

それだけモネの絵は違っていたのです。

かなり前置きが長くなってしまったので、この絵の印象はまた後ほど。

近代日本美術の名品展@日本橋高島屋(1999)

2005-01-20 00:55:04 | 美術館日記
児島虎次郎の旅で出てきた、

土田麦僊の「春」

を初めて見たのが、日本橋高島屋で行われた野間さん主催の
「近代日本美術の名品展」でした。
確か、まだ、講談社野間記念館ができる前だったと記憶しています。

あのとき見た「春」の記憶が今でもあまりにも鮮明なので、さっき図録を見直して、もうあれから6年もたったんだということを知ったとき、本当に驚きました。

この展覧会は、まず入り口においてあったツボにわけも分からず圧倒され(私はツボには全く興味がないので、それがどんな有名な方のどんな作品なのか分からなかったのですが)、
さらに、横山大観、下村観山、木村武山、小林古径、速水御舟、、、藤島武二、黒田清輝、、、などなど、近代の超有名な画家の絵が、とにかくたくさんあって、どれもみな「凄くいい絵だな~。」と思わずにはいられないことに圧倒され、
「野間さんって凄いな~。」と思いながら、人の流れの中を、ただただ放心状態のような感じでとぼとぼと歩いて絵を見ていました。

その「これでもか!」ってほどの名作の洪水みたいな中で、ひときわ輝きを放っていて、私が一瞬にしてヤラれてしまったのが、この

土田麦僊の「春」

でした。

この絵は、大きくて立派な絵であるということも事実で、その大きさに圧倒されている部分もあったとは思います。
でもそれ以上に、右側の椿の可憐さ、白木蓮の繊細さと華やかさ、そして何より、真ん中の女性と赤ちゃんの姿のあたたかさ、がなんともいえないオーラを出していました。

細部を見るととても写実的に描かれているのに、全体を見ると、その絵のあたたかいオーラによって、まるでカスミがかかったかのように、ぼわっとした印象に見えるのがとても不思議な感覚の絵でした。

児島虎次郎の「登校」が
“初夏の爽やかキラキラ系”
のあたたかさなら、

土田麦僊の「春」は、まさに
“春のふんわりほんわか系”
のあたたかさを持っている、と言うのでしょうか。

両者それぞれ、違ったタイプではあるけれど、甲乙つけがたい輝きを放っています。

あれ以来、この絵を見ていませんが、児島虎次郎同様、この絵もまた何度でも見たい絵のひとつです。

児島虎次郎の旅 in 岡山 ③ -2日目 大原美術館- (2004.9.19)

2005-01-17 21:24:43 | 美術館日記
二日目は倉敷に移動し、大原美術館と、その別館の児島虎次郎記念館を見に行きました。


大原美術館

児島虎次郎自身の描いた絵はあまり多くありませんし、やや、観光名所化している感じもしましたが、彼が海外で選んできた絵がたくさんあるということで見に行くことにしました。

収蔵品は、時代もジャンルも多岐にわたり「いろんなのがあってよく覚えてない」状態になってしまいましたが、さすがにいい絵がたくさんあって、全体の印象としては「久しぶりに、たくさん楽しい思いをさせてもらえたな~」という感じでした。

児島虎次郎の絵は「眠れる幼きモデル」が展示されていました。

どうもありがとうございました。



児島虎次郎記念館

大原美術館から少し歩いたところ、アイビースクエアというところに児島虎次郎記念館があります。

斜線で描かれたすごいデッサンがたくさん見られました!!!
彼のデッサンは、何度見ても驚かされます。「どうしてこんな風に描けるんだろう?」と見るたびに不思議に思います。
成羽町美術館で、デッサンの展示がなく、少し残念に思っていただけに、ここで見られて本当に良かったです。
ここでも「わざわざ岡山まで来た甲斐があった。」と本当に思うことができました。

また、三~四年前の巡回展では展示されていなかった絵も、ここにはたくさんありました。
特に「芝の上」に感動しました。

彼の絵は、全体にやさしい印象の柔らかい作品が多いのですが、ここでたくさんの女性の絵を見ることができて少し違う印象を受ける絵があることに気づきました。
それは、児島虎次郎の描く「正面を向いた女性」いわゆる「カメラ目線の女性」は、強い意志を感じる目をしていることが多いような気がします。
文字通り「凝視」というタイトルの座った女性の絵はもちろん、「朝の光」や、(図録に載っていないので)タイトルは分からなくなってしまったのですが、スウェーデンのものらしき衣装を着た女性の絵など、
その衣装や背景のやさしい印象とは対照的に、視線だけが強くはっきりとした意思を持っていて、引き込まれるような、圧倒されるような迫力を感じます。

それらの女性達の絵を見て、私は宮崎駿さんを思い出しました。
彼の作品の多くは女性を主人公としていたり、村や工場などを守っている人たちが、みな女性であったり、強くたくましく生きる女性がたくさん出てくるように思います。
児島虎次郎の絵にも、それと共通する印象を受ける絵がいくつかあり、特にスウェーデンのものらしき衣装を着た女性の絵は、ご覧になると良く分かると思うのですが、その真っ直ぐとした視線から「ナウシカ」を連想させられました。
強くてはっきりしていて、でもやさしい。女性が秘めている強い力みたいなものを感じることができます。
たった一枚の絵から、これだけいろいろな事を連想させる児島虎次郎は、本当に凄いヒトだな~と、改めて思いました。


また、多くの画家がそうであるように、彼も時代によって画風が変化していくことが、絵のことに関して全くのド素人の私でも感じることができます。
特に、留学前後でそのタッチは劇的に変化しているように感じます。
しかし、たとえタッチが変わっても、画家が描く対象に対して持っている、目線の優しさとあたたかさ、大げさに言うと寛大さ、そして真剣さのようなものが一貫して感じられるという気がしています。
その寛大さが見るヒトを癒してくれて、その真剣さが見るヒトに強い感動を与えてくれて、そういうのがあるからこそ、彼の絵はとても魅力的なんだと私は思っています。


全体に、今回の「児島虎次郎に会う旅」は、本当に質の高い、楽しい時間をすごすことができました。
帰りの飛行機の中で、何度も何度も「あ~。もう、大満足。岡山最高。ちょ~良かった。マジやばい。」と思っていました。
機会があったらまた絶対岡山に行きたいです。

でも、羽田に着陸するとき、窓から見える東京の夜景を見て「やっぱり東京も素敵。私、ここからは離れられないかもしれないな。」とも思ってもいるのですが。。。

今回の旅行では、ますます児島虎次郎を好きになりました。彼の魅力を再確認できたいい旅行でした。

児島虎次郎の旅 in 岡山 ② -1日目 成羽町美術館- (2004.9.18)

2005-01-16 00:13:38 | 美術館日記
また

「登校」

が見られただけで、レンタカーを借りて、知らない土地の知らない道を、ちょっとドキドキしながら自分で運転して、ここまで来た甲斐があったと思いました。

率直に言って成羽町は、特になんということのない、普通ののどかな田舎町でした。

美術館がなかったら、多分一生行くことはなかったでしょう。
でも、児島虎次郎の絵が、あんなにたくさん収蔵されている美術館があるというだけで、最高の町です。
例えば、ふと思い立ったとき、いつでもすぐに「登校」が見られるという心強さを持てるのなら、東京好きの私も、やや、ここに引っ越してもいいかな、とさえ思えてしまいます。
「登校」はそれだけ魅力的な絵なのです。


この絵の発するあたたかさは、ちょっと他では見たことがないです。

まるで、絵そのものにオイルヒーターが仕掛けてあって、絵の前に立つと、ほんのりじんわりあたたかくて、居心地がいいからずっとそこから離れられない、離れたくない、というような感覚を受けます。


この絵は、三~四年くらい前、横浜のそごう美術館に巡回してきた企画展
「児島虎次郎 没後70年」展
でも一度見たことがありました。

当時、東京で学生をしていた私は、まだ児島虎次郎のことはあまり良く知らず、
「横浜ってちょっと遠いよな~。都内でやってくれてたら良かったのに。。。」
と、面倒くさく思う気持ち半分と、
「でもまあ、児島虎次郎って芸大で飛び級をした初めてのヒト(ただの噂でしょうか?)らしいし、見ておく価値はあるだろう。」
というミーハー根性半分の混ざった、中途半端な気持ちで京浜東北線に揺られてボーっと横浜に向かっていました。

しかし、この展覧会を見終えて帰るころには、興奮して背筋がしゃきっと伸び、なんだか晴れ晴れした気持ちになって
「会期中もう一度くらい見に来よう。絶対に。」
と決心して、なぜか「次はいつ来ようか?」と想像するだけで、嬉しくて顔がニヤケていました。
あの時の、なんともいえないスッキリ感というか、いろんなことに対して前向きになれるような気持ちというか、風に当たっている時のようなスキっとした感覚の気持ちを今でもよく覚えています。

「登校」
を見た瞬間、私は児島虎次郎を好きになってしまいました。
あの絵の、周囲一面を大きな手で、優しく丸くすくい上げるような、包容力さえ感じられるあたたかさはいったい何なのでしょうか。
女の子の表情も、背景の木も、全部がほんのちょっとだけ夏に向けて強くなり始めた、初夏のキラキラ乱反射する日光の束を真っ直ぐに受けて、ふわっと輝いているような感じです。


その当時から「いつかまた見たい!!」とずっと思ってきましたが、今回、成羽町美術館に行って、あのときの感動をまた感じることができて本当に幸せでした。
今回は二回目だし、時間がたって私自身も歳をとっているのに、まったく色あせることなく、あのときの感動を感じることができて、改めてこの絵の凄さを痛感しました。

ところで、この絵に匹敵するあたたかさを感じられる絵は、ワシントン・ナショナルギャラリーにあるモネの「日傘の女」と、野間さんが持っている土田麦僊の「春」だと私は思っています。どれもみな、女性やお子さんを描いているという点で、共通した画家の視点の優しさや、柔らかさみたいなものを感じられるいい絵ばかりです。


そうそう、あと、余談ですが、成羽町美術館内の喫茶店で飲んだ
バナナジュース と ミックスジュース
最高においしかったです。
ジューサーの音が聞こえたので、あの時、注文してからその場で作って下さったんだと思います。
絵とあわせて、この旅行のいい思い出のひとつになりました。
どうもありがとうございました。

児島虎次郎の旅 in 岡山 ①

2005-01-15 01:06:06 | 美術館日記
昨年の9月、
お仕事で神戸まで行ったので、思い切って岡山まで足を伸ばしてみました。

私の大好きな画家さん、

児島虎次郎

の出身地で、彼にゆかりのある美術館がいくつかあるからです。

念願だった成羽町美術館、本当に行ってきてよかったです。
やっぱり児島虎次郎さんは凄すぎます。

でも、その仕事中、神戸のヒトに

「せっかくここ(神戸)まで来たんで、このあと岡山に行くんです。」

と言ったらケゲンそうな顔をされました。

そのヒトは、
「岡山はちっとも近くないのに、なんでわざわざ岡山まで行くのか?」
というようなこと(ホントは関西弁だったんでニュアンスがちょっと違うかも?)
をおっしゃっていました。

生まれてこのカタ、ほとんど関東から出たことのない私にとっては、
岡山はのぞみでも

3時間30分もかかる、遠いところ

なのです。
何かきっかけがなかったら、絶対に行かないんです。

なのに、新神戸からはのぞみでたった40分で行けるんです。
私が

この機会を逃してはいけない!!!

と思ってしまったのは、きっと、関東以外のヒトが、
観光で

東京ディズニーランド@千葉 と
みなとみらい@横浜 をハシゴする
という
「よくそんな体力あるね~。私には絶対真似できないよ。だって両方とも相当歩くじゃん。」
と突っ込みを入れたくなる行動

と、きっと同じなんじゃないかと思っています。

あ、でもこれは、
日ごろ、みなとみらいで、ディズニーランドのお土産袋を持ってるヒトを見かけるたびに、

私が

「あ~、またディズニーランドの袋持ってる~。
 この人たちはきっとすっごく遠くからきてるんだろうな~。

 きっと、テンションあげて めいっぱい遊ぶつもりなんだろうな~。
 足が痛くてもみんながんばるんだろうな~。」

と勝手な妄想を膨らませているだけなんですけど。

話がだいぶそれましたが、
岡山に行ってきた時の感想はまた後ほど。

生誕110年 速水御舟  @山種美術館 (2004/11/21)

2005-01-12 18:37:04 | 美術館日記
「名樹散椿」
を見るのが目的で行きました。
これはやはりすごい絵でした。
鮮やかな椿の花と、何枚も何枚も丁寧に重ねて描かれた椿の葉から「華やかさの中に重厚感が同居している」という一見矛盾したような感覚を受けるました。
しかし、速水御舟の作品なので当然のことなのですが、この矛盾した感覚は決して気分の悪いものではありませんでした。
むしろその「どうしてこんな印象の絵がかけるんだろう?なんで重厚感があるのにキラキラ感もあるんだろう?」という疑問から、ますます興味を持ってその絵をじーっと見るのですが、私にはその理由は全く分かるわけもなく、ただただ圧倒され、絵の凄さみたいなものをひしひしと感じました。
今回の展覧会では、全体的に線の繊細さを感じられる作品が多かったので、その中でこれは他とは違った印象の作品で、他にはない迫力というか、むしろ威圧感すらあり、とても興味深い絵でした。

また「翠苔緑芝」も圧倒されるような存在感があり、輝いていました。
圧倒されるような存在感と言っても、これは「名樹散椿」とは違って威圧感ではなく、すっきり感があって凛としていて、上を向いた「強さ」みたいな感覚を受ける絵でした。
この絵は部分的に見るととってもすっきりしている絵なのに、全体には圧倒するような存在感のある絵で、これもまたその奥の深い感じがなんともいえない作品でした。
私は、速水御舟の中ではこの絵が一番好きかもしれないです。

ほかにも「夜桜」も、「昆虫二題」も、、、、とにかくとにかくすごい絵ばかりでした。
今まで、あまり速水御舟一人に注目したことがなかったので気づかなかったのですが、この方の描かれた絵はみな、とても繊細で他の人にはちょっとない儚さとか、切なさみたいなものを感じることができ、本当に驚かされました。

特に、植物系の静物画に感動しました。
枝や葉の描写は本当に例えようのないほど繊細で、何かこう、もどかしいような切ないような、でもなんだかよく分からないけど素晴らしい感動がありました。
特に梅や桜などを題材とした絵は、この「儚い」感じがとても似合っていて、白梅紅梅で有名な酒井抱一の屏風などとはまた違った感動のある梅の絵を見せてもらうことができて幸せでした。

いわゆる 巨匠 のお一人として、教科書に載るような作品もたくさん見たことがありましたが、この展覧会を見て、その魅力を再確認しました。

九段下から行ったので、最初は「近代美術館で今やっている『草間彌生展』もハシゴしようかな?」と思っていましたが、こっちを見たら「速水御舟と草間彌生のチャンポンはナシでしょう。どちらにも失礼だ。」と思いなおし、まっすぐ帰りました。
先週行った、菱田春草(永青文庫)とのハシゴなら良かったかも知れません。

ちなみに、これは2004年11月24日のものです。
もう展覧会は終わっていますので、あしからず。

山種美術館のHPの所蔵品目録のページには「名樹散椿」「翠苔緑芝」「夜桜」が、所蔵品紹介のページには「昆虫二題」が詳しく掲載されています。ご参考まで。