日々の思いを徒然なるままに

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解決するとは限りませんが、とにかく聞きます。

話すということ

2022-07-07 22:43:06 | 日記

昨日ブログをアップした後に、勇気を振り絞ってずっと自分が重荷だと思っていたことを話しました。

この人になら話せるって思ったから、話せました。

その瞬間は泣きながらでも、訳のわからん日本語になっていても、じっと聞いてくれました。

驚くほど軽くなったし、泣いてスッキリもしました。

 

そして、今日一日考えていました。

私は驚くほどの重荷を相手に背負わせてしまったんではないだろうかと。

自分が一人で抱えきれないからってその人に話してしまったせいで、その人にも背負わせてしまったのではないだろうかと。

 

でも、逆の立場だったら、聞いてあげたい。

聞くだけで相手が楽になるなら聞いてあげたい。

 

そして、聞いたことを絶対に一緒に背負ってはいけないとも思った。

相手は話したことで手放したと思っている。

こちらはしっかりと受け止めたように見せつつ、実は地面に流してしまわなければならない。

 

その人の感じていることを完全に理解することは不可能、不可能だからこそそれは相手の大事な感情。

 

簡単に「わかる」とも言えない。でも、理解しようって思って、寄り添うことはできる。

その時のその人の感情を想像することはできる。人間にしかできない。

想像して、寄り添う。

それしかできないけど、それがものすごく安心できる、ものすごく力になる、ものすごく勇気を与えてくれる。

 

立ち向かうための力になる。解決しなかったものに、新しい見方を与えてくれる。

 

話すって、とっても大事だと思った。

 

見ず知らずの人に話すのに抵抗があった私ですが、今はそんなことはありません。

インターネットのおかげで、電話のおかげで、LINEのおかげで

顔を見なくても相手に伝えられる。

 

インターネットにはメリットもデメリットもあるけど、こうして簡単に人と繋がれるからこそ

「話すこと」「聞くこと」の偉大さをもっと上手く活用していきたい。

 

私はなんでも聞きたい

あなたの避雷針になりたい

全てを受け止めることは、できないかもしれない。でも寄り添うことはできる。

 

それくらい、おっきな存在になりたいと思った。


毎日毎日

2022-07-06 22:29:27 | 日記

ブログ開設だーって息巻いて開設したけど、そんなに毎日毎日書くネタがない。

というよりは仕事が忙しくて書けていませんでした。

 

ところで最近人生をやり直したいと思うくらい後悔した出来事がありました。

存在や気持ちが当たり前すぎて感謝の気持ちを忘れ

失うことなんてないだろうとたかを括っていたら、非常に呆気なく失いました。

 

もちろん気づいた時には遅いですし、自分の中でその存在がそんなにも大きかったのか、と失って初めて気づく始末です。

 

よく、「大事なものほど失ってから気づく」とかいう言葉を目にします。

かくいう私もそんなのわかってるよ、感謝の気持ちも忘れずに生きてるよ

って思っていました。

 

後悔先に立たず、先人たちが残してきた歴史から何も学ばずに

失ってから気づいてしまっています。

 

そして、泣きました。久しぶりに泣きました。

泣いて泣いて、そして今、考えています。

 

これからどうしよう?

 

結局過去は変えられない。これは普遍の事実です。

アドラー心理学に言わせれば、過去は存在すらしない。あるのは自分が与えた「意味づけ」だけ。

 

では、私はこの後悔にどんな意味を与えたら良いのでしょう?

悲しみに暮れる若い男の失恋劇のように同情を誘うか、

この過去を発信し、同じ過ちを他者にしてほしくない!と教訓にしてもらうか、

 

実は、まだ見つかっていません。

立ち直っていないですが、それは立ち直る選択を自分がしていないからです。

立ち直らなかったら、その人が戻ってくるんではないかと期待している自分もいます。

立ち直ったら、もっと遠くにその人が離れていくのではないかという不安もあります。

 

そうして、自分は立ち直る選択をする勇気を出せずにいます。

 

みなさんは、こんな経験ありますか?


与える人

2022-07-03 21:10:10 | 日記

ギブアンドテイク

よく聞く言葉やけど、見方をかえると「何かをもらうと、何かを返さなければいけない」という貸し借りのニュアンスがあるみたいであまり好きではない。

それよりかは、「与える」でも何かを返してもらおうとは思わない

純粋に相手のことを思いやって損得勘定抜きに「与えたい」

 

ここへいろんな思いを書いているのは、正直自己満足。

でももしこれをみた人の中に、「そんな考え方もあったのか」って思ってくれる人がいたらいいなとは思う。

プロモーションしていないので、閲覧数多く無いけど。

 

逆に「こんな考えもあるよ」って教えてもらえそうなのも良い。

 

自分にできることって少ないかもしれないけど、力になれることはあるかもしれない。

相手の話をじっくり聞き、何ができるかなって考える。

人に会う前には、「自分は相手に何を与えられるだろう」と考えてから会う。

「相手から何を得られるだろう」って考えると相手からも何かを奪われるかもしれないって、ビクビクしないといけなくなる。

それはちょっと楽しくなさそう。

 

会う人、オンラインの友達、どちらであっても、変わらない。

自分の持っている知識と経験をどんどん共有したい。

 

最近そんな風に思うようになった今日この頃でした。

 


働く

2022-07-01 21:51:04 | 日記

「働く」とは一体なんなのか

 

「誰かのためになること」はたとえその規模が小さく、ごく限られた人のためであっても「働くこと」であり

「自分のため」に行うことはあくまでも趣味の範疇を出ない。

 

自分はどういう感覚で仕事をしているんだろうかと考えた。

「誰かのために」って思って働いているけれども、どこかで「お返し」を期待していないだろうかと。

期待することを悪とするという意味ではなくて、無償の献身でお金をいただくというのが働くということなのかな

 

見返りを期待すると、その期待が叶わなかった時に苦しいし、楽しくない。

それに、その働き方は「他人に依存している」と思う。

 

自分の中で「役に立ったな」って思えたら、それが本当に役に立ったかは別として、自分は幸せでいられる気がする。

 

その中で、他者からの評価は後からついてくる。

「こんなにやっているのに評価されない」と嘆くのは、自己評価が高すぎるだけで、評価という見返りを期待している。

そうすると、働くこと自体が苦しくなるし、本来のクオリティで仕事が出来ないんじゃないかと思う。

 

小さなことでも「誰かのために」って気持ちを忘れなければ、そして損得勘定を抜きにできれば楽しいと思う。

でも、それを意識している時点で、損得勘定で動いている気がする。

また、「これだけしてもらったから、これだけお返ししよう」という発想もやはり見返りを期待する結果になる気がする。

 

働くというのは、大昔から誰かのために何かをすることであり、そのお返しがどうとかって発想がないものだと思う。

強いていうならば、相手が喜んでくれたかどうか。喜んでくれたら嬉しいし、喜んでもらえなかったら、自分を改善しようとする。

 

他人を思いやり、他人の立場に立って働くというのはそういうことなのかなって思う。

そうすると、学校で勉強することの意義の一つにそのための準備というのが含まれる気がする。

勉強はなんのためにするのか。たとえば歴史や数学ってそのまま世の中で使うことって限られる。

でも、他人に喜んでもらいたいって人は、そんな一見無意味に見える勉強からもヒントを得て他人のために動けると思う。

 

今勉強が辛いとか、なんのためなのかわからないって人は、未来を少し想像してみてほしいな。

今勉強することで、他人に喜んでもらうための知識が増える。そうやって喜んでもらった行いは、世の中を巡り巡って自分に返ってくる。

 

勉強嫌だなって人にも、将来こうなりたいなって夢みたいなのがあると思う。

その夢の先、ある職業につく事かもしれないけど、それによってどうやって人に喜んでもらったり、役に立ちたいかってことまで考えると、勉強の苦しさは少しは和らぐのではないかって思う。

 

将来あなたに何かをしてもらい、救われたり、喜んだり、幸せを感じる人は必ずいる。その人たちにはまだ出会ってすらいないけれど、応援してくれている。

将来、私を幸せにしてねって、

 

働くことって本来はとっても素晴らしいこと。

お金のため、食うため、いろいろあるんだろうけど、一番は、「人の役に立ち、喜んでもらうため。」

そこで得られる相手の喜びや感謝はお金では買えない。

 

明日も誰かのために仕事したいなって、いや、仕事だけじゃなくて、何事も他人のために何ができるかなって考えて行動したいな。

 

 


話すということ

2022-07-01 00:18:23 | 日記

今日めちゃくちゃ話しました。

内容はほとんど覚えていませんが、とにかく話して、自分の心がスッキリしています。

不思議です。話さなかったら心をとらえて仕方なかったことが、話した途端に溶けて無くなっていきました。

 

人間は生きていくために忘れる能力を手に入れたと言います。

でも、覚えることよりも忘れることの方がはるかに難しいです。

 

はい、忘れました

って簡単そうでできない。

トラウマも、嫌な記憶も、忘れたいと思うほどに強化されて脳に残ってしまいます。

 

でも、人に話すと忘れます。

何で悩んでいたのか、何が辛かったのか、何が苦しかったのか。

一回で忘れることが無理でも2回3回と話していると忘れます。

 

不思議ですよね。英単語や熟語は何回も話すと覚えてテストで点が取れたのに、忘れたいことは話すとちゃんと忘れる。

人間にしかないというこの能力。

もっともっと利用していったら、幸せな毎日が送れそうです。