無教会全国集会2019

2019年度 無教会全国集会ブログ

沖縄からの報告

2020-07-21 10:45:48 | 特別プログラム

         「沖縄基地の歴史と現状」

                                                                           西浦 昭英

プロフィール
 一般企業に2年間勤務した後、私立中学高校に35年間勤めました。修学旅行の引率で初めて沖縄を訪れ、強い衝撃を受け、その後、ミッションスクールの教職員組合として、沖縄平和の旅を企画しました。
今年3月、60歳で退職しました。退職後は、沖縄で平和ガイドを希望していましたが、辺野古の埋め立て工事が強行されているので、移住先を名護にし、毎日辺野古や安和に通っています。6月に、日本キリスト教団沖縄伝道所に転会しました。1992年、当時勤めていた聖学院高校の修学旅行の引率で、初めて沖縄を訪れた。原稿なしで約1時間半、沖縄戦の経験を語るひめゆり学徒隊の宮良ルリ先生の力強い講演と、初めて入った糸数壕で、全員の懐中電灯を消した時の墨を塗ったような暗闇の衝撃は今も忘れない。

当時、平和学習としての沖縄修学旅行が少しずつ増え始めていた。その頃のバスガイドは、必ずしも戦跡・基地に詳しくなく、平和学習をしたいというニーズに応えるように、ボランティアでバスに乗車する「平和ガイド」が生まれ、聖学院高校は初期の頃からお世話になった。平和ガイドの方々は、平日は仕事、休日はガイドをし、人が足りない時は有給休暇を取ってガイドをしていた。その厚意に応えるために、私は当時30代だったが、漠然と退職したら沖縄に移り住み、平和ガイドをしたいと思っていた。

職場の定年は65歳だが、今年(2019年)の3月に担任をした高3が卒業したので、定年より5年早く3月末で退職し、4月に沖縄に移住した。ガイドが長年の願いだったが、20年以上辺野古・高江で厳しい闘いが続いているので、しばらくは辺野古に通うことにした。

4月、名護での生活が始まった。6時起床、7時少し前には家を出る。辺野古の浜のテントでの打ち合わせは7時30分、一日のおおよその行動、マスコミや見学者の人数の報告、天候と潮の確認などがある。

カヌーで抗議行動をする場所は、辺野古の浜から約1㎞、カヌー単独では時間がかかるので、船で曳航する。私はその船長の見習いをしている。名護市西部の安和鉱山から船で運ばれた土砂(県に申請していない赤土がほとんど)が、K9と呼ばれる桟橋に陸揚げされ、1日ダンプ約600台分が埋め立てられている。一方、次の桟橋に使われるK8も使われている。カヌーは工事現場に近づこうとすると、カヌーの隻数より多い海上保安官が直ちに拘束するため、なかなか工事を遅らせることができない。安和から土砂を積んだ船がK9に到着する前、抗議する船やカヌーの侵入を防ぐため、海上に広く張られているフロートを一旦外す作業をする。カヌーのメンバーはその開口部にロープを縛り付け、自ら抱きついてフロートを外させないようにする。保安官も必死に仕事をするので、拘束されるまで長くても1時間くらいだろうか。かつて、抵抗活動の相手は業者であって、保安官は中立であった。ところが、現政権になって、保安官が前面に出てくるようになっている。

約1年前から、安和桟橋でGOGOドライブが始まった。名護から美ら海水族館に向かう国道449号線をまたいで、安和鉱山と安和桟橋がある。鉱山から土砂を積んだダンプは、国道を右折して桟橋に入る。交通量は比較的多いが、信号で車が途切れると、ダンプは次々と桟橋に入るので、ダンプが桟橋に入らないように、一般の車の隙間を埋めるように車を走らせるのである。渋滞を引き起こさないので、一般の車の通行に迷惑をかけないし、道交法上も問題はない。また、桟橋に入るゲート前では、反対する市民が、立ち止まると業務威力妨害になるので、歩道を歩き続ける。機動隊は力ずくの拘束はできず、交通整理として立ち止まってもらうだけなので、赤信号の変わり目に1台が入れるだけである。こうして通常より遅れて出船しようとする船を、辺野古から運ばれてきたカヌーが妨害する。結果的に、ダンプの台数を1/2~1/3に抑えている。残念ながら人数の関係で毎日効果的に行われていない。ゲート前、GOGO、海上行動が上手に組み合って毎日行動できれば、現在の工事を大幅に遅らせることができるだろう。

 昨年まで、辺野古には10回以上は行った。ゲート前だけではなく、浜のテントにも行った。行かない人よりは問題意識は低くはないと思う。しかし、何回行ったとしても、工事を遅らすことはできない。工事を遅らし、断念させるためには、現場に行って、自らが体をはらなければならないと強く感じた。辺野古の埋め立て工事を止めたいと思っている人は、辺野古や安和に来て行動に移して欲しいと思います。

『醜い日本人』(注)という、何とも刺激的な題名の本がある。著者は、最近亡くなった元沖縄県知事の大田昌秀で、執筆当時は琉球大学に勤めていた。著書の前書きで、明治期から沖縄戦、アメリカ統治下にいたる沖縄と日本の関係を説き起こす中で、彼は「沖縄に関して,日本人は醜い」と断言している。確かに、読み進めていくと、この言葉は間違いではないと思われてくる。

 修学旅行の事前学習の資料として、パワーポイントの作業を初めたのは10年ほど前からだ。その後、教会や市民グループの学習会に招かれるごとに版を重ね、さらに昨年(2019年)、名護に移住して現場の写真を使うようになりページが増えた。沖縄を学び、実際に生活する中で、「本土」と沖縄の関係に、著しい差別の構造があることが分ってきた。そして、その差別と「醜い」という言葉には、共通性があることを良く理解できてきた。

 地理的にも、歴史的にも、政治的にも、経済的にも、あらゆる面で沖縄は差別をされ、誰も嫌がる米軍基地を押し付けられている。いくら声を上げようとも、10万人をこえる集会を開こうとも、工事は止まらない。新基地の建設を止めるのは、座り込みでしかない。その平和的な抵抗運動は、かつて洗礼を受けられた一人の老人、故阿波根昌鴻さんの思想と行動を起源としていることに、深い感動を覚える。

 工事を少しでも遅らせるために、具体的には、土砂搬出のダンプを1台でも減らせるために毎日海と陸で抵抗運動を続けている。

(注)あれから30年,日本人は醜さから脱却できたのか.沖縄問題の原点を示した旧著に,沖縄県知事としての経験をふまえ加筆した新版。



 



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