結婚式も恙無く終わり 8代目の跡取り夫婦の誕生だと
本家や分家や新宅などの長老などに祝っていただきました
大和の古い淀んだ流れに 高千穂の清純な空気を送り届けてもらえることは
まことにありがたいことだと 義父の挨拶の言葉も記憶に残っています
嫁を勤めに出すことはできないと聞いていたので
東京での教職は一応退職して奈良に入りました
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大和の家 (2007-02-05の自分史より)
大和の家は閉鎖的というのが第一印象でした
全く言葉通りで 三百坪の屋敷は周囲に塀を廻らしています
門家(もんや)は一日中 締め切っていてはいけません
朝6時に開けて夕方 6時には閉めてという
規則通りの生活があります
日曜日など朝寝を楽しみたいと思っても 6時に門家をがらりと
開けなくてはならず 開けたら最後 用事のある人が入ってこられるし
主婦はもう起き出さないといけないので大変です
だから 嫁を働きに出すというのは家の恥という考えが
おばあちゃんたちには残っています
「門家を締め切って、嫁まで働きに出して生活に追われている姿は、
ご先祖様に申し訳ない!」と何回も聞かされました
私は主人が難病を患っていたので 子供が授かったと分かった時に
すぐに奈良県の採用試験を受けました
中学校の国語の教師になるためです
主人の万一の場合に備えて 私がスペアとなり
3人の子供を育てる義務があります
長男 二男と授かる内に 一人を実家の養子にするためには
3人の子供が欲しかったのです
4姉妹だった私は 男の児が3人も授かったことは
とても自慢で嬉しいことでした
父も三男坊が実家の跡取りに来てくれると うすうす思っていたらしく
肩車をしたり抱っこをしたり 特に可愛がっていると私は感じていました
門家を入ると表前栽(おもてせんざい)があります
ツゲ 金木犀 皐月などが植えられていますが
樹齢三百年以上の霧島ツツジは圧巻でした
3mほどの高さで 1本の株の根元から二十本くらいの幹を出し
塀の上から道行く人を見下ろしています
4月下旬には座敷の中までも照り映えるほどに真っ赤になり
県内でも珍しい樹齢の霧島だと 植木屋さんが手入れに見えて
褒めてくれました
老舗の料亭の庭に250万円で売って欲しいという話が
何年か前にあったほどです
霧島ツツジを掘ると塀も壊れてしまうし それを守り育てていくのが
子孫の役目だとお断りしました
霧島ツツジと並んで 樹齢三百年以上といわれている
モミジの木が中前栽にあります
ここには松 イブキ ツゲ 平戸 金木犀などが
燈篭を中心にして 石庭となって 本家(ほんや)と離れの間にあります
離れと奥離れの間にあるのが奥前栽で ここには椿 梅 コブシ 花ミズキ
ロウバイ スオウなどの花木が育っています
屋敷の中の右半分が住居 左が穀物の干し場でした
農業は他人に委託しサラリーマンに転じた我が家ですから
干し場の部分が私の園芸の用地として 花のステージにしていました
園芸歴は30年以上で花に癒してもらいながら
第1幕の勤めを 無事に終了できたと喜んでいます
母の介護に専念するために奈良を離れていますから
私の園芸の舞台は今は連れ合いが日本庭園に作り変えたようです
朝夕2回の水遣りは花の好きな私が居なかったら
維持できませんから 淋しいけれど仕方のないことです
写真で見せてもらいましたが 凝り性の彼らしく
高価な石灯篭を何本か入れて しっとりとした
自慢の庭に仕上げていました
花好きな実家の母に 花いっぱいの庭を作り喜ばせてあげようと
前庭に「野草の丘」と「花木の庭」を作りつつあります
もう5年目ですから かなり大きく生育して楽しみを与えてもらっています
花を楽しむ生活は これからは大分で 地植え中心にしておけば
奈良に帰ったときも野草の丘なら強かに育ってくれるはずです
どこで暮らしても同じだけの幸せは 形を変えて降り注ぐのだと
実感している毎日です
要は先祖のおかげで 安心な日々を授かっています
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前庭の癒しをお届けいたしますね(^^♪
皇帝ダリアです
4号山茶花です
パンジーです
2号山茶花です
5号山茶花です
シャコバサボテンです
吉祥草です
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