人間賛歌・もっちゃん4649

1人の理解者がいてくれたら (2007年3月の自分史)

  
人生の真っ暗な深淵部分をブログにまとめている時なので、雨の一日は

気分が滅入ってしまい、風邪気味の体調になっていました。


自力で解決できない悩みは心身に堪えます~


いつか自分史にまとめ上げたいという思いなので省くことは出来ないし、

あえて直視して正しく記しておきたいのです。


私の側の言い分だと思います。


両方の話を聞けたら不公平は生じないのでしょうけど、そんなことをする

エネルギーも必要もありません。


私がどう乗り越えてきたのかをせめて私と愛するファンのみんなに

理解してもらえれば幸いなのです。


誰でもいい~

1人の理解者がいてくれたら人間は生きていけるのですからね~


2004年の9月下旬に家に帰り、若い者に意見をしにやってくるという長老の話を聞き、

10月9日に美容院で噂されている話を聞かされ、11日に連れ合いと話し合いを

持つまでの10日あまりは煮えたぎる思いで過ごしていました。


人の口に戸は立てられぬと言うとおり、人の不幸と火事は大きいほど面白いといいます。


そのタネを一月間、用事で来る人を捕まえてはひそひそと声を潜めて玄関のところで

ばら撒いている義母の姿が見えるのです。


私がそばを通ると急に話題を変え大きな声になりますから、雰囲気で分かります・・・


どんな理不尽なことを言っても、嫁は言いなりだと思い込まれていたようでした。

物言えぬ嫁と決め付けられていたのです~

物言えば唇寒しと思い、おかしな道理だと思っても物言わぬ嫁を演じていましたからね~


覆水盆に返らず~という信念を強く持っていましたから、心して婚家で過ごしていました。


理想を自由に言える職場に恵まれていたからストレスは仕事で消すことが出来、

バランスが取れていたのでした~


嫁姑問題なんて私には関係ないことだと退職するまでは何のやましいこともなかったし、

ケセラセラでやり過ごせていたのです。


その後二人の母に半々の親孝行が私の理想の形だと2年間実践していたのでした。


それが母には実家のことばかり気にする とんでもない嫁だと写っていたのでしょう。


不満を募らせていたところに孫嫁の就職やジョンの騒ぎが重なり、近所の人に

「実はあの嫁はとんでもない・・・」と愚痴り、親類の長老たちに長電話で実情を話すことで

鬱憤の解消法を義母は見出したのでした。


親孝行の大切さは分かっているから 直接私には何も言葉の攻撃はありません。

人間の子として当然のことをしているだけですから~


10月4日が誕生日でたくさんのメルトモからのお祝いで心が晴れやかになり、11日の

話し合いで連れ合いの心の大きさが感じられ 吹っ切れて助けてもらったのです~


さあ、今日からは喜の連続に進みます~

それは現在に続く路の始まり~


悪者は一人もいません。

生まれ育った文化の違いで、善悪の考えの基礎が出来上がるのですね~


PS

『現在、コメントを受け取らない設定にしています。』

楽しいお喋りサロンとして、既存の掲示板と画像掲示板を活用したいと思っています。

入口は置手紙の下方にあります。

皆様のお越しを楽しみにサロンでお待ちしています(*^_^*)


   

  

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