別れがあって
また新しい生活が
始まる
大口という所の
マンションに住む
大口の次の駅が菊名で
"大口聞くな"と言っていた
若い男の子が
革をやりたいと言って
手伝いに来ていた
教室も上大岡から
関内に移って
新しく始める事に
フラワーデザイナーの人の
借りてる事務所に
レザークラフト教室を
入れてもらった
関内は横浜の官庁街
場所は横浜球場のすぐ近く
会社帰りのOLが
来やすい所
夜間部の教室は
教える実力のある人を
選んで先生として
教室をみてもらう
上大岡のミツバの
副社長が
伊勢佐木町のオデオンビルを
紹介してくれた
そこで革専門店を始める
オデオンビルの店では
財布や鞄を作っては
売らなきゃならない
売るものが足りないので
売るものを調達しに
浅草橋や日本橋の問屋まで
出かけたりもしていた
現展に出品する作品は
120号の大きなのを作っていた
三足のわらじを
履いてるようなもんだ
この頃
大学の先輩に
バイクを勧められ
ヤマハSR250を買う
チョッパータイプの
アメリカン
イージーライダーに憧れてた
関内の夜間部の教室に
顔を出す
目の周りに
黒いアイシャドウを塗って
寂しそうにしている
女の子がいた
年齢が28才だと言う
この子は
自分が結婚してあげないと
嫁に行けないな
と何故か思った
日本的で
大人しくて
目の周りがインド人みたいで
三菱商事に勤めているなら
給料もいいだろうし
それなりの素養もあるだろうし
お琴もやっていると言うし
美人ではないが
占いの相性もいい
結婚にはいいだろうと
自分で勝手に決める
バイクの後ろに乗せて
九十九里浜まで行ったり
多治見で陶芸をやってる
友達の所まで遊びに行ったり
それが今の奥さん
洋子さんだ
こうして
結婚生活が始まる
息子が40になるので
41年続いている
ひたすら働き続けて
夜だけしか帰らない生活
夜も飲み過ぎて
帰らない日もあった
だからよかったのか
一緒にいる時間が
無かったから
続いたのか
干渉する暇が無かったからか
よく考えたら
同じ趣味のものがない
休みは日曜だけ
それが当たり前だった
その休みも子供の
ボーイスカウトで取られてた
40の時テニスを始める
移住するまでは
これが同じ趣味だった