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70代での移住生活

大学時代 を思い出す②

大学二年目からは
それぞれの学部に
分かれていく

松本にある学部もあるが
それぞれの学部のある
それぞれの町へ

農学部は
諏訪から南に下った
伊那市にある

市内から
バスに乗って
山の上の方の箕輪村に
キャンバスがある

広い敷地で
ヒマラヤスギの並ぶ
入り口を通って
校舎がある

学科によって
いろいろの畑
田んぼ
畜舎などがある

自然を満喫出来る
素晴らしい場所である

しかも
私達の頃は授業料が
一年間で12,000円
一か月1,000

牧場に憧れていた

馬に乗って
牧場を走り回る

馬はどこにいるんだろう

一頭いたけど
去年死んだ
骨を取るため
土に埋めている
との事

解剖学で
骨のスケッチをする
馬の頭の骨のスケッチ

絵は得意で

頭のスケッチ
そして後ろの風景

上手く描けた

骨だけでいいんだよ
教授に言われて
そうですか

大学に入って
本当の自分は
何をしたいのか
考えるようになった

何が得意で
何をやりたいのか

小学中学時代の通信簿を見て
美術と技術家庭だけが
良くて
あとは全てオール3

高校でも美術だけが
楽しかった

ここに来て
進路変更を考える

絵描きを探して
絵を習おうと思った

美術材料屋さんで主催する
スケッチ会に参加したり

大学に美術部を作ったり

近くに絵描きがいると
聞きつけ
早速訪問

10才上で背が高くて
かっこいい顔立ちの人で

絵を習いたいと言ったら
今こういうものを作っている
と言って
鯉の絵を見せてくれた

革に鯉を彫って
額にして
飾りものにしている

忙しいから手伝え

それから毎日通う事に

レザークラフトとの出会い

絵を描いて
革に写して
道具で彫っていく

最初に革をもらって
札入れを作ったのを
覚えている
インカの模様

それから毎日通うように

飯も食わせてくれるし
奥さんが美大出で
デザインも教えてくれるし

彼の個展では
インド音楽が流れていた

大学も
学生運動の影響が
こんな田舎にも
及んできた

意識の強い人間ほど
黙ってはいられない

日本中の大学で
学生運動が
エスカレートして行った

元々の始まりは
東大医学部の
授業料値上げ反対だった

信州大学も
ご多分に漏れず
巻き込まれていく

信大の中心は松本だ
何かあると
よく松本まで
デモに行った

佐藤訪米の時の羽田
日比谷公園での集会
新宿西口の地下広場での
ゲリラフォーク集会
その頃
岡林信康の三谷ブルース
が流行っていた

渋谷でのデモ

何かにつけて
東京にもよく行った

大学は封鎖しているので
ほとんど授業は
なかった

ベトナム戦争反対
ベトナムに平和をベ平連
マルクス主義の中核派
革マル派
アナーキストなど

伊那市の一軒家を
みんなで借りて
2階のベランダに
ヘルメットを
並べていた

人数が少ないので
いろいろのセクトや
会の人がいる

白、緑、ピンク、黒

公安がよく見に来てた

東京のデモに行くのに
新宿まで急行で行く

車内改札の時は
トイレへはいる

駅を出る時は
ホームの端から

一度駅員に
追いかけられて
町の中を
逃げ回ったのがいた

どうにか逃げたけど
追っかけて来る駅員も
凄いなと思った

その頃は
本当に革命が
起こればいいと
思っていた

共産主義革命
一部のブルジョワを
潰し
全ての人を平等にする

チェゲバラに憧れていた

ゲバラの写真を
大きく引き伸ばして
描いたこともあった

伊那市の高校生を
オルグしたり
町の家々を勧誘してまわったり
警察にデモの届出を
出しに行ったり

今考えると
全ての人が
平等になるわけはないと
簡単に考えられるのに

一つの方向に
のめり込んでいくのは
恐ろしい事だ

年取って
色んな事が
分かってくるんだと
思った



















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