それぞれの学部に
分かれていく
松本にある学部もあるが
それぞれの学部のある
それぞれの町へ
農学部は
諏訪から南に下った
伊那市にある
市内から
バスに乗って
山の上の方の箕輪村に
キャンバスがある
広い敷地で
ヒマラヤスギの並ぶ
入り口を通って
校舎がある
学科によって
いろいろの畑
田んぼ
林
畜舎などがある
自然を満喫出来る
素晴らしい場所である
しかも
私達の頃は授業料が
一年間で12,000円
一か月1,000円
牧場に憧れていた
馬に乗って
牧場を走り回る
馬はどこにいるんだろう
一頭いたけど
去年死んだ
骨を取るため
土に埋めている
との事
解剖学で
骨のスケッチをする
馬の頭の骨のスケッチ
絵は得意で
頭のスケッチ
そして後ろの風景
上手く描けた
骨だけでいいんだよ
教授に言われて
そうですか
大学に入って
本当の自分は
何をしたいのか
考えるようになった
何が得意で
何をやりたいのか
小学中学時代の通信簿を見て
美術と技術家庭だけが
良くて
あとは全てオール3
高校でも美術だけが
楽しかった
ここに来て
進路変更を考える
絵描きを探して
絵を習おうと思った
美術材料屋さんで主催する
スケッチ会に参加したり
大学に美術部を作ったり
近くに絵描きがいると
聞きつけ
早速訪問
10才上で背が高くて
かっこいい顔立ちの人で
絵を習いたいと言ったら
今こういうものを作っている
と言って
鯉の絵を見せてくれた
革に鯉を彫って
額にして
飾りものにしている
忙しいから手伝え
それから毎日通う事に
レザークラフトとの出会い
絵を描いて
革に写して
道具で彫っていく
最初に革をもらって
札入れを作ったのを
覚えている
インカの模様
それから毎日通うように
飯も食わせてくれるし
奥さんが美大出で
デザインも教えてくれるし
彼の個展では
インド音楽が流れていた
大学も
学生運動の影響が
こんな田舎にも
及んできた
意識の強い人間ほど
黙ってはいられない
日本中の大学で
学生運動が
エスカレートして行った
元々の始まりは
東大医学部の
授業料値上げ反対だった
信州大学も
ご多分に漏れず
巻き込まれていく
信大の中心は松本だ
何かあると
よく松本まで
デモに行った
佐藤訪米の時の羽田
日比谷公園での集会
新宿西口の地下広場での
ゲリラフォーク集会
その頃
岡林信康の三谷ブルース
が流行っていた
渋谷でのデモ
何かにつけて
東京にもよく行った
大学は封鎖しているので
ほとんど授業は
なかった
ベトナム戦争反対
ベトナムに平和をベ平連
マルクス主義の中核派
革マル派
アナーキストなど
伊那市の一軒家を
みんなで借りて
2階のベランダに
ヘルメットを
並べていた
人数が少ないので
いろいろのセクトや
会の人がいる
白、緑、ピンク、黒
公安がよく見に来てた
東京のデモに行くのに
新宿まで急行で行く
車内改札の時は
トイレへはいる
駅を出る時は
ホームの端から
一度駅員に
追いかけられて
町の中を
逃げ回ったのがいた
どうにか逃げたけど
追っかけて来る駅員も
凄いなと思った
その頃は
本当に革命が
起こればいいと
思っていた
共産主義革命
一部のブルジョワを
潰し
全ての人を平等にする
チェゲバラに憧れていた
ゲバラの写真を
大きく引き伸ばして
描いたこともあった
伊那市の高校生を
オルグしたり
町の家々を勧誘してまわったり
警察にデモの届出を
出しに行ったり
今考えると
全ての人が
平等になるわけはないと
簡単に考えられるのに
一つの方向に
のめり込んでいくのは
恐ろしい事だ
年取って
色んな事が
分かってくるんだと
思った