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Chapter-114 ヒトES細胞からドーパミン神経を

2006年06月17日 | 番組要旨
 パーキンソン病は、19世紀前半のイギリスの医師でパーキンソン病を「振戦麻痺」として紹介したジェームス・パーキンソンにちなんでつけられた病名で、多くは40歳を過ぎてから発症し、初期の症状として安静にしている時の手足の震えが発現し、やがて、筋肉の動きがなめらかでなくなり、動作がぎこちなくなったり、動作が遅くなる、字が小さくなる、声が小さく早口になって他の人が聞き取れなくなる、上手に歩行ができなくなるなどの症状が順次現れます。また、自律神経の障害もよく見られる症状で、具体的には便秘、あぶら顔、多汗、ヨダレなどがあります。現在国内に患者は約10万人いるとされ、比較的発症頻度の高い神経変性疾患です。けれど、アルツハイマーなどと異なり、CTスキャンやMRIで異常が見られないことも特徴です。パーキンソン病は伝染も遺伝もしませんが、若年性のパーキンソン病の原因の一部には遺伝性の原因があることも知られています。

 パーキンソン病の生化学的な原因は脳の線条体と呼ばれる箇所におけるドーパミンと呼ばれる神経伝達物質の欠乏です。この欠乏はドーパミンの供給に関わっているドーパミン神経の減少によって生じます。ヒトを含む哺乳類動物の中枢神経系のニューロンは非常に再生能力が低く、一旦損傷すると自然には回復しにくいことが知られています。したがって、今のところ、パーキンソン病は発症すると完治させることはできませんが、薬物療法や外科的治療によって症状を改善させることは可能です。薬物療法、外科的治療に続く第三の治療方法として移植・再生医療が期待されており、1980年頃から様々な検討が行われていますが、皮膚などと異なり、失われたドーパミン神経は他から持ってきて移植するということができないため、ドーパミン神経として機能する、あるいはドーパミン神経に変化する何かを移植しなければならないのですが、その「何か」の決定打が無く、一部交感神経の自家移植などが行われている以外はいまで実用化されていませんでした。

 今回の研究は、ヒトES細胞からドーパミン神経細胞を効率よく得ることを可能にした研究です。

 羊膜は哺乳類や鳥類において胎児と羊水を包み込む袋のような役目をする薄膜ですが、独立行政法人理化学研究所と京都府立医科大学は、ヒト羊膜の成分の上でES細胞を培養することによってヒトES細胞から神経細胞を育てる方法を世界に先駆けて開発しました。同様の方法ではPA6細胞と名付けられたマウス由来の細胞の上でES細胞を培養することで、動物のES細胞からドーパミン神経などの中枢神経系細胞を試験管内で作り出すSDIA法と呼ばれる方法をすでに開発していました。

 2005年にSDIA法によってサルES細胞から作られたドーパミン神経細胞をパーキンソン病を発症させたサルの大脳(基底核)に移植し、治療効果があることを実証しました。このようにSDIA法はES細胞によってパーキンソン病などの中枢神経性疾患を治療する再生医療実現に役立つ優れた方法です。しかし、この方法の問題点として、マウス由来のPA6細胞がなければ効率よくドーパミン神経細胞などを作ることができないため、マウス由来の病原体の感染などのリスクがあります。したがって、この方法によってヒトES細胞からの神経細胞を作り出してヒトの脳に移植することは事実上で機内状態でした。

 この問題を解決するために研究者らは帝王切開手術で得られるヒト羊膜に含まれている(細胞外基質)成分に注目し、これがPA6細胞の代わりにES細胞に対して作用させることが可能であることを発見しました。ヒト羊膜はすでに角膜幹細胞の培養や外科的処置などの際にも用いられている、安全性が実証されている組織です。また、これまでの試験管内の実験でこのヒト羊膜成分の上でES細胞を培養することによって、ヒトES細胞からドーパミン神経細胞、運動神経細胞、網膜色素上皮細胞、水晶体細胞などを作ることができることが確認されていました。この方法を用いることで、感染症のリスクのあるマウス由来の成分を使うことなく、ヒトES細胞から効率よく必要な神経細胞を得ることが可能となり、中枢神経性疾患の移植治療が大きく前進することが期待されます。

 今回発明された羊膜成分を使う新しい方法は「AMED法(Amniotic membrane Matrix-based ES cell Differentiation;羊膜マトリックス成分に基づくES細胞分化法)」と名付けられました。この方法はドーパミン神経細胞だけでなく、ヒトES細胞から運動神経、網膜組織などの中枢神経系由来の神経・感覚系細胞を作り出すことも可能にしました。 ヒト羊膜成分が、ES細胞に対してこのような機能を持つことが知られたのは、今回が世界で初めての報告です。

 また、効率が非常によいことも今回の方法の特徴で、AMED法によりヒトES細胞を神経細胞の前段階の細胞に変化させた後、さらに約4週間培養すると約4割の細胞が神経細胞になったそうです。そのうち約3割の細胞はドーパミン神経細胞であることが確認され、ヒトES細胞からこのように高い効率でドーパミン神経を直接作り出す(分化誘導)ことに成功したのも世界で初めてです。

 さらに、ドーパミン神経細胞を作り出す(分化培養)過程で、Shh(ソニック・ヘッジホグ:筋肉の収縮を制御する運動神経細胞の分化を促進する可溶性タンパク質)を添加することで、約2割の神経細胞を運動神経細胞に分化させることが可能となりました。また、ヒトES細胞をドーパミン神経細胞に変化させるのと同じ条件で、培養期間を長期に延長すると眼の組織である網膜色素上皮および水晶体組織の大きな細胞塊が出現することも確認されました。何故、羊膜の成分にこのような作用があるのか、具体的にどのような物質がその作用を担っているのかはわかっていません。