もふもふな日々。

mophがテキトーなことを書き綴りもふ☆ 売込み&広告らしきトラバ,コメントは抹消されます。

ぐらとぐら。

2007-11-28 11:05:15 | ざった!ザッタ!雑多!


職場の隣で大きな建設工事を昨年から
どいーーんとやっている。

大きな建設工事なだけに地盤を掘りまくる。


ということでここ半年ほど、
うちの職場は常にグラグラ揺れている。

今月だったっけ?か。
大阪で震度3とか4の地震があったのだが、
うちの職場では、

「揺れてるなぁ、今日は激しいなぁ」

ということで誰一人それが地震であると
気付かなかったのだった。




しかし、常に揺れてる職場って、、、どやねんコレ。

つくづく。

2007-11-27 15:34:53 | 独り言グルーヴ。


ほんっっと、暗いよな。
最近の日記(笑)

現実社会では、普通に暮らしてるのに
ネットは思考の部分が出やすい気がする。

昨日はびょーいんだった。
薬変わった。


でもアレだね。

病は気からとか言うだけに、薬なんぼ変わっても
信用してなきゃメリケンコと同じになるよね。


昨日の夜に読んだ本はグッときました。
かろうじて感情はまだ死んでません。
よかった(笑)

簡単こそ難しい。

2007-11-26 21:22:58 | 独り言グルーヴ。



仏、神、宗教、運命、占い、他人、何も信用できない。
医者も信用してない。


純粋に何かを信ずるということができない。

自分を信用して自分の全神経が束になって
まっすぐ治ることを信じなければ
行き場のないやりきれなさは一生続く。


今のアタシは、自分さえも信用してないんだろうよ。
我がことなのに我がことでなきような簡単なことが難しい。

このネジくれ曲がった我が根性をまっすぐしたい。

波乱万丈にもほどがある。

2007-11-26 17:20:57 | 独り言グルーヴ。
PTSDの発作はいつ来るかわからん。

こんなこと主治医には言えないが、
正直言ってこんな病気って完治する境目さえも
ハッキリしてない以上、精神科とか心療内科を
心底からは信用してないアタシだ。
ただ自分でどうしようもないから、
医者を信用してる気になるしかないだけだ。

精神科医は人生相談所でも神様でもない。
んなこったわかってんだ。



たまに意識不明になって倒れる母は、
持病のせいだと思ってたのが精密検査で
「過度の心的ストレス」と診断された。


まぁ、原因はアタシなわけだ。

だからって自分でどうしようもない病気なんだし、
仕方ないとアタシも思う。




でもさ。
母の担当医がさ、
「不正脈&狭心症という持病ですから・・・」
って言うわけさ。
その過度の心的ストレスが原因で倒れる時、
呼吸困難に陥って血圧が200を越えるわけだ。


って、ようするに。
『死んじゃう可能性も高い』っちゅうこった。


んな、アタシが原因の心的ストレスで
死んじゃったりなんかしたら、どいーーん。
なんてもんじゃないよなぁ。
そもそも要因がPTSDという外的なことなわけで。
被害者意識で他人を羨んで妬んで生きる気はないけどさ。
このやりきれぬ思いはどこへ持って行けば治してくれんだ、
って感じ。


派手な人生なんかいらないよ。
平穏無事に過ごしたいだけなんだ。

図書館にハマる。

2007-11-25 13:51:09 | ざった!ザッタ!雑多!


最近、トチ狂ったように図書館へ通っている。
もはや図書館狂といえるのではないかと思える(笑)

図書館は、作家さんやら書店さんからは
イマイチ喜ばれない風潮だし、
「本は買うべきだ」という人がいるのも納得できる。

でもアタシはおおいに賛成派なのだ。
最近の本はものすごい早さと量で出版される。

自主出版の本も一般書店で多く出回るようになり、
「本の出版」自体が昔よりも気軽になったからではなかろうか。
もちろん、一作品も短命であるという構図が成り立っている。

新書のような分析本や、ハウツー本は、
著者が増えれば増えるほど、選択肢や調べ事には良い。
けれども、文学作品や物語的な本というのは、
秀作と駄作が極端になった気がする。

そういう視点から見ると、書店で買うとなると。
もちろん財政的な部分と相談しながら
本を購入することになるので、
思わず「安全パイ」である著者の文学本を購入してしまう。

となると、新しい分野の開拓という意味においては
非常に保守的になっていまいがちなのだ。

アタシは図書館でちょっと読んでみたいな、
と思える作品を借りて、その著者の本を気に入れば
購入するというやり方をしている。
新しい作家に出会える可能性の大きさを大事にしたい
と思う今日このごろ。


良い文学との出会いは、
大人の固くなった脳みそを柔軟にしてくれる。

忘れてはいけないことを思い出すということ。

2007-11-21 10:03:01 | 独り言グルーヴ。




このブログ始めてからちょうど一年経ちましたです。
早いもんだ。

環境とか何かが大きく変わったわけではないけれども、
考え方とかいろんなことが変わった気はする。

生まれて何十年も経つと、いろんな出会いやら別れがある。
この5年くらいで、印象的な出会いと別れが多くあった。


思ったんだ。

出会いの印象よりも、別れの時の方が
「その人」がどんな人だったかが見えるね。


ある人の本で、印象に残ってる文章がある。
「別れの時ほど優しくしたい」とな。

「さよなら」は、もう自分に関係の無い人だから
どうでもいいという考えは、貧しい考え方だと思うんだ。



始めて働いた職場は、震災で倒れた。
もちろん社員は自動的にクビになった。

出会えて良かったと心から思う上司がいた。
最後の日の言葉は10年以上経った今でも忘れられない。

「今は先が見えないかもしれない。
だけどな。まだまだこれからがある。
初心を忘れずに、自分の感性と能力を信じなさい。
もう会えることはないかもしれないけれど、
いつかどこかで、君の知らないところで君がデザインした物を
僕が知らずに手に取ることがあるといいと思ってる。
僕もこの歳で再就職は厳しいけどがんばるよ。どうか、元気で。」

という言葉をいただいた。

ええ歳したオッサンが顔をくしゃくしゃにして泣くのを初めて見た。
本気だと思ったんだ。

自分の方が辛い立場の時に、それが最後になるとしても、
誰かに強い言葉を投げかけられる人は、強い人だ。
強い人は、やさしい。


いつか、自分もそうなりたいと思う。

時間さんに問うてみる。

2007-11-20 09:54:12 | 独り言グルーヴ。
ここんとこ仕事に追い立てられている。
昨日は、
来客に次ぐ来客に次ぐ来客と
電話に次ぐ電話に次ぐ電話と
打ち合わせに次ぐ打合わせに次ぐ打合わせで
何やってんだか自分でもわからんような状況で
13時の時計を見たあと、気付けば19時であった。






時間さん:「アタシは金では買えないんですよ。」

アタシ:「えぇ、そうでした。」

時間さん:「いつ何時でも、アタシは変わらずに存在します。」

アタシ:「・・・。」

時間さん:「けれどもアナタがアタシがと接していられるのは
     永遠ではありませんのですよ。いつ迄ともわかりませんがね。」

アタシ:「時間さんと仲良くする術はないのですか?」

時間さん:「アタシは、万物に対して同じように接しております。
      そこに術はありません。」

     「アタシの存在はあってないようなもの。」
     「なぜなら、アタシとどう接するかは、その人次第なのだから。」


鏡と種。

2007-11-19 15:14:07 | 独り言グルーヴ。


ネット上って、言いやすいからか
批判的な文章書く人多いよね。

個人論だからそれもアリだと思う。

でもさ。
批判する人は自分も批判される。
悪口言う人は自分も悪口言われる。
と、思うよ。

鏡論ですな。




今の世の中、何でも定義付けできるんだ。

でも、その「○○の定義」とかって、
現在わかってる定義付けであってね。
研究とともに何でも変化していくもんなんだ。

だから、そういった現在の定義付けで
理論的に話すと視野が狭くなるね。



常識なんて所詮、自分の想定内のことで
思考成長の種は、自分の想像を越えた
ワクの外にあるもんなんだぜ☆

大阪の大阪らしい大阪。

2007-11-18 11:57:12 | おでかけGO!GO!


昨日は、お日柄もよく晴天に見舞われました。

友人が金沢から来ていたので大阪案内をした。
自らも久々にベタな大阪を観光した気分(笑)

南堀江、アメ村、心斎橋筋、道頓堀、難波、
千日前筋、黒門市場、法善寺横町。

法善寺は、夫婦善哉が有名な所だが、
ここでまたしても、おみくじ「凶」を引いた(笑)
2回連続ですよ。
アタシここでは「凶」しか出ないんじゃないか
と思ったよ。うあはははは。


戎橋から観るグリコの看板、かに道楽、
食い倒れ、づぼらや、あの辺りって。。。

今更ながら、つくづくアホやなーと(笑)
加減知らんよな、大阪。
コテコテやねんもん。

そういう意味では、
大阪の北摂に生まれ育ったアタシは本当の大阪を知らない。
んで、市内には住めない気がする。
仕事では市内へ通勤してるが、
「住む」という意味では、やっぱり山が見える緑が
少しあるくらいの中規模な郊外都市がちょうどイイ。