僕の金メッキ

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五、笑い

2006-04-08 15:30:30 | エッセイ
 さて、今回はちょっと「格好良い」とは結びつきにくいテーマである。実際に「お笑い」=「格好良い」とは結びつきがたい。どちらかと言えば「お笑い」=「色物」と言うのが一般的な意見であろう。女性に対して「どういう人がタイプですか?」というような類のアンケートでは、しばしば「おもしろい人」が上位にランクインしたりするが、それはあくまで付き合う上での話であって、まず、格好良いと感じるわけではないと思う。では何故、今回はこのテーマなのか?よくあるドラマティックな展開のアクション映画を思い浮かべて欲しい。物語りも終盤が近づき、主人公が命がけの事をしようと出発する時、主人公の恋人が心配そうに見送るシーンがある。主人公は恋人の不安を和らげようと軽いジョークを言い、恋人はやや不安を残した笑顔で主人公を見送るのである。いわゆる感動のシーンなのだが・・・注目したいのは主人公の心境。この主人公を自分に置き換えたとして、自分がもうすぐ死ぬかもって時にジョークを言えるだろうか?ただ単に相手の事を気遣うってとこまではなんとかなりそうだが、窮地にジョークを言うのは難しい。日常生活でも、思い返してもらえればわかるのだが、冗談を言える時は気持ちに余裕がある時(変にハイテンションになって精神がバグってる場合をのぞく)、つまり、命がけの窮地にたっているときでさえジョークが言えるというのは、その人自身の器の大きさのあらわれだと思う。まぁ日常生活において、命がけの場面などそうそうでくわすものではないけれど、腹立たしい事や嫌な事があったり、大小さまざまなピンチに出会う事は多々あると思う。その点に置いて、いつもジョークを言ってる人は、いつでも心に余裕がある器のでかい人だなぁ~と思う。そう、ずばりかっこいいのである!
 ただ、この話には重大な問題点がある。それはユーモアのセンスだ!みなさんのまわりにもきっといると思うが、中年男性はいつもジョークをいってる傾向がある。そう、いわゆる親父ギャグである。上に書いた考え方から言えば、彼らはそれだけギャグを言える余裕があるのである。伊達に歳をとったわけではなく、豊富な経験から、ある意味人生を悟っているからだ。しかし、残念な事にユーモアのセンスが皆無な為、人々からは受け入れてもらえない。仮に親父ギャグが本当におもしろければ、いつも自分達を楽しませてくれる人として、誰からも好感を持ってもらえると思う。

 では、今回のテーマをまとめよう。僕はいつでもジョークが言える器のでかさと、ユーモアのセンスが欲しい!漫画等では、男前役はけっこうクールなタイプだったりするけど、それはお子様レベルである。クールな奴と一緒にいるとこっちもテンションが下がる。つまり、そいつ自身はかっこいいつもりでも、はた迷惑なただの自己中心主義の人物でしかない。逆に、いつでも笑いをとろうとする人は、周りを気遣う事ができる、大人のかっこよさを持っていると思う。笑いすぎてお腹が痛くなることはあっても、心から笑いを苦痛だと感じる人はほとんどいないからである。そして、もちろんそのジョークが本当におもしろい事も重要。先に例に出したような映画の一場面でどんズベりしてしまえば、恋人からも「もう帰ってくるんな!」と言われる事間違いない・・・。

1 コメント

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ん~・・・? (通りすがりの姉御)
2006-04-08 23:40:13
 死に際のジョークというのは民族・・・国民柄みたいなものもあるのではないでしょうか?

 ハリウッド映画と時代劇なんかを見比べてみると、時代劇で「お笑い」などのようなことを言うと「ふざけた奴め!」見たいな目で見られるはず・・・。

 器の大きさというのは同感できますね。