もなぴの徒然メモ

本当のことは報道や教育の真逆なのかも…
と思ったら自分で考える縁(よすが)に

◆《暗黒国会》の黒幕はどの勢力か?

2017-03-26 10:39:31 | リスク想定

▼国民の怒りが、反日の野党勢力とマスゴミに向けられる日

こんにちは。東京地方にも桜の開花宣言が出されて、もうすぐ4月だというのに、気温が低くて風が冷たかったり、雨模様の天気だったりで春の陽気が待ち遠しいですね。

さて後半国会では重要法案として「組織犯罪処罰法の改正案」と「今上陛下ご譲位のための皇室典範の一部改正案と特別措置法案」がありますが、現下の《暗黒国会》状況が正常化するまで、米トランプ政権の東アジア政策とくに北朝鮮政策の大転換がなされているのに国会では何の議論もなされないのでしょうね。

これはもちろん、売国野党と反日マスゴミの連合勢力が、あのくだらないスキャンダルで何とか《倒閣運動》になるまで必死にしがみつく作戦だからということもあるでしょうが、何よりも【彼らがバックアップを受けているスポンサーが《チャイナ》なので】触れてほしくない、ということなのでしょう。

トランプ政権のアメリカが、北朝鮮とそれを支えるチャイナに対する強硬な態度をとり続けることができるように日米間の同盟の強化と、日本自身の防衛力の強化を進める流れに国会の議論がなってしまうと、恐い親分のチャイナに怒られてしまいます。

安全保障法制反対のバカ騒ぎで売国野党と反日マスゴミの連合勢力の嘘に気づいた国民はもう騙せませんから、たとえ詭弁を弄しても日本を守ることに反対を唱えたりしたら葬り去られるのは彼らのほうですね。世論の支持を得られないどころか「国民の生命と安全を危険に晒すのか!!」と猛反発を喰らって、彼らの《反日・売国》の正体がハッキリしてしまいますから。

▼《おバカ野党&マスゴミ国会》を仕掛けた黒幕は

韓国のおかしな政変と同時タイミングというところから、チャイナによる差し金であることは論を待たないでしょう。スパイ天国である日本国内のさまざまな手段を駆使して、籠池氏という《金を与えれば何でもする》操り人形と、民進・共産の国会議員のピエロを使って、ようやく見つけた安倍昭恵夫人という「政権の防御がもっとも手薄なドア」を、文字通りの悪意の印象操作で攻めさせています。

この問題が《財務省》がらみであるというのも、反安倍政権という点で通底しているのも偶然ではないのでしょう。外国勢力の謀略はこれまでは見えづらかっただけですね。

この不正常な状態がどのような経過を辿って正常化へと向かうのか、しっかりと静観していきたいと思います。


◆「《暗黒》国会」

2017-03-21 16:04:12 | 政治の宿題

▼「主権者」である国民が正すことのできない《異常事態》

平成29年1月20日に招集された、第193回通常国会(平成29年6月18日までの150日)は、昨日の「虎ノ門ニュース」で青山さんが仰っていたように、空前の『《暗黒》国会』になっています。

そもそもこんなゴシップ・ネタを「政権攻撃の材料」になるからと、延々と取り上げる野党も野党ですが、オツムの中カラっぽで騒ぎ立てる既得権メディアの見苦しさにもあきれます。

1日1億円とも言われる国会運営のコストと、緊迫する東アジアの安全保障リスクへに備えるための貴重な検討時間を、ドブに捨て続けるような国会運営を「主権者」である私たちが止めさせる効果的な方法はないものなのか?。。。と真剣に考えてしまいます。

戦後72年を経て、この国の議会、行政、司法、マスメディア、教育、選挙など、それなりに歴史的な風雪に耐えて洗練された部分と未成熟なまま変質してしまった部分とを、冷静に見分けていかねばなりませんね。

それぞれのあり方について「そいういうものだ」と慣れっこのまま放置せずに、必要な制度変更、手続きやルールの見直しなど、自分なりに考えておくことが大切だと思います。最近も「外国人への永住権の付与」や「歴史教科書の記述変更問題」でのパブリック・コメントなどが話題になりましたが、いろいろな機会を使って国に意見を送ることもできますから。

これも青山さんがよく仰っている「日本は、どんな組織にも必ず《良心の人》がいる」ことを信じて、この国をより良くするために、建設的な参加をしていきたいと思っています。

▼《公共投資》としての防衛費

例えば現在約5兆円の防衛予算ですが、その大半が人件費と「後年度負担」というローンの支払分です。現在は、かつてのGNP比1パーセント枠ではないにせよ現在もほぼその水準。NATOが加盟国に対して国内総生産(GDP)の2パーセント《以上》を防衛費とするよう要求していることが話題にされたりトランプ政権の防衛力強化方針の流れもあって、日本の防衛費増額についても、少しずつ機運が出ているように思います。

私は現下の状況では、2020年までに、可能な限りの防衛力強化はマストだろうと考えていますので、10兆円以上でも、2パーセント以上でも、とにかく意志決定は早いに越したことはないと思います。

報道ではトランプ政権は増額分の6兆円の捻出を、無駄な温暖化対策や国務省の予算を振り替えて対応するそうですが、日本の場合は、仮に《朝鮮半島発の危機》対応で「増額」自体について国会での合意形成がされたとしても、その調達方法には注意をしたいと思います。

「将来に継続的に便益を受けるような《投資》は、国債でまかなうのが正道だ」という主張で経済学者の高橋洋一さんが提案されている《教育国債方式》のように「防衛国債」を発行して日銀に引き受けてもらうような枠組みの法制化をしてもらわないと、プライマリーバランス優先で国民の危機感情につけ込んで、震災復興を「増税」で賄ったような「間違った政策」をさせないようにしたいものです。

国民の生命・財産の安全が守られてこその社会であり経済なのですから。国家以外にこれを守ってくれる存在などないことを、私たちは決して忘れてはいけません。


◆「寛容」ではなくて「無関心」

2017-03-15 12:59:54 | 政治の宿題

▼「寛容」に見えたリベラルが、実は「無関心=無責任」だったという正体

社会の道徳や規範を支える「共同体」としての国家の意味を考えている今日この頃ですが、今年、ヨーロッパで注目される総選挙のひとつを目前にしたオランダの話題がありました。以下、産経ニュースの記事を引用します。

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産経ニュース 2017.3.15 08:14
【ベルリン物語】
「オランダは寛容の国じゃないよ、無関心なんだ」 「寛容の国」で反移民が力を得るわけ
【外信コラム】

 「寛容? そうじゃなくて無関心さ」。15日に行われるオランダ総選挙の事前取材でハーグを訪れた際、識者に聞いた一言に「ドキッ」とさせられた。

 オランダも含め欧州では反移民などを主張する大衆迎合主義(ポピュリズム)的勢力が台頭する。だが、同性婚の合法化などで世界に先駆け、大麻も一部公認するなど、個人の権利を重んじる「寛容の国」で、なぜ難民・移民に“非寛容”な主張が支持をえるのか。それが関心の一つだった。

 識者の見解では、オランダ人がドイツ人やフランス人に比べ、決して寛容なわけでない。「同性愛者が通りで手をつないでも、誰かが大麻を吸っても、自分には関係なく、気にしない」だけだという。

 だが、移民問題は事情が異なるようだ。「自分の庭に外からボールが飛び込んできたら大変でしょ?」と識者は語る。考え方や文化が異なる人々が増え、一定の政治的影響力も持てば、自国の伝統文化や法律も変えられるかもしれない。自身に関わる「脅威」に「無関心」ではすまない。識者は「どの国でも同じことは起きる」とも。

 滞在歴の長い現地邦人の話では、同性婚も身内のこととなれば、家庭内の議論になるともいう。「寛容」は「無関心」と紙一重なのか。複雑な思いを抱いた。(宮下日出男)
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移民や難民の受け入れについて、欧米の先進国を引合にして日本社会のあり方を非難する言説を見かけますが、どこの国民にも譲れるものと譲れないものがあり、自身の生存権を現実に守ってくれる存在が「主権国家」以外にあるのか?を忘れてはいけないと思います。


◆道徳の共同体としての「日本国家」

2017-03-10 16:01:33 | 歴史認識

▼建国の淵源からオリジナルな《民主主義》の国だった日本

先日、ネットTVチャンネルの小川栄太郎さんの鼎談番組で「建国記念の日(紀元節)」ににまつわる、面白く興味深いエピソードを見ました。

その番組の中でも語られていて、私にとってとても印象的だったのは、日本の国柄の根幹となっている「皇室」の存在は、その起源である神武天皇の最初から《民を思う》オリジナルの民主主義であり、天皇は神の子孫としてその先祖の徳に恥じることのない役割を果たされることを、代々内面の規範とされてこられているということです。

以下は、時代の節目節目で天皇が国民に対して示された御言葉の、時系列のメモです。

▼前660年/紀元元年/神武天皇元年
 神武天皇即位『神武天皇即位建都の大詔』(建国の詔)より抜粋
 「夫(そ)れ大人(ひじり)の制(のり)を立て、義(ことはり)、必ず時に隨(したが)ふ。
  苟(いやし)くも、民(たみ)に利(かが)有らば、何ぞ聖(ひじり)の造(わざ)に妨(たが)はむ。」
 [現代語訳]
  徳を体現して天皇が諸制度を整えることで、国に道理が正しく実現されていきます。
  それこそが民の暮らしを安んじるものとなり、天皇の行う最も大切な仕事なのです。

▼316年/紀元976年/仁徳天皇4年
 仁徳天皇『《民のかまど》のエピソード』
 御製「高き屋にのぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」
 [ウィキペディアより引用]
  難波に都を定め、人家の竈(かまど)から炊煙が立ち上っていないことに気づいて3年間租税を免除し、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかった、と言う記紀の逸話(民のかまど)に見られるように、仁徳天皇の治世は仁政として知られ、「仁徳」の漢風諡号もこれに由来する。

▼604年/紀元1264年/推古天皇12年
 聖徳太子『十七条憲法の制定』一部抜粋
 ([出典]金治勇『聖徳太子のこころ』、大蔵出版、1986年
  http://www.geocities.jp/tetchan_99_99/international/17_kenpou.htm)
 [現代語訳]
 「一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。
  人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。

  十七にいう。ものごとはひとりで判断してはいけない。かならずみんなで論議して判断しなさい。ささいなことは、かならずしもみんなで論議しなくてもよい。ただ重大な事柄を論議するときは、判断をあやまることもあるかもしれない。そのときみんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。」

▼1868年/紀元2528年/明治元年
 明治天皇『五箇条の御誓文』
 「一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
  一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
  一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
  一 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
  一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」
 [現代表記]ウィキペディアより
  1.広く会議を興し、万機公論に決すべし。
  2.上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。
  3.官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
  4.旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
  5.智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。

▼1946年/紀元2606年/昭和21年
 昭和天皇『新日本建設に関する詔書』
■現代語訳
 (「ぼやきくっくり」 http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1123.html )から引用)
 「ここに新年を迎える。ふりかえれば、明治天皇は明治のはじめにあたって、国の基本方針として「五箇条の御誓文」を、おさずけくださった。それは、

  一、広く会議を開き、あらゆることについて公の議論の場で決定すべし。
  一、上の者も下の者も互いに一致協力して、国家秩序を盛んにすべし。
  一、役人・軍人から庶民にいたるまで、だれもがその志をまっとうし、途中であきらめたり怠けたりしないよう計るべし。
  一、過去のあやまった風習や弊害をやめ、なにごとも天地の道理にのっとるべし。
  一、新しい智恵や知識を世界じゅうに求め、大いに天皇国家をふるいたたせるべし。

  明治天皇の叡智にあふれた御旨は、この五箇条の御誓文にすべて集約されており、この上、付け加えるべきものはなにもない。余はここに、改めて五箇条の御誓文をもって、国の運気を開きたい。すべてはこの御誓文の御趣旨にのっとって、旧来の弊害を去り、国民の意欲を高め、官民協力して平和主義に徹し、教養も豊かな文化を築き、国民生活の向上をはかり新しい日本を建設すべし。

  わが国の大小を問わない都市がこうむった戦争の災禍、罹災民の苦難、産業の停止と頓挫、食糧の不足、失業者の増加などのありようは、まことに余の心を痛ませるものがある。しかし、その一方、わが国民が現在の試練に直面しながらも、徹頭徹尾、平和な文明を求める決意を固くし、国民どうしの結束をまっとうすれば、わが国のみならず、全人類のためにも、輝かしい前途が開けることを疑わない。

  わが国民においては、家庭と国家を愛する心が、ことに熱烈である。今まさに、その精神を拡大充実させ、人類愛の完成に向けて、献身的な努力をすべき時である。

  余が思うに、これまで長きにわたった戦争に敗れた結果、わが国民はややもすれば絶望感にかられ、失意の底に沈んでしまう傾向がある。言動がしばらく過激に流れるようになり、道義に従う心もいちぢるしく衰え、そのために思想の混乱の兆候が見られるのには、まことに深い憂慮の念を覚えずにはいられない。

  しかし、余は汝ら国民とともにある。常に利害を同じくし、喜びも悲しみもわかちあいたい。余と汝ら国民との間の絆は、いつも相互の信頼と敬愛とによって結ばれ、単なる神話と伝説を根拠に生まれたものではない。天皇をもって現人神とし、また日本国民が他民族より優れており、そのゆえに世界を支配すべき使命をもつといった架空の観念によって生まれた絆でもない。

  余の政府は、国民の試練と苦難とをやわらげるため、あらゆる政策と国家経営に万全の手段を講ずるべきである。同時に余は、現在の苦難にあたってわが国民が奮起し、当面の困窮を克服するため、また産業と文化の振興のため、勇気をもって進むことを心より願う。

  わが国民が、その実生活において団結し、互いによりそい助けあい、寛容をもって相手を許すという気風を高めるならば、わが国の至高の伝統に恥じることのない、日本民族の真価を発揮するに至るだろう。このように考えるのは、実にわが国民が、人類の福祉と向上のため、絶大なる貢献を爲すであろうことを疑わないからである。

  一年の計は年頭にある。余は、余の信頼する国民が、余と心をひとつにして、みずから奮い、みずから励まし、もって以上の大業を成就することを、心より願うものである。」

▼2011年/紀元2671年/平成23年
 今上陛下『東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば(ビデオ)』
 宮内庁ホームページへのリンク
 http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/tohokujishin-h230316-mov.html

▼2016年/紀元2676年/平成28年
 今上陛下『象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(ビデオ)』
 宮内庁ホームページへのリンク
 http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12#41


◆おかしなこと=間違ったことが当たり前になっている恐ろしさ

2017-03-09 13:16:10 | 歴史認識

▼もしも会社なら会議でこんな議論をしていたら潰れますよ

テレビ報道は見ませんが、延々と「北朝鮮による暗殺事件」と「森友学園スキャンダル」がのべつ繰り返し取り上げられ、参議院予算委員会での野党質問も、安倍政権のイメージ低下を印象づけようと必死になっている哀れな状況が続いています。そして北朝鮮のミサイルの脅威が「実は対抗手段を現時点では持ち合わせていない」レベルになったのに、憲法や防衛費の議論では現実の危機対応そっちのけで《神学論争》に明け暮れています。

これが、この国の「当たり前」になっていることに、私たちは、これはおかしい!間違っている!と声を上げていかないと、その行き着く先にある危機への対処をしないまま、大きな痛ましい犠牲を払ってはじめて目を醒ますという愚かな道を進み続けることになります。

本質的な議論をすると勝ち目のないことがわかっていますから、自称リベラル知識人、野党議員、そしてマスメディアは人々の不安と不信を煽るスキャンダルに群がります。そこで、都合の良い事柄だけをつなぎ合わせ喧伝し、都合の悪い事実は隠して、安っぽく薄っぺらな《正義の体現者》ヅラをして恥じることがありません。

今日の、青山繁晴さんのブログ記事から引用します。

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【青山繁晴の道すがらエッセイ/On the Road 2017-03-09「今夜」から引用】
 http://shiaoyama.com/essay/detail.php?id=603
▼いま午前4時41分、まだ真っ暗です。
 国会審議、特に予算委員会の野党質問のありかたに、こころの底から暗澹たる心境です。もはや政治信条がどう、立場がどうの問題ではありませぬ。
 にんげんとしての問題ではないでしょうか。

 野党なら何をしてもいい、政府・与党はじっと耐えるだけ、こんなことが白亜の殿堂、国会でまかり通っているのなら、審議だけ終われば、政府・与党は逆に何をしてもいいという恐ろしい傲慢になりかねない。
 こんな審議に、税も、時間も、何もかも吸い込まれている。

 国会に出た以上は、任期の最後の日まで、ぼくなりに、たったひとりでも、いや、ふたりでも三人でも、日本は日本らしく国会でもどこでも良心派はいらっしゃるから連携すべきを連携して、先日の予算委員会での質問と同じく、ささやかに努力を続けます。
 ぼくの眼前には、この夜明け前の空と似た、真っ暗な疲労の海が広がっている。
 それでも漕ぐ、漕ぐ、小さなぼろぼろのボートを漕ぐ。
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また国会で、《いつもの御人》が、印象操作狙いの不毛な《揚げ足取り質問》を、恥ずかしげもなくしています。以下、朝日新聞のWEB記事からの引用です。

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【朝日新聞デジタル記事 稲田氏「教育勅語の精神、取り戻すべきだと今も思う」2017年3月8日20時53分 から引用】

 稲田朋美防衛相は8日の参院予算委員会で、天皇を頂点とする秩序をめざし、戦前の教育の基本理念を示した教育勅語について、「日本が道義国家を目指すというその精神は今も取り戻すべきだと考えている」と述べた。社民党の福島瑞穂氏に答えた。

 学校法人「森友学園」が運営する幼稚園で教育勅語を素読させていることに文部科学省が「適当ではない」とコメントしたことについて、稲田氏は2006年10月の月刊誌で「文科省の方に『教育勅語のどこがいけないのか』と聞きました」と擁護していた。福島氏は「今もこの考えを変えていないのか」と問うた。

 稲田氏は「教育勅語の精神である日本が道義国家を目指すべきであること、そして親孝行だとか友達を大切にするとか、そういう核の部分は今も大切なものとして維持をしているところだ」と述べた。

 福島氏が、教育勅語が終戦後の1948年に衆参両院が排除・失効の確認を決議していることを指摘すると、「教育勅語自体が全く誤っているというのは私は違うと思う」と反論。三重県の私立高校を例に挙げて、「今も教育勅語の碑を校庭に置き、父母の日に教育勅語を全部写させている学校もある」と述べた。

 福島氏から「教育勅語が戦前、国民の道徳の規範になって問題を起こしたという意識はあるか」と問われると、「そういうような一面的な考え方はしていない」と答えた。

 稲田氏は2月23日の衆院予算委員会でも民進党の辻元清美氏から教育勅語に対する考え方を問われ、「教育勅語の中の親孝行とかは良い面だ。文科省が言う、(教育勅語を)丸覚えさせることに問題があるということはどうなのかと思う。どういう教育をするかは教育機関の自由だ」と答えていた。
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▼こんなことは、もういい加減にしろ!との怒りの気持ちです

この記事の朝日の記者は、冒頭に「天皇を頂点とする秩序をめざし」と何の説明もなく、無前提に教育勅語の存在を決めつけています。嘆息。この記者も、職業人として不断の研鑽や自分の死後に対する内省をすることなく、これからもこんな仕事を続けるのでしょう。

哀しいことですが、戦後教育の優等生・勝ち組として刷り込まれた「お花畑の世界観」を信じて、物事の根本を自分で調べたり考えたるすることもなく、安易な二項対立を所与の前提にした「ぬるま湯の言論空間」で惰性の記事をかき、薄っぺらな正義感を振りかざして独り善がりに悦に入っていては、ご本人へのその反射はいかばかりかと気の毒にもなります。

「悪い戦争を始めて敗けたのだから戦前のすべてが悪い」という思考停止はもういい加減にやめたらどうですか?GHQが強制した占領政策「WGIP」の一環として、日本の国民を弱体化するために、日本人の誇りを奪い「道徳」を劣化させる目的・意図を知りながらも、それを受け入れざるを得なかった経緯を、記者も野党議員も知らないのでしょうか?

というよりも、GHQの占領政策が起源であるとしても、それを「是」とし継続させることから「利益を得ている」人々がこの国の「エスタブリッシュメント」の主流の一角を占めてきましたから、見るべきものを見ようとせず、知るべきことも知ろうとしないのでしょう。こんなマスメディア関係者、自称リベラルの政治屋・学者・教育関係者には要注意です。

▼近代日本の折り返し後の、次の150年が始まっています

植民地化の危機を脱した明治維新からアジアで唯一列強の仲間入りとなるまで興隆してから歴史上初めての敗戦までが七十数年。東京大空襲をはじめ「戦略爆撃」による非軍事目標への無差別攻撃、そして2発の原子爆弾による人体実験で都市と産業は壊滅。日本人が自信を失い反省する中での占領政策の強制。ハーグ陸戦条約違反の憲法変更もおこなわれました。

占領政策を起源に「日本人の誇りは悪」とする教育を継続しているにもかかわらず、奇跡の経済復興を果たしジャパン・アズ・ナンバーワンの80年代を頂点に、その後の長期の経済停滞と政治の劣化、極めつけは民主党政権の国益を損ない続ける失政と、それに対する天の怒りとしての東日本大震災、福島原発事故。そして第二次安倍政権の誕生。ここまでが折り返しの七十数年。

来年2018年になったら、きっと「明治維新150年」に便乗した、薄っぺらなマスコミのキャンペーンが始まるのでしょう。しかしそこでは教育勅語の成立経緯や海外でのプラス評価があることを知らせようともしないでしょうし、新興国家・日本が、真面目に国際法を守って近代化を進めるなかで、日清・日露の戦争を戦わざるを得なかった理由を紐解くことなど、まったく望むべくもないでしょう。

▼「声高に権利を主張する輩」が義務と責任を果たしているのか?を見ます

東アジアをめぐる地政学的なリスクが、いままたかたちを変えて迫ってきているという危機を真剣に考えることもせず、巧妙な嘘で塗り固められたイデオロギーを、馬鹿の一つ覚えで繰り返すばかりの姿を晒していることの愚かさ、恥ずかしさにも気づかない。もちろん現役世代の多くの国民の感覚とは大きく乖離していることも分からないでしょう。

彼らが、上から目線のエリート意識で、《自分たちは弱者の味方・庶民の味方です》と騙れば騙るほど、そのおかしさと正体がバレて人々から軽蔑される日も遠くはないようです。一方に振れすぎてバランスを欠いた状態は、いつか平衡を取り戻そうと動き出します。

軍事力の70年、経済力の70年の次は、道徳力・精神力・思い遣りの力が鍵となる70年なのかもしれません。私たちの社会でも、このような「権利を悪利用する連中」を野放しにせずハッキリとNOを突きつけて、おかしな動きを防止する対応が必要な時節と感じます。