らくがき

やさしい風に・・・

布あそび

2017年07月26日 | 日記





私が毎年の母の形見の着物とか虫干ししていた・・・が

なんかそれも面倒になりある時娘たちに着るものがあったらどうぞ・・・

と話すと笑い出した。

私は?と思いながら娘たちは笑ながらこういったのです。

「お母さんいらないよ」と極端な拒否?

「そうなの?」

「うんお母さんの棺に入れてあげるから心配無用」とな?

考えたらそうだよねいざとなれば貸衣装もあるし着る機会はない。

・・・っで市内のリメイク教室を探した。

ある教室に申し込みの電話したら人気があるらしく断られた。

そして同級生にあった時教室の事聞いたら彼女が入ってる教室があるという。

それが鹿高時代の家政科で学んだMさんだった。

普通科と違うけれど気が合って交流していたので気心もバッチリ

即彼女が連絡してくれて入る事が出来た。それからかれこれ7年?

ともあれ大切な思い出の母の着物慣れるまでは自分の浴衣とか着物で

練習…そのうちにヤフーオークションで購入した。

とにかく染を学んだのでその着物の染を重視したけど

大島の泥染めや銘仙などを主にオークションで購入し慣れると

オークションのやり方も覚えることになり届いた着物を解いてから

汚れたものは張替えし使用する事にした。

でもその時端に名前が書いてあったり染の薄くなった部分に

どんなに大切にこの着物を着ていたのだろうとその思いが

ジーンと心に染みる。

ほとんど染め返す事はないけど裏地のすばらしさに感動しつつ

その裏地をトートバックに使用する。

何しろ軽いしね。

夢中になって作ったけどバックも結構我が家に残ってるのはさほど

無くなった?これってとても嬉しいことだけどね。

夢中になって集めた紬の泥とか銘仙とか多すぎたので

整理が大変になった(笑)

最近は可愛いコットンの生地に魅かれて再度集め出した?

布遊びしたい時に側にないとイライラするし・・・(笑

母の手

2017年07月24日 | 日記





最近母の事を思い出す。

私は5人姉兄(兄二人に3人姉妹の真ん中)が私です。

妹は弱い身体なので何をしても許されて私は怒られる

絶対的に妹が悪いと思っても怒られるので泣きながら母に迫った。

真ん中というのは意外に応用が利きそのせいか強く感じられることが多い

そんな私も母に連れられて歩き母の知人と会う時は母の袖の後ろに隠れる

そんなだったけど妹をかばう母によって少しづつ人なれしたのも確かなので

自然に母に守られてきたと思う。

両親はとてもやさしく貧しくとも決して辛いとかひねくれる事も無く

歩いてきた。

でもこれがある意味の反抗期だったのかあまりに妹を大切に思う母に

泣きながら反抗した時があった。

「私なんていなくなっても何も感じないよね」と背中をたたき泣いた。

「・・・・・」

母は黙って私の顔をじっと見ると右手をだしながらこういったのです。

「この手のどの指を切られたら母ちゃん痛くないと思うか?

痛いんだよどの指だって痛くて痛くて辛いんだよ母ちゃんだって」

その時初めて母の心の痛みを知った気がした。

結婚し子供を授かり母の言葉の思いがずっしりと身体の中に浸透した。

母のやさしさを紡ぎつつ明日へ繋ぐことなのかも・・・母として

かるかやの丘

2017年07月19日 | 日記




今日は午前中は雑用で銀行へそして庭の草むしり・・・

昼にはうどんの玉を伸して昨日作ったカレーをかけてハイ出来上がり

午後は約束のフィットネスへ・・・






母は流行歌がとても好きだった。

主に三橋美智也さんとか春日八郎さんとか・・・

TVや映画の主題歌になってたようで初めて知りました。

又何かをやる時はいつも口づさんでた母がいたのです。

私がまた小さい頃微かに覚えてるのは母が30代後半?そして私が7歳位の時かな?

母の好きだった歌をYouTubeで探したら島津亜弥さんという方が

古い歌を歌ってるのを見て思わずアッコレも歌ってたこれも・・・と

ひと時の癒しの中で有近先生の人生を垣間見た詩がある事を思い出した。

それは島倉千代子さんが歌ってたかるかやの丘という詩作

この歌は子供の頃有近先生のお母さんが離婚されて別れる時の詩作とか

話しながら「まぁね」とぽつんと言った言葉でした。

さらっとこのような詩作の中に流せたという哀しみを子供の頃抱いてた

その悲しみがやさしさへと変わったのも当時近所で暮らしてた奥さんの

存在も素晴らしかったのでしょう。

病気で船を降りなくてはならない時にやはり奥さんであるあ朱美さんの存在は

力強かったのでしょうね。

それは「妻へ」と書かれた一編の詩にもあるように・・・

音痴な私も思わずこのメロディーを口づさんでます。

ご子息のMさんやO子さんどうしてるかな?

とても明るく優しいご兄妹です。

断る事の計画書

2017年07月17日 | 日記






若いころは健康で当たり前何でもそのような解釈で歩いてた。

何もかも・・・だから自分のちっぽけな頭脳に対して相手が理解できない事は

相手が悪いんだ・・・なんて無茶苦茶に・・・。

まさに相手にならない低知能の存在が巾を利かせてた。

私は子供の頃は吃音症と心臓弁膜症に悩まされて体操も出来なかった。

その時は完全にこころまで閉ざしていた時期だった。

そんな気持ちの自由もここの住人である事への我儘だと気づいたのは

学生時代に出会った恩師とその仲間達でした。

まず何でもない会話の中で恩師の言葉「断る事の親切」だった。

断る事なんて出来るよって何気なく発した言葉に恩師は笑いながら

「そっか大したもんだよ」と笑いながら言葉を返してくれた。

その恩師の言葉の意味も理解できずに結婚後何でもうんうんといい顔しい

つまり衝突が苦手で自分の都合で歩いてた。

本当にいい顔しいの自分を理解する事になったのは

島津の経理担当して時ある銀行とのトラブルの時

銀行のミスで取引先への引き落としを遅くしたとき電話で

本社からの連絡で即銀行へ出向いた時の事です。

何億もする医療機器の引き落としを一日でも遅くすれば

銀行はその利益が発生すると言う単純な理由だった・・・だけど

その下請けの業者さんとしたら一日でも引き落としの期限が遅れたら

倒産する。

いつになく強い口調で自分でもびっくりしたものです。

その時初めて恩師の断る事の親切勇気を理解したものでした。

本当に自分にだけしか向いてなかった我儘を知りました。

社の部長の言葉では「相手に対して腹を立てる事は相手に

負けてしまってるそれ以下の気持ちであれば腹も立たない」という

貴重な言葉なんだけど歳と共に我儘になってる自分がここにいる事も確か

断る事の計画書はどこかへ飛んで行ってしまったようです。

いい顔しいの自分がどっかりと座ったままで困ったものです。

手話の先生

2017年07月15日 | 日記





娘との昼食後に近くのスーパーに寄った。

暫く記帳してないのと夕食の食材買うために・・・

車を停車した途端に笑顔が迎えてくれた。

懐かしい~久しぶりねと近寄って来たのは手話を取得した時の先生だった。

"ひさしぶり!Tさん絵手紙まだ続けてるの?"

"イエ辞めたんです"

"じゃ家にいるの?絵手紙長かったのに・・・"

イエたったの7年です(笑

この先生から離れてから染めと陶芸に通ったりしたものだ。

"今はリメークの教室に通ってるんです"

"わぁいいなぁ~今度連絡するから教えてね"

"ハイ"・・・といっても教えるなんてダメなのに

よく簡単に返事をしたものだ!

この適当差と曖昧さが私自身あきれたものです

でもまぁ遊ぶと云う意味では楽しいかも・・・





この先生から習った時は娘が小学生の時夏休みに

一緒に何回か通ったら娘の方が簡単な手話は覚えてしまった。

何と言っても毎週のように主人が連れてってくれた海水浴

海に通った時に遠くの彼女への連絡は手話で助かった事があった。

何でも覚えて置くと便利だとつくづく思いました。

小学校の時聾唖者の子供さんは健常者その時

手話で説明したものですが喜んでくれて嬉しかった事よく覚えてます。

でも手話は中々使う事がないので時々練習している。

この教室で学んだのは以外にも健常者の怠慢さ

聾唖者の優しさそしてその人たちへの差別

先生はもちろん健常者で私たちと一緒とても優しい方です。

なんかみんなに会いたくなってしまったなんと単純なんだろ!

でもちょっとした時間での出会いとても懐かしかった。

楽しみに連絡待つ事にしょうっと!

一魂の土で・・・

2017年07月12日 | 日記





私が益子の陶芸教室に通ってた時だった。

確か何回かの講習を受けたときの事です。

講師は萩原芳雄先生と息子さんの芳典先生だった。

ある時誰かが「先生シッタが足らないようです」の声を聞いて講師である

先生が僅か手のひらに乗る僅かな一魂の土でシッタを2個?作ったと思う。

ただため息をしている私たちに向かって講師は「?」という感じで

笑って私たちに笑顔を向けてくれた。

凄い!僅かこんなくらいの土だよって私たちは感心した。

講師に対して感心するというのもどうかと思うけどとにかく凄い!を連発

すると講師はさらっとこう言ったのです。

「僕はあくまでも職人なんです」とな・・・

この地に生まれ土と一緒に歩いてきた師としての言葉は意外に感じた。

職人という言葉はいろいろある。

わが父も石工職人で古峰神社のあ・うんの獅子像は父の作品

その父のことをただの職人だなんて思ってた・・・がこの師の言葉が

石工職人で他界した父の存在を尊敬するまでに思えるようになった。

とはいえ父の存在は大きなもので戦後何年してた時私が図書館から

借りてきた本を読んでた時に9時になったら電気を消された。

「職人の子が変な知識なんていらねぇ」というのが父の言い分

それは確かで戦後の大変な時は電気さえ貴重だったから・・・

布団を被り懐中電灯で漫画を読んだ記憶が今は懐かしく思える。

その薄っぺらな布団の綿が寄ってしまって懐中電灯の光が漏れてしまった(笑)

一魂の土でさらっとシッタを仕上げてしまう正に職人というなら

その意味をもっと深く考えるべきなのかも・・・とふっと思った。

時間は作るもの

2017年07月10日 | 日記



学生時代アルバイトである雑誌の歌詞募集の部門に携わった時の事です。

勿論先生の選んだ歌詞のお手伝いという事で参加した時の事。

何万通の中にはDrや弁護士など様々な人の大切なそして思いのこもった

先生が選考するという事で原稿を届けに桜澄舎に行った時の事です。

仲間とおしゃべりをして奥さんがいれてくれた砂糖入りの麦茶

当時田舎の私は普通の麦茶しか飲んだことがなかったので

奥さんが入れてくれた甘い麦茶にびっくり

とてもさっぱりし美味しかった事は今も覚えてます。

そんな折先生がニコニコ笑いながら楽しそうに参加しました。

「こういう原稿があったけどお前さんならどう思うかな?」という問いでした。

これは様々な人たちの職業つまりDrや弁護士とか・・・それはそれとして

「ボクは医者ですがこういう事は好きで書きたいのですが仕事が忙しく時間がない

こういう場合はどうしたらいいですか?」・・・とな?

「そんなアホか答えはひとつ書かなければいいよね」と私

「こういう作業?は書きたくて書きたくてそんな衝動に駆られて書く事が大いにあるし」

当主も「時間って作るもんだと僕は思うけどどうかな?」

そういう切るのも確かです昔の作品で「海は青かった」という詩作は

一夜にして50作品の詩の一つだったそうな

たとえ一つの歌をつくるのに3篇だけでなく少なくも18篇は書くという

仕事というのはそのようらしい。

「そうそうまず寝る時間はあるものね」・・・とKさん

「そう思うよお前たちにはかなわないよな」・・・って笑いながら話す当主

その時思ったなるほどね時間は自分から作るものだと・・・

そうです書く事が好きで好きで集まってる私たち時間はつくるものだと認識したものです。

でもその割にここに集まった私たち7人はのちにプロになった人は誰一人いなかった(笑)

当主を囲み生意気な事を言いながら楽しんだ青春それはある意味大切な恩師と仲間の

思いでごっこのような気がします。

大切な心のゆりかごのように今でも揺れてる気がします。

せっかちさん

2017年07月06日 | 日記



昨夜これからは冷たいシーツが良いよねと娘が話した。

今度の土曜日でも"ニトリ"でも行こうか?との事

良いですねぇ~なんて思ったけど今朝シーツを洗う段階で

「うん?土曜日まで待てない」とせっかちの気持ちが沸いた。

ここから150メートル離れた「しまむら」へ家事を済ませ

買い物がてら出かけた。

なぁんだここでもあるではないかな…などと選んでたら

その脇には安いダウンの夏バージョンの上掛け布団が・・・

「うんこれがいいかな?」なぁんて独り言を言いながら選んだ。

最近このような独り言が多くなった気がする。

それからFKDの二階へ・・・

なんと森英恵シリーズのエプロンが半額だよ(笑)

あれこれ考えて一枚ゲット。

洋服はいらないけどなぜかこのようなエプロンは買ってしまう。

結構出かける時は一枚エブロンするだけで落ち着くのです。

以前大三郎が「夜の銀狐」の中で女性のエプロン姿は好きだと言って

この言葉を入れたと話してたっけ・・・

それに従う訳でないけどボロ隠しにもなるしね。

これからさぁて前のダウンの夏掛け布団の洗濯しようっと・・・

粟野の友達が買い物がてらこちらに来るというので

約束の3時に近くのスタバでコーヒータイム

それまでに片付けなくちゃ?ネ

何と落ち着かないんだろうね。

こんな毎日の中でもあたふたしながらも動ける健康に

感謝しなければね。

除湿

2017年07月05日 | 日記







ソファーをヨッコラショとよけてケンドンの中へ除湿器を投入?

そしてキッチンには除湿器と扇風機で・・・

そして窓開けた部屋に除湿器と扇風機が活躍してる。

私は良く扇風機を回してるのだけどそれを知ったのは

島津の経理してた時に清掃の人が大きな扇風機で乾燥していたのを

見た時にこれだ!と思った。

それから我が家のキッチンは常に扇風機が活躍している。

嫁いだ娘の空き部屋に鎮座しているのがこの扇風機とても助けても貰ってる。

今風の建材ならいいけど我が家は二荒山神社の杉と娘の部屋はヒノキの素材

組み込み式なので玄関の杉のこわっぱ以外は釘は使用してないらしい?

その分このような湿気を伴う部屋になってるという事です。

今どきの新建材での家が周りに建築しているけど住み良いだろうね。

でも住めるだけ贅沢かな?




という事で除湿しながら食材を買いに直売所のあぜみちに・・・

すると肩をたたかれて振り向くと長女が買い物してた。

「お母さん久しぶりだからお昼でも食べない?」

「あっいいねっでどにする?」

「なんかさっぱりしたもの」という事で近くのすし店へ

財布を開く娘に「今日はいいよたまにはお母さんが払うよ」

といい顔した(笑)

そして隣のスタバでコーヒーのお茶タイム。

今度購入する新車の事などいろいろ話しだした。

最低でも今の車アルファードクラスの車が良いと話し出す。

久しぶりに見る長女の笑顔にこの暑さもひと休みした気がした。

何よりも元気に頑張ってる娘に対して感じるしあわせって

きっとこうなんだろね。

ぞうきばやし・・・桜澄舎

2017年07月03日 | 日記




一昨年からなぜか洋服の断捨離2袋纏めてたら懐かしい

詩集が出てきた。

「ぞうきばやし」という一冊・・・といっても

何ページかしかない詩集・・・発行は桜澄舎の当主

「桜澄舎」という仲間でワイワイ騒いでた時に

先生始めその師弟たちが考えて思い出に作ろうと

話されて一編づつ提出することを義務付けられて?

「わぁ~なんで?」でブツブツ言いながら

仲間達7人と提出した一遍づつの詩集だった。

その小さな冊子は今はこうして思い出として残ってる。

この人は?どうしてるだろ?

この人は・・・って思い出すのも懐かしい・・・

その中で以前他界した先輩も・・・っで考えた。

果たしてこの仲間は何人生存してるだろ?

交流が続いてたのは先輩だけ・・・

その頃知り合った大矢さんは?・・・など・・・

もうだいぶくすんでしまったけど今も鮮やかに

思い浮かべる当時の仲間とこのぞうきばやし。

師が人差し指で書かれたぞうきばやしの文字

当主をはじめとして大三郎・古野先生・突然亡くなられた

奥さん棺の中に一枝の椿を添えて送られたあの悲しみの

想い出は今も心に残ってる。

良く云ってた言葉「ボクは先生と呼ばれるほど馬鹿じゃない」と言ってたけど

新宿の屋台の飲み屋で酔いしれてた事

トイレに行きたくて隣のトイレの木戸がなかなかあかないと

屋台の親父さんに云ったら

「押してもダメなら引いてみなそれでもダメなら諦めな」

というフレーズ?なんか聞いたような(笑)

みんな天国で相変わらずワイワイ騒いでるでしょうね。

その脇でじっと笑いながら見つめてる恩師の笑顔が見えるようです。

もう帰らない青春だけど思い出は今もいいえいつまでも消えずに残ってる。

Sarah Brightman

2017年07月02日 | 日記






家事を済ますと音楽タイム?

彼女の声を聴いたのは娘の部屋から流れた一枚のCDSarah Brightmanだった。

何年か前の事か忘れたけどそれからこれまた大好きなアントニオバンディラス

とガストン・ルルーのオペラザの怪人映画化する?とのニュースが・・・

でも映画の出演は違う二人だった。

彼女の透き通った声がそれなりに良かったけど(笑)彼はアクション

スターなのでそれなり?でもなぜか映画のブルーレイを購入してた。




映画も凄く良かったけどアントニオとサラの共演だったら?と思ったけど

歌はともかく?映画は小説を余すことなく映像になってた気がした。

それから彼女サラのCDを集めた。

舞台でのアントニオとの歌(オペラザの怪人)の共演

彼はあの顔なので?主にアクションに出てるけど歌の上手さはさすが

芸人だと思わせてくれた。

今日は彼女が帰宅するまでの3時間この歌に癒されてました。

PM2時ごろ簡単に昼食をとってからいつものケーキ注文してたので

取りに行きながら食材を買いに近くのFKD本店へ

何故か心はすっかりタップを踏んでいた(笑)

おせっかいさん

2017年07月01日 | 日記




"おせっかいですが・・・"ってあなたはいつも

笑顔を詰めてチケットと共に優しさ郵便届いたよね


私が人を信じられなくなり曖昧模糊の生活の中で

あえぎ苦しんでるときある格言集が届いたり

寂しくてとても寂しくて辛くて・・・

そんな時いつも届くの

"お元気ですか?・・・"なぁんてネ・・・

不思議なインスピレーションで届きますよね


主人の突然の逝去の時も知られるのがイヤで連絡しないのに

何かあったのか?って・・・電話が・・・

なんにもないよって言ったら

なんか声がおかしい・・・って見抜かれたよね

やっぱり先輩には嘘がつけないおせっかいさん。

こころの扉の向こうにいつもいてくれる

そんな安心感がいつもいつも私を包んでくれている

これまでも・・・いいえこれからもですよね

そんなあなたの突然の逝去信じられなかったけど

公務員(財務省)として定年迎えてから作家になると言ってたけど

役所の中での感じた事不祥事が続きTVの前で頭を伏せてた事

そんな時自殺を思わせる手紙を受け取った時・・・

無事退官してホッとした事を思い出します。

一緒に悩み一緒に歩んだ桜澄舎の恩師たちとの別れいろいろありましたね。

奥さんとお嬢さんは元気です。

天国のおせっかいさん。