花の命は短いけど私って花じゃない

ある翻訳家のくだらない日記

誕生日、生きていることの最悪間

2020年10月23日 17時17分37秒 | 日記
明日は誕生日だ。33歳になる。
昨日の午後4時頃から不安定になって、6時からソファでうつ伏せに倒れて愛しい誰かが死んだように泣いていた。
なんでなんで。
なんでこんな風に生けなきゃ。

最近金原ひとみさんの『パリに暮らして』から2つのエッセイの英訳をした。「エグイユ」と「ピュトゥ」('Aiguille', 'Pute')。たぶん10年間以上も金原ひとみさんの作品に気をしていないけど、ある文芸誌の編集者に誘われたし、いいチャンスだと思った。締め切りまで10日間だけの余裕があったから読むこともせずに翻訳し始めた。

金原さんのエッセイを訳しながら「同感」という感覚にびっくりした。

「生きていることに激しい罪悪感がある。」

そう、そうだ。同じような気持ちがある人がいると思わなかった。子供の頃からずっと感じていることだけど、一度も口にしなかった。口にすると笑われるじゃないか。それでも、わたしには基本的な信念に近い。もちろん、他人にはその罪悪感があればいいと思わない。キリスト教徒じゃないけど、みんなは無罪で生まれてくると思います。わたしだけが悪い。ある意味で、とても自分中心な考え方だと分かるけど、それを分かっていても完全に振り払えない。

とてもラッキーだ。知っているよ。十分なお金と好きな仕事があるし、愛して愛される家族もいるし。だったらなぜこの感じから逃げられない?どうして存在することがこんなに辛いのか?脳の中で何かがちゃんと繋がっていないに違いない。

でも金原さんが書くように、「どうしてここまで生き延びられたのか分からないまま、これからもただ力尽きるまで生き続ける他ないのだろう。」金原さんの言葉を読んで英訳して、「一人じゃない」という気づきが誕生日プレゼントのように大事にしたい。


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