海辺のカフェMARZO

都会の片隅で気ままに暮らすがんサバイバーの記録

20代前半、詐欺とは気づかずココ山岡でダイヤモンドを買いそうになった時の話

2024-09-08 10:57:37 | 1990年代
去年のクリスマスに手術を受けて命拾いした私。
術後化学療法の副作用から回復しつつあり、
がんという災難を一山越えた今、ふと思い出したことが。

それは四半世紀も前のこと。一人で渋谷パルコに行った時、ふだん縁のない貴金属売り場の店員の女性から声をかけられた。

「かっこいいですね」

いやいや、研究室からジャケット一枚羽織ってポケットに文庫本と財布だけで来てるって。作業着だって。明らかに周りの同年代と違う格好。立ち止まり、しばらく間を置いて

「これがですか?」と返答。
「知性を感じる」「またまた」「そんなあなたにもこれはとても似合うと思う。着けてみませんか?着けるだけでも」

そしてカウンターの椅子に座って。話を聞くことになった。

そこから先は⇩この感じ。
2022.10.04 公開記事

私の場合、正直、本物のダイヤモンドジュエリーを付けてみても感慨はなかった。子供の頃から親と一緒に浅草橋の問屋街のアクセサリー材料店によく行っていて、そこで売っているキュービックジルコニアのネックレスそっくりだった。重さの違いも私レベルではよく分からない。

問題は、資産価値のようなものがあるとの話だ。

南アフリカのダイヤモンドの産地から、良質なダイヤモンドをお得に仕入れた(その取引はフェアだったのか?酷い話)。いらなくなったら買い戻すのでお金に変えられる。カバンも持たないくらいのミニマリスト、ここで心が動く。

さらに

買い戻す価格は変わらないが、特別にあなたはこれだけ値引きして購入できる。価格は当時の授業料2年分だったか。

おお。

当時私には、就職氷河期にやっとこさ就職した彼氏がいた。正直先が見えない。万一に備えてできれば現金でない何かを持っておきたい、という発想もあった。着物を質屋に入れてお金を作る妻、みたいな将来もあり得ると。時代劇を見過ぎ。首から下げられたダイヤモンドの輝きはどうでも良かった。妄想が頭を駆け巡っていた。

しかし

ふと我に返り、「ちょっと、親に相談してきます!」
そう言って緑色の公衆電話から実家に電話した。母が出た。娘からの急な申し出に驚くでもなく、怒るでもなく、母は「それはどうなん?よう考えてみ」と言った。

電話を切りながら、300万とか500万くらいの価値ならまだしも、100万弱のもの。そんなもので右往左往する将来は要らない、と思い直した。将来、現金化する必要がないなら持つ価値もない。何より、見た目が浅草橋で数百円のネックレスと一緒。

「ごめんなさい、今は要らないです」(ずっと要らんけど)
「そうね、まだ学生さんだものね。また気が変わったらいつでも来てね」

数年後にニュースで見た頃には、自分も引っ掛かりかけたことを親も子もほとんど忘れておりました。