渡辺浩之のブログ:魂のストラテジー

この世界に漂い、けれども、決して流されないために

“You favorite things” by John Coltrane :ケインズの熱病

2012年05月25日 21時16分32秒 | ビジネス

コルトレーンのこの曲を、
私は、何かに集中するときに聞きます。

My Favorite Things: Coltrane at Newport

モードジャズの頂点、フリージャズの極み、
そして、宗教にも似た喜びと絶望と、残されたビブラートの叫び。
どんな表現をしても、おそらく誰も納得しないジャズの巨人は、
この曲を何度も演奏しています。
1960年に演奏されたときは、
元のメロディを主題に展開されているだけですが、
http://www.youtube.com/watch?v=0I6xkVRWzCY 

1966年ごろになると、主題に至るまでの長い前奏の叫びと自由。
この曲を聴くたびに、熱病のように襲い掛かる、
人間の本性と闇と虚無が交差し、
“My favorite things”という、
甘い子供のころの思い出のようなイメージとは裏腹に、
魂が熱病にかかったような音の洪水は、
私たちをアドレナリン全開の興奮へと導きます。
http://www.youtube.com/watch?v=lAPbpI9O3ww 

それでもまだ、手を伸ばせばとどく希望のように、音は輝いています。

コルトレーンのこの曲を聴くたびに、
「ケインズの熱病」という言葉を思い出します。

戦前から、西側諸国ではエコノミストたちが、
ケインズ理論に基づく景気刺激策をもっと行うべきだ、
と長年にわたって主張してきました。

これを「ケインズの熱病」という言葉で表現していた人がいます。

確かに、ケインズの理論は、経済的なモデルとして、
成長期にある社会において、
一時的な不況を乗り切るには有効だったと思います。

ですが、実際には、巨大な社会実験を通じ、
その効力がないどころか、
国の財政を大きく毀損することがわかってきています。

大恐慌のニューディール政策は、
ケインズ理論の成果として取り上げられますが、
実際には、世界大戦、という巨大な消費によって、
世界恐慌から脱した、と言えるはずです。

日本も同じです。

日本が先週発表した今年1~3月期のGDP速報値は、
政府による財政支出が寄与し、
驚くほど堅調な成長を示しました。

ところが22日、
格付け大手フィッチ・レーティングスが
日本国債を格下げしたことで、
市場の雰囲気は一変しました。

日本経済は、
第1四半期で前期比1%の成長を示したのです。
年率換算で4.1%もの成長です。
この力強い数字は、
震災後の復興事業に対する財政支出のおかげに他なりません。

では、なぜ国債は格下げになったのでしょうか?
誰もこの高い成長率が続かないことを知っているからです。

第1四半期の輸出は他と比べて明るさを見せていたものの、
欧米諸国や中国の需要は、きわめて不透明です。
原発停止による火力発電の需要から燃料の輸入が増え、
国際収支も赤字になっています。

日本では、
「財政支出で経済成長するか、もしくは経済が破たんするか」
という状態になっています。

そして、
政府はこの破綻が現実になり得ることに気づき始めているのです。
というのも、政府の資金は結局、
納税者からか調達しなければならないからです。

日本政府は何十兆円もの資金をこの20年で公共事業に投じてきました。
このため公的債務は、GDP比200%以上に達しています。

かつて世界第2位だった経済大国は、
ケインズ理論に基づく公共投資が、
民間主導型の成長を実現させる一助になる、
というケインズ派への反証に他なりません。

日本は長い間、
内需刺激策として、無駄な道路や橋、公共施設を作ってきましたが、
第1四半期の数字が示すように、
それでも、この国はまだ民間部門主導による成長が実現していません。
そして、ODAすらも、外需刺激策として利用し、
バブル崩壊による日本経済の沈没を救ってきました。

しかし、こうした公共投資は、
麻薬のように、
この国の経済を蝕んできたのです。

国際競争力の低下、
無駄な公務員、
老齢化による労働人口の減少、
膨れ上がる社会保障費。

誰が見ても、この国は、ケインズ理論の実証実験を行い、
その理論が成り立たないことを
国家財政をかけて、
証明した、と言えます。

では、なぜ、エコノミストたちは、
未だにケインズ理論を推奨するのでしょうか?

それは、
真冬に熱病にかかっているかのようです。

日本の有権者はいずれ、
国家の崩壊を通じ、
熱から覚めることになるでしょう。

長い戦後、昭和という熱病です。

そのとき、エコノミストや政策決定者らは、
ケインズ理論が役に立たないことを、
ケインジアンとともに歩んできた日本の崩壊を事例に、
知的な誠実さをもってあらためて考えてみる必要があります。

光と熱と闇のあふれる都会で、
熱にうなされて、
コルトレーンの“My favorite things"を聞きながら。