2年前のこと 通訳の仕事でかかわっていたKさんと
デイサービスのお仲間で お花見に行った
10名くらいのグループで何回かに分けて近くの大学の庭にある
桜の大木を囲んで 楽しいプチ遠足だった
写真をとったり 水墨画にしたいとか話はもりあがり
来年もこれるといいねぇと 皆 笑顔でお茶を飲んだ
しかしKさんは次の年 肺炎を患い 神様のもとに帰って行った
聴覚障害者であったけれど 感性豊かな 素敵な人だった
来年も行きたかったのにね・・・
自然という無限に比べ 人も物もすべてが有限であることを
思い知らされるこの頃
自分という人間も有限であればこそ 毎日が大切であり
自分の判断で 自分の人生が積みあがると考える時
よくも悪くも 自分から出たことは自分に返ることを悟り
小さなことにこだわらず 逃げ出さず 何事も試練と受け入れて
淡々と我が道を行くくらいの図太い位の根性と
すべての思い出が愛おしいと感じられる柔軟さで
有限の時を生き抜きたい
Kさんはいなくなったけれど 桜の花が咲くころは
私の心の中でまだ生きている
デイサービスのお仲間で お花見に行った
10名くらいのグループで何回かに分けて近くの大学の庭にある
桜の大木を囲んで 楽しいプチ遠足だった
写真をとったり 水墨画にしたいとか話はもりあがり
来年もこれるといいねぇと 皆 笑顔でお茶を飲んだ
しかしKさんは次の年 肺炎を患い 神様のもとに帰って行った
聴覚障害者であったけれど 感性豊かな 素敵な人だった
来年も行きたかったのにね・・・
自然という無限に比べ 人も物もすべてが有限であることを
思い知らされるこの頃
自分という人間も有限であればこそ 毎日が大切であり
自分の判断で 自分の人生が積みあがると考える時
よくも悪くも 自分から出たことは自分に返ることを悟り
小さなことにこだわらず 逃げ出さず 何事も試練と受け入れて
淡々と我が道を行くくらいの図太い位の根性と
すべての思い出が愛おしいと感じられる柔軟さで
有限の時を生き抜きたい
Kさんはいなくなったけれど 桜の花が咲くころは
私の心の中でまだ生きている