たまちゃんから・・・日々思うこと

みずほののたまちゃんです。趣味は絵手紙 
本業は主婦&手話通訳者。猫が好きです。
若い人が好きです(笑)

足場が外れて豪邸に!?

2017-12-28 20:50:58 | 日記
12月7日から始まっていた家の改修工事

今日やっと足場が外れて 見事よみがえった我が家がの姿が現れた

外壁の色も斬新に変わり 屋根もいぶし銀のように三州瓦が光っている

瓦やさんいわく「これからまた40年はだいじぃうぶだよ」と。

本当に皆さんのおかげで 思い切って工事をしていただいて良かった!

約20日間 天候にめぐまれ 怪我も事故もなく 無事に終わり

通りから 我が家を何度も眺めて 納得した


さて 工事のためにまとめてかたずけていた雑物は

長男のキャンプ用のテントの中に入っているが

少しの間休んで 年明けにぼちぼちかたずける予定

寒いし疲れたし一休みして 正月の準備をしよう


毎年同じようなものしか作れないが

まあいいか(^_^;)


家が新しくなって 気持ちも新たに来年も頑張りたい

皆様大変お世話になりました。


ありがとうございましたm(__)m

誰に似たのか?

2017-12-25 22:54:28 | 日記
家周りの塗装と瓦屋根の漆喰の補修工事がやっと終わった

年末になると銀行も忙しくなるので 早めに請求書をお願いしてた

さっそく届けていただいた請求書を長男に見せた

今回も費用を半分助けてくれると言ってくれていたのだが

はたして嫌がらずに出してくれるかどうか?無理はしてほしくなかった


分かった!と言って二階の自分の部屋から 10万円?冊と半端の5万円

をさっと出して渡してくれた

「8月に床を直した時と今回の分は 就職してからのお年玉や 何かの時にもらったり

半端なお金をためておいたもの。これで全部使い切ったよ 間に合て良かった!」と

役に立てたことを嬉しげに話してくれた。


そんな大切なお金を あっさりもらっていいものか?胸が詰まった。

私が用意した後の半分だって 毎月食費代として入れてくれるお金を

少しずつ積んでおいたもので 結局出どころは同じ長男からなのだ


私は貯金が苦手で 無くなっても働けるうちは何とかなると

毎月きれいに使い切り 貯金なんて全くできなかったのだ

年金暮らしになってから 気を引き締めてやっと100万円をためるのは

至難の業だったのに・・・

誰に似たんだろ?と考えた


そういえば 夫が就職で上京してから結婚するまで

給料の半分を 母親に送っていた話を聴いたことがあった

そのお金を母親が貯金していて 実家を立て直すとき

兄嫁が「使わせてもらったよ」と手紙をくれたことがあったっけ

夫と同じようなことを 長男が私にしてくれているんだね

感謝してもしきれない。


無くなると困るので朝一で銀行に行き振り込み手続きをした時

この話を窓口の女性にしたところ

どういう風に育てたらそんな息子になるのかな?と(笑)


見返りを求めず 母親業をまじめにしていれば自然にそうなるよと・・・

こそこそと窓口で話をした。


支払いが済みほっとしたが・・・次は年末の大掃除

はー 主婦は大変ですねぇ



繋がりのつながりは更につながっていた

2017-12-21 22:21:24 | 日記
何というか 説明するのもなんだかなー?だけど・・・

我が家の全塗装工事をお願いした社長さんの話を聴くと

社長さんが初めに知り合ったのが

ユージさんで そのつながりで麦ちゃんと知り合って

麦ちゃんの知り合いのイサオさんともつながっていて

二男と麦ちゃん イサオさん ユージさんとは

音楽でつながっていて・・・


昨日車の保険更新で来宅した保険やさんガ通っている

整形外科の先生も二男をよく知っているらしい

ドラマーさん?


この保険やさんは 以前零式のファンだった 

ライブハウスにも何度か来てくれている

自分もギターを弾いていて 今でも友人の結婚式などでは

その腕前を披露しているそうだ


このところそんな話が多くあって

繋がりの不思議を感じている


どんな仕事でも 長く続いているということはそういうことなのか

人の世の中心で回るというけれど

本当に出入り口! 自分から出たものはよくも悪くも自分に返る


音楽つながりの仲間が これからもどんどん増えそうだ


大勢でバンド祭りでもできそうな勢いだね

今更だけど

2017-12-18 21:17:36 | 日記
家の外装の全塗装と屋根の漆喰の修復が始まって10日目

今日は西側の玄関のタイルが生まれ変わったよ

毎日綺麗に変わっていく我が家は別の家のようだ


新築の時から約40年過ぎても まだびくともせず

寄棟の屋根は地震に強いらしく 3.11の大地震の時も

殆んど被害もなかった

しかも 今日改めて瓦やさんが感心していたのは

針金でしっかり固定してあり漆喰もしっかり入っていて

今迄何事もなく 今回の手入れでまた40年は大丈夫ということだった


亡くなったおじさんが

屋根と柱はしっかり作っておいたから当分大丈夫だよ

建具はゆとりが出来たらいいものと変えておくれ と言っていた

限られた予算の中だったが 最高の仕事をしてくれていたのだった

もっと早くこの事実がわかっていたら たくさんお礼が言えたのにと

こころから申し訳なく思った


4代も続いていた大工だった棟梁が

初代の頃 正月や祭りのときには 多くの弟子や職人を引き連れ

下館の町中を木やり崩しを歌いながら 纏いをくるくる回して

キマタを履いて歩くさまは粋で鯔背な風物詩だった


あの穏やかな時代はもう帰ってこないが

きちんとした仕事は今も形で残り

足跡から工法を伝承している

匠から匠へと繋がっていくことは こういうことなんだと

感動した


何気に住んでいた我が家だったが これからはもう少し大事に使わせていただこう

40年後の真実は感謝だった!!

汗だくの珍道中(*^_^*)

2017-12-12 15:56:15 | 日記
9日は湯河原にある教会の施設で 障害者と家族とサポートしてくれている人たちの

年1回のお楽しみ会がありました。

毎年夫の運転で行っていましたが 脳梗塞を患ってから仲間の好意に頼り

ワゴン車を出していただいて 参加していましたが

ことしは 都合が悪く車を出せないとのことだったので 欠席しようと思いましたが

何とかJRでいこう!と仲間の励ましがあって 決行したのでした。


雀宮からグリーン車で行く予定だったのですが 小金井で連結ということ

そして車内からの移動はできず 一度表に出てまた連結車両に乗り込むという

元気な人なら何でもないことですが 足がもたついている夫にしては

とうてい発車時間内では動きもとれず 電車の静止時間に合わせて1両ずつ移動することになった


13号車から 5号車に移るまで何と首都圏に入るまでかかりました(^_^;)

 着替えが入っている手提げを先に移動した仲間が持って行ってくれていたので

もしトイレが間に合わなかったらどうしようとか かなり焦りましたが 何とか目的地に到着


お楽しみ会も無事に終わって帰りのこと

真鶴駅までタクシーで行き 改札を通り ホームに行くためのエレベーターまでの間

ついに夫の足が固まり動かなくなってしまったのだった

ついにこの時が来てしまった・・・が・・・

駅長さんが車椅子でホームまで連れて行ってくれて

何とか帰りの電車に乗れることになったが

駅のホームと列車の乗車口の間が30センチ以上あったので

固まった夫の足が開かない で、電車の中から両腕を引っ張る人

片足ずつ持って車内に入れる人 お尻を押す人・・・ グリーン車の座席に座るまで

ハラハラドキドキを繰り返したのだったのだ



荷物を持ってくれた人 切符を買ってくれた人  席を探して動き回ってくれた人

おなかがすくだろうのおにぎりを半分くれた人


わたしと夫を含め8人の思い切った初めての小旅行だった

あまり大変だったので いらだつことも忘れ この珍道中に皆大笑いで

眠気も覚めて 雀宮に返ってきたときには みんなの顔が 

すごーーくほっとして疲れがどーっと出たのだった


更に気が抜けたのは 次の日夫に大変だった話をしたら

へー そんなに大変だったんだ 悪かったねー。と


夫の体を心配して電話をくれた皆さんにこの話を伝えると

またまた爆笑で 「お父さんは幸せだねー」と。


こんなに迷惑をかけても嫌な顔もせず 優しい言葉をかけてくれるなかまに

ただただ感謝でした。


夫は 楽しかったからまた行きたい!なんていっているが

えーっ!次はどうだろう 私の体が持たないよと

心の中でつぶやいたのだった