野原通信~スローライフ・ピースライフ

スローでハッピーでピースな暮しと社会を目指したい私の記録と、ココロを動かすできごと・情報をお届けします。

誰も救えないのはなぜ!

2008-06-12 09:55:51 | 社会

秋葉原の無差別殺人事件。
今朝、ラジオのDJが言っていた。
事件のいきさつが明らかになるにつれ、甘えるのもいい加減にしてくれと
あきれるばかりである、と。

多くの人がそう反応するんだろうな。

無関係の人たちを無残なやり方で犠牲にし、悲しみの底に叩き落した行為は許せない。

でも、許せないのは回りの社会も同じだ。
甘えることができなかったから、甘えてるんだろう。
幸せなこども時代がなかったから、誰も信頼できず、誰からも愛を受け取れず、
人を傷つけ、命を奪うことの惨さを感じることができず、
甘えたかったから殺してしまった・・・

光市の元少年と同じ。
池田小学校の児童殺傷犯と同じ。
死刑にして、事件は終わったのか?遺族の中でも、誰も事件は終わっていないと新聞で読んだ。
こんな事件は二度と起きてほしくない・・・そう願ったのに、
奴の死刑からはなにも学べなかった。

みんな、愛されていなかった。社会が、彼らを社会から追放した。
私もその社会のひとり。

なぜ、掲示板をみたひとたちは管理会社に警告をするのではなく、
「やめなよ!友だちになれるよ!」ってひとこと書かなかったのか。
自分に関わりができるのを恐れたの?
誰かがなんとかしてくれると思ったの?
みんな、何を避けているの?
なぜ、知らないふりをするの?
自分には関係ないと思うの?!

だから、彼は実行するしか行き場がなくなった。
自分を追い詰めてしまった。

彼を許せない。
私の家族や親しい人が、あの中にいたら、とうてい許せない。
なぐって踏み潰して、引きずりまわして・・・・
でも、そのあとは?自分の手で殺すことができたとしても、
そのあとどうしたらいいんだろう?

死刑にはしたくない、と思う。
生きて、生きて、這いずり回って贖罪し、
人を信じ、人から託されることを学んで、命を奪い、奪われることの辛さを学び、
苦しんで苦しんで、
それでも生きなければならない苦しさの中でもがいて、
その中からやるべきことを見つけてほしい。
亡くなった人々に報い続けてほしい。

亡くなった人たちの死を無駄にしないために。
なぜ、こんな目にあわなければならないのか、という苦しみにこたえるために。

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