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日々のスピリチュアル日記です。

過去世の精算―追加4

過去世の浮上してくる記憶とは、この先も生きる上で障害になる影響を取り除くサイン。
浮かんで来る事を引き出し対処して手放す事が今世を生きる自分を楽にしてくれる一つの学び。
今回浮上してきた過去世の記録は、私個人に過去の私が生きた孤独と悲しみを知って過去記憶を癒す以外に、追体験をすべき必要も含まれていた。

ある時代のビジョン、一つの生の過去世の私は孤児として産まれたらしく、背景はアジア系かと思われる世界に生きたビジョンを見せられた。
かなり高齢の老人と暮らし、その老人も血縁では無く善意で引き取り私を12才頃まで養ってくれたが、肉親的情は薄かった。
漆喰の様な壁でできた一間しかしない家で暮らし、半分は物乞い生活だったが、老人はそこそこ知の長けた人で、私が12才頃に亡くなった。
無くなる前、扶養者を失う後に「どう生きるか」を私に諭し、寝込んで数日で亡くなった。
物乞いを始める前から、着ていた物は白系単色の被る布のような服でしかなく裸足だった。
亡くなった老人を近所の人々が埋葬し、私は寂しく土だけを盛った墓にすがり付き、日が過ぎても通っていたが、落ち着くつと老人の諭した様に神殿を囲む街で一人ものごいで生きようとし、夜は老人の残した一間の家で寝た。

見かねた世話好きの婦人(おばさん)が、神殿に来る人々を相手の市場で、お金を稼げる様に近くの森?林?で、そこにある実を材料に調理を教えてくれ、広長い葉で巻いた昼食になる様な売り物の作り方を教えてくれた。
それ以降、神殿の周りの市場で売りながら一人生計を建てていた。

次に見た私は10代後半となり、上下服となっていたが、スカートは一枚の布をくるむ形のスカートで恐らくは、アジア系のようだった。

同じく、神殿周りで働く孤児の背景をもつ男性と暮らし始め、仕事は続けていたが私は妊娠していた。

粗末な藁を使った様な家に2人で住んでいた期間は幸せだった様だ。

しかし、次のビジョンで、妊娠後期の私の所に夫は戻ってこなくなり、別の女性の所に行ってしまい、私は一人元の家に戻った。

出産後一度、男は訪ねて来たが、産まれたばかりの子供を見ただけで抱くことも無く、生活の足しになるお金らしき物を置いて去って行った。その男にしても、過去世の私にしても、親の愛を知らず未熟過ぎて自分達をどう処して良いのかもわからず、愛すら持ち合わせていない様子だった。

近所の年配女性が来て出産の世話をしてくれていたが、産まれた子は弱々しく、女性によって連れて行かれた。多分、生き延びられないと悟った女性の仲介で、よりまともなまた労働力を必要とする家族に貰われていったようだった。

今の私から見て、過去世の私は男を失う事に抗う訳でも無く、子供に対しても失う悲しみも母性の発動も心の奥に押し込み、石の様に硬く閉ざされた心は自己に思考停止を強いていたし、感情から目を反らす事で自分を保とうとしている様だった。

それ以降過去世の私は一人で生き、食べる為に働くだけの孤独な生涯だったらしい。
最後には、看取る者もなく一つ部屋の家の入り口で、外を眺めながら亡くなっていく様がビジョンの最後だった。

ビジョンを見た側の私としては、感情として異常なまでの孤独感が押し寄せてきたが、今、何故、こんなビジョンを見なければならなかったのか理解するのに時間を要した。

この孤独感とは、ある意味現代でも此処彼処で起こっている。
こうした人生は貧しさのレベルの違いはあれ、時代に関わり無く存在する。

この自分で避けようの無い孤独感の詰まった生で受け取った感情を、感じ取り、癒し、手放す事で、私個人は生きずらさを解消出来るのかも知れない。

ただ、このビジョンを見る半年前頃から、自分と同じくsingleて生きる女性が気になって、自分の生活が苦しいからこそ同じ局面にいる女性達に神々様の助けが届く事を・・・失礼ながら自分の祈りに加えてお願いしている。
ある意味、上から目線のこの祈りに対し戒めを受けているのかも知れない。過去世の経験を見せる事で、リアルな苦しみを思いおこさせ、決して現代でも孤独の苦悩は無くなっていないし、寧ろ増えている事に気付くべきなのかも知れない。
女性が働く事が当たり前の時代ではあるけれど、本当に男性と同等の収入を得られる女性はいくらもいないと思う。

マスコミで言う程の男女平等など、大多数の女性には存在しないと思う。

「孤児は私が養おう。寡婦は私に寄り頼ませよ。」
聖書の言葉

この言葉は今でも生きているし、特に子供の扶養義務を担わなない事が罪に問われず、男性が逃げ特であり続ける限り意味を失わない、そして昔から女性が背負わされた悲しみと苦しみを受け止めた
「御言葉(みことば)」なのだと思う。

私には子供はいないのだけれど、少しでも孤児であった頃の孤独感、子供を授かっても育児思考も働かない自分の生育や、長期の愛の無い孤独感による感情鈍化・・そしてそれに伴いながら心に奥深く閉じ込めた恐怖や不安を、今後自分にとっても、社会を見るにしても、貧相な私の想像力では無く、ビジョンで再体験する必要があったのかもしれない。

そして、何よりも驚いた事は、割に幼い時から私が抱いてきた
「人は信頼に値しない存在」
という思いの起因がこの過去世にあった事。
肉親に始まり、全ての人間関係にこの思いは発動し、不安や恐怖を回避してきた事に気付いた。
これが、一番重要事項なのかも知れない。
心の奥底に隠し持つ記憶は、怖いものだと感じた。


ビジョンを見て時間が浅いので、癒しもこれからで、改善影響を感じるのはまだまだ先だとは思う。

取り敢えずの記録。






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