父の救霊に対する絶望感で、問題が多い母に対峙する事に修行的な意味合いを感じられなくなっていた。
弱り目に祟り目とでも言うか、その頃にかなりの追い討ちを受ける話が聞こえきた。
自分から拒んでいた結婚の話だったが、都内の教会で大枠的な共同体にいた私が結婚を拒んでいた人を、別の信者と結婚させると主(キリスト)から話された。
私は怒りと絶望を感じた。嫉妬などでは無く「だから、私と神の関係に人を入れないで欲しいと願ったではないですか」
「初めからそうしてくれていたら、私は苦しまずに済んだ。始めから止めてくれとあれ程懇願したのに、何故神に逆らった者として15年も私を追い詰めたのですか・・・責められ続けた年月を返して欲しい、私の結婚話は悉く止めたのに」と。私は断った事に微塵の後悔ももっていなかった。
(私は神と自分の関係に介入しない人との結婚を望んでいたが、神は同等の霊性の人でなければ許さなかった)
そこから総崩れだった。この結婚を拒んだ事で排教者として責められ、15年苦しんだ私を崩壊させた。
不思議な事に、身に付いた信仰はそれでも続いていた。しかしこの頃から、私には他の神様の慰めが届き始めた。
追い詰められ、混乱した中新盆があり、新居に僧侶が招かれ祈りが始まると、阿弥陀如来がビジョンとして現れて下さり長くその姿からいただく慈悲に慰められ、ここぞとばかりに僧侶から「老母との同居」を諭された。その為、経済的な事もあるのだからと折れ、同居の運びとなった。
父の存命中、私の家業ではスリランカ人の不法滞在者の労働者を何人も預かっており、スリランカ人の僧侶の紹介で入国の世話もしていた。お金が貯まると帰国してしまうが、週末に仏教徒用の食料調達とカトリック信者のミサの送り迎えを私がしていた。
懇意にしていた仏教徒が自分の手作り祭壇に私を招いてくれ、やはり宗教間を越えた慈悲で、祭壇の仏様は暖かな慈悲の波動で私を迎えてくれた。本当に優しかった。
こんな時教会で聞いた司祭の一言が、私のカトリックの枠を越えさせるきっかけとなった。
「天地創造の神に直接祈る事ができる」
三位一体の枠を越える事。
また、超神道の日神会は、不思議な事に宇宙についても語り、修行では行き着かない世界を語っていた。カトリックに挫折し私が祈り始めた聖様は
「後を引き受けよう」と私に言って下さった。
私には、何れも天地宇宙を創造した創造主を目指している確信があった。
仏様の慈悲、超神道の聖様の宇宙、カトリックの創造主・・・。今思うと、私にとってカトリックでの挫折は押し出しであり、枠を越える道をおぼろ気ながら模索し始めるきっかけだった。