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日々のスピリチュアル日記です。

呪いをかける人間の哀れさ(追記あり)

『🌟わたくしの愛する皆さん、お元気ですか💋💋💋暑さの中お体大切になさって下さい💕』

(少し頭痛が続いているので、叶姉妹さんのブログをパクってみました。)

暑い日が続き体調管理が難しい昨今、虚脱して何もできなかったり、椅子に座っているとイライラザワザワして座り続けられない感覚怒りを叫びたいよいな日が1日置きに続いた。
(この感覚があったら要注意)

体調不良だけでは無い事に漸く気付き、試しに呪詛返し動画を使用したら、
『解けた・・』
という呟き(私では無い第三者)が聞こえた。
過去世から続いた呪いは経験があったが、現世で呪詛を架けられるとは思いもよらなかった。

誰なのかは理解できた。

職業としてそれをする霊能力者がいる事は知っている人も多いと思うが、素人で呪いを掛ける人間は珍しい。稀な存在というかはっきり言って自分の心に地獄を作るような人。

自身の身に返るリスクを承知で成す呪いは、決して幸せな人間が思いつく事でも無くて、妬み、嫉み、逆恨み辺りを胸に秘めている哀れな存在だと思う。

誰でも辛い苦しい時はあるし、人を羨む事もある。それを『呪い』という形を選択し行動に移すのは余程の闇を心に抱えないと出来ないものだとも思う。

若い頃、先輩方がよく話していたのだが、
『サタンは心の傷を掴んでそこを揺さぶり責めて来る。』
要するに、傷を繰り返し思考させて闇に引き摺り込む。
以前書いたが、胎児の記憶さえ対象になっていて「産みたくない」と母体にいる時に聞かされた人が、成人になってこの記憶をサタンに掴まれ家族との不和を表面化させた事例があった。これは、カトリックに通い始め、祈りの共同体で記憶の癒やしを受け解放された。

残念ながら今の私は単独であるし、呪いをかける様な人を供養や救霊の為に祈る対象には絶対にしない。

日々の生活を真っ直ぐに努力し積み重ね、謝罪すべき事をきちんと謝罪し、肉体やメンタルに荷を背負いながらも生き抜こうと頑張る方々にこそ神々に願う祈りは届いて欲しい。

カトリックの祈りで、
『最も神の助けを必要とする人に・・・』
と言う祈りの一節があるが、長年生きて自分の心が病む時や人の心を観察していると、日々のねじ曲がった感受性は何重もの負の仮面で本質の魂は奥深くに沈められてしまう。
だからこそ
『最も神の助けを必要とする人に・・・』という祈りの一節には魂の聞く耳を心の奥深くに押しやってしまった人々にも大切だとは思う。

ただ私単独の祈りでは、恨み、妬み、嫉妬の妨害者に祈っても、本人の心は何重もの反発反抗で神々の恩恵は跳ね返るだけで届く事は無いと思う。また届く迄頑張るなら一生祈り続ける覚悟が必要かと思う。

また、負の感情が招いた加担する霊的存在との繋がり年数が長い程困難。

芸能、商売等で繁栄を望む者が、身近な血縁を生け贄に差し出し魔と契約していれば尚一層その救霊は難しい。ほぼ命掛けの仕事。

アジア系で家の繁栄を願う為に、自身の子供を不遇にして良いと差し出す魔術系は昔よくあったようだ。


たまたま、事件霊視動画を見てしまったのだが、ある女性が職場の仲間の仕事を妬み、その仕事で賞を得た仲間に嫉妬や怒りの念を抱いた挙げ句、殺害し後にバラバラにして捨てた犯罪だった。
またW不倫した女性介護士が不倫相手の妻を複数回刺す事件もあった。
昨今、嫉妬がらみの刑事事件は多い。
目まぐるしく思考を続ける内に刺す行為に出る人は、陰の思考を持ち精神を病んでいる人が多いと思う。呪詛を行う人もまた同じ。そういう精神状態に魔は寄って来て後押しするし、霊感知出来る相手なら神を装い取り込んでしまう。

呪詛や生け贄を行う者には、必ず加担する魔が存在するから・・・その魔と戦う覚悟と、力ある神々からの保護が無ければ救済は不可能で、本人はその代償を魔から必ず取られる。
エクソシストと思う人もいるかと思うがこの手のものは違う。本人が同意してしまう異質のもの。(エクソシストは、本人の意志同意無くサタンに捕まった人の救済)

結果、言える事は・・・
『エゴを叶える為に魔と繋がる者は自己責任』
『魔を感じる人には関わらない』
彼等は哀れな選択をしてしまった人でしかない。

🌟私の愛する皆さんは、どうかファビュラスな人生を目指してくださいね。
💋💋💕

************
疲れるので叶姉妹さんパクリは今回のみ。
叶姉妹さんは、ある意味独自の生き方を極める稀な存在で、精神的葛藤は膨大なものだろうと見ています。本当に幸せなのかは御本人が感じる事なので・・・。



追記

私は霊障を詳しく読み解ける霊能者では無い。
しかし、必要な事は神々から見せられ教えられる事がある。
そして、関わった人間の身内に聖職者がいる時は絶対に救霊等の祈りはしない。私の仕事ではないから・・・・。

今回私を呪詛した人間の身内にその聖職者がいる事は知っていたが、呪詛の件をその聖職者は感知しており・・「お怒り」だと知らされた。
人生を掛けて神仏に仕える聖職者に、(過去助けられながら)成した蛮行は本当に反省した方がいい。反省し、その方の存在に感謝すべき。






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