学生時代ヤンキーで今は現役ナースです

ナースの雅(みやび)です
学生時代のやんちゃな激動の日々を書いた
100%ノンフィクション記事です。

A高下剋上(2)

2022-11-06 13:05:57 | 日記
それからもしばらく
3年の呼び出しは続いていて、
このネチネチした先輩ごっこに
呆れてきた私はレポート用紙に、

【毎日の呼び出しお疲れ様です。
ひとりひとり呼んでいては
きりがないと思うので
場所を用意するので来て下さい。
先輩方は
団体がお好きな様なので
何人で来てもらっても
かまいません。
お待ちしています。】
と書いて3年の「まご」に
届けてもらった。

それを見て
「まご」は怒って
他の3年は驚いてたそうだ。

まぁそうだよねー
年下に呼び出されたわけだから。

当日
さえちゃんと私は早々に
帰って連絡を待った。

暗くなってから
高校前のバス停に
「まご」がバスに乗れずに
1人でいると連絡があった。

あらあら
かわいそうに。

お友達みんなに
見放されちゃったのね~

学年が上だから
威張っていいとか
学年が下だから
言う事を聞くとか
私達には通用しない。

こうして
私達の高校で起こった事は
『A高下剋上』と
呼ばれる事になり
さえちゃんと私の名前は
ますます知られる事となった。

A高下剋上(1)

2022-10-02 14:32:18 | 日記
気ままな高校生活も
2年目に入った。

変わった事と言えば
3年が居なくなったとたんに
今まで
居るのか居ないのかわからない位
静かだった1コ上の学年が
急にいきがりだした事。

一番上になったから
一番偉くなったと勘違いしだした。

私達に
ちょっかいを出さずにいれば
お互い平和だったのに
私のクラスメイトを
ひとりひとり3年教室に呼び出してきた。

『あらあら先輩方。
眠っている子羊を起こしてはいけませんよ』

そんなある日
クラスメイトの光が
「みやび一緒に行って」と
言ってきた。

(みんなひとりで行ってるんだから
ひとりで行きなよ)と一瞬思ったけど
一緒に3年教室に行った。

呼び出していないはずの
私が来たのを見て
3年教室の雰囲気が一瞬変わった。

その中から
名前も顔も知らない3年が
「私は○○連合の孫だから」と言った。

(確か高校生のお孫さんは
いないはず)
頭で考えてから私は
「へ~そうなんだー」と言った。

3年の先輩方は
驚かず、
ひるまない私に
その後の言葉が続かなかった。

その日から私達は
その3年の事を
「まご」と呼ぶ様になった。

心地良い高1空間

2022-10-02 13:50:53 | 日記
気ままな高1生活は
誰からも干渉される事なく
やりたい放題の日々を送っていた。

3年の先輩は
それなりに怖そうな人もいたけど、
中学の時のように
呼び出しを受けるわけでもなかったし、
先生からの
押さえつける様な指導もなかった。

クラスの中は女子ばかりだったけど
ベタベタする事もなく
逆に、未だに一言も
話した事がない人もいるような
そんな関係だったので、
同じクラスという
変な仲間意識や
女子特有の仲良し関係という
面倒なものが私の高1空間には
全くなかった。

それが
私にとっては心地良かった。

今思うと不思議なくらい
自由な日々だった。

食物検定試験4級の話

2022-09-29 13:37:22 | 日記
A高は共学だけど
私のクラスは
家政科で女子クラスだった。

どうして家政科かというと
ただ単に普通科よりも
低い点数で入れたから。

家政科でも卒業までに
取得する検定試験があり
一年生で4級を受けることになった。

最初は食物検定
与えられたきゅうりを
検定委員の合図によって
30秒で50枚以上
厚さ0.2㎝以下の半月切りにする。

練習もせず、
包丁も持ったことのない私が
受かるはずもなく
再追試を1人で受けることになった。

さえちゃんが検定委員に
自ら名乗り出てくれた。

放課後
私の再追試験が始まった。

始まるまでいた先生が
席を外した時
さえちゃんが
「みやびちゃんかして!」
と私の持っていた包丁を奪い取り
ものすごい勢いできゅうりを切り出した。

さえちゃんの行動に
びっくりさながらも、
割烹着姿で白い三角巾をかぶった
受験生の私は
先生が戻って来ないかを
キョロキョロ見張った。

今でも
検定委員のさえちゃんが
まな板の前で包丁を握りしめて
必死にきゅうりを切る姿を
思い出すと
笑ってしまうのだけど(笑)

そのお陰で
食物検定4級は無事合格した。

時効という事で書いたけど
『良い子はマネしないでね~』
という感じの
私の検定試験のお話でした。

悪いけどよくモテてます

2022-09-25 16:50:16 | 日記
お洒落と男の子、
楽しい事に夢中になっていた私にも
高校受験はやって来た。

選択肢はほとんどなく、
担任と親が決めたA高校に
行くことになったのだけど
行きたくない私は
制服の採寸にすら行かなかった。

母親が
服飾関係の仕事をしていたので
本人が行かなくても
私の体に合った制服が
出来上がってきた。

A高は県立高校だけど
バスで40分の田舎にあった。

同じ中学のさえちゃんと
毎日一緒だった。

入学したばかりの私達は
既に目立った存在で
同級生はもちろん
先輩や先生方から注目されていた。

それはA高の外でも同じで
さえちゃんと私を待つ
出待ちの車が何台も
校門前に並んでいた。

なので、
バス代はほとんどかからない。

私の高校生活は
こうして始まった。