コメント
 
 
 
原田 種直 (揚羽蝶)
2016-10-09 12:50:52
 大宰府で原田種直が、平家の為に働いてくれたのは、
とても有難かったです。九州の武将が次々と寝返る中、
安徳天皇を迎えていただきました。
しかし、海軍の平家とすれば、ここも危ないと考え、海に近く自然の要害の屋島に渡りました。
このあたりに、安徳という地名や安徳宮があるのは、
知りませんでした。今は近くに九州新幹線も走っていて、時代の流れを感じます。
 
 
 
時代の流れを感じますね。 (sakura)
2016-10-09 16:09:38
博多南駅は九州新幹線博多駅から一駅ですから、
駅からのバスの時刻さえ前もって調べておけば、
日帰り散策も十分可能です。

福岡の安徳宮は私も知らなかったのですが、
原田種直の館や城を調べているうちに出てきました。

屋島までに山鹿秀遠という武将も平家を助けてくれます。
少し先でご紹介させていただきます。

 
 
 
勝利者の源氏・政権側の伝説は物語として沢山残されていても (yukariko)
2016-10-10 22:12:04
平氏が九州に下りながら反攻して屋島に戻りそして最後を壇ノ浦に滅ぶ、一般の歴史書ではその時だけを歴史として教えるだけですね。
このような詳しい事柄を今回初めて知りました。

…原田種直は重盛の養女の婿で平氏の信頼厚く、太宰の少弐であったし大宰府に程近い種直の館が仮の御所に当てられることになった…それで一門は一時大宰府に留まったのですね。
漂泊する一門に推戴された幼い天皇の名前が地名にも残るのはこの地にそれを哀れと思う言い伝えが残っているのでしょうね。
 
 
 
地名はありがたいです。 (sakura)
2016-10-11 15:18:49
地元の人から安徳の隣村の梶原(上梶原と下梶原)も、
梶原景時ゆかりの地であると聞き、地名の入った電柱などを撮影してきました。

この地には、景時の子孫と名乗るものが、梶原村に広い
土地をもっていたという伝承があるようです。
地名事典で調べてみると、江戸時代の「元禄国絵図」に
「上梶原村」の中に平蔵村が記されているとしか書かれていません。
平蔵村は梶原平三(へいぞう)景時を連想させますが、
これ以上のことは分かりませんでした。

原田種直の妻は、重盛の養女の他諸説あります。
大宰府図書館に質問受付コーナーがあるので、
種直の妻について二週間ほど前にメールで問い合わせましたが、
まだお返事はいただいていません。

 
 
 
はじめまして。 (kunorikunori)
2016-10-12 19:29:15
こんにちは。
現地を訪れて平家の足跡を辿る~。私もいつの日にか、そのような旅に出かけたいです。

時折、のぞかせていただいております。これからもよろしくお願いいたします。

kunori
 
 
 
kunoriさまご訪問ありがとうございます。 (sakura)
2016-10-13 08:41:36
平家物語のような歴史物語は、当時の人々が歩いた道を辿り、
地形や景色を見てはじめて理解できることがあります。

源氏に追われて西海を漂う平家一門の心細さや
義経が平家の陣の背後から奇襲をかけた断崖絶壁などなど、
ことばでは語りつくせません。

私が訪ねるところはほとんどが観光地でないので、
ご存じない方が多いと思います。
よい写真ではありませんが、旅をされない方も
雰囲気だけでも味わっていただければ幸いです。

こちらこそどうぞよろしくお願いいたします。

 
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