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虜囚の扱いのままお亡くなりになったのですね。 (yukariko)
2016-08-02 13:32:35
崇徳上皇は敗れた側、しかも都の後ろ盾であるべき人々もなくなり、政治的に配慮する勢力がいなかったから、その昔に召し使った人や親しかった人も人目をはばかり院を訪ねることはなく、淋しく悲惨な暮らしを続けられたのでしょう。
たまさか都からやってきた者にも高い身分が邪魔をして直接都の話を聞く事すらできない、ずっとのちには警戒も少しは弛んで、身分は低くても趣味の世界を共にする客も滞在する事が出来たのかも知れませんが、実に惨めな思いでおられたことでしょう。
 
 
 
新平家物語 (揚羽蝶)
2016-08-02 16:24:09
 吉川英治先生の新平家物語2巻では、蓮誉こと楽人で
あった阿部麻鳥が配所の周りを朗詠を吹いて巡り歩き
それに気付かれた新院に、池を挟んで言葉以上のものを語りかける横笛を吹きました。新院は、たいそうご感動されたというお話ですが、さぞかし心残りで残念であったと思います。
 
 
 
yukarikoさま (sakura)
2016-08-03 11:00:14
保元の乱で敗者となった崇徳院側に対する勝者側の処罰は厳しく、
院方の武士の多くは斬首されてしまいました。
院はせいぜい都近辺の山里で軟禁されるくらいですむと思われていたようですが、
遠い讃岐への流罪そして二度と都の土を踏むことはできませんでした。
院には悲しい歌が多いです。
 
 
 
揚羽蝶さま (sakura)
2016-08-03 11:03:16
「新平家物語」は吉川英治氏が古典平家を読み解いた歴史小説ですが、
そこには崇徳上皇の配所を訪ねた人物も描かれているそうですね。

この説話は「保元物語」「発心集」の他、「十訓抄」や
「源平盛衰記」などにも記されていますが、
配所を訪ねた人物の俗名はさまざまです。

脚色されているのかも知れませんが、いずれにしても
御所の庭には草が生い茂り、警固が厳しかったとしています。

そのような隠棲聖が上皇の配所を訪ねたということはあったのでしょうが、
その実像を明らかにするのは難しいようです。

小さいころに「新平家物語」がずらっと並んでいた父の書棚を思い出します。

 
 
 
由来の推察 (歴史好き )
2024-09-21 13:25:26
特殊鋼で有名な島根県安来市にはイザナミ神の神陵といわれる比婆山久米神社がありますが、その近くに厳島神社というものがあり。平城京遷都の3年後にできた古事記に比婆山の由来は書かれているので、広島の厳島神社はここから勧請されたのかもしれない。現に広島の厳島神社の神紋は出雲ゆかりの亀甲紋となっている。
 
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