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偉大な宗祖がこの時代に続々と現れますね。 (yukariko)
2014-11-28 09:24:34
現代の今も宗教の大きな勢力となっている幾つかの宗祖がこの平安末期から鎌倉にかけて現れるのはそれだけ時代が暗く、不安に満ちた世の中だったせいでしょうか?
貴族や武士階級だけでなく、庶民にまでも末法思想が行き渡っていた時代?

その中でも一遍上人は一番すごいですね。
身に唯衣一つにて往生。
「わが化導は一期はかりそ」と言はれ自坊もなく宗派を形成することもなく遷化された…と書かれているそうですが、この熊野で大神の霊告と證成を受け、それを信念として一生を送られたのですか。
美術で口から南無阿弥陀仏の仏様が出ている像を「時宗の開祖」として習うだけでしたから熊野との関わりのあり方にもびっくりしました。
 
 
 
平安から鎌倉時代にかけて浸透した末法思想 (sakura)
2014-11-29 13:42:48
ご承知のように、11C後半から日本は末法にあるとされ、
社会は混乱と不安に満ち、この危機感を救おうと様々な宗派が誕生しました。
平安時代中頃から、日本では西方浄土への信仰が盛んとなり、
厳しい修行しなくても「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで救われるという浄土信仰は、
鎌倉時代に現れた法然・親鸞により完成されます。
これに対して、同じ時代に厳しい修行を旨とする曹洞宗の道元や法華経の日蓮も登場しました。
法然・親鸞は神祇との混合をさけ、純粋に仏教化しようとする浄土教ですが、
一遍の浄土教は新しい形の神仏混合を行おうとする浄土教です。
このように鎌倉時代に興隆した浄土教には、二つの浄土教がありました。

また法然・親鸞が「南無阿弥陀仏」を広めましたが、
それより300年近く前の平安時代に空也が民衆にむけて広く念仏を説いています。

 
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