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Tシャツとサンダルの候

国宝姫路城と日本三名園後楽園へ

 

10月29日

 

旅程を端折りながらの帰路も、最終盤に差し掛かった。

本来ならばこの日、竹田城址に登るつもりだった。

前回の一人旅で、ここを訪れたのは真夏。

当然の事ながら、雲海に浮かぶ竹田城を見る事はかなわなかった。

しかし今回は、霧が出やすい季節である。

もしかするとの淡い期待もあったが、

何たることか。

未明からそぼ降る雨である。

竹田城を展望する場所は、ほぼ山登りと言っていい山道を登らねばならない。


「こりゃいかん。進路を変更して姫路城に行くぞ。見る価値はあるぞ。」

てな事で、姫路城である。 

現存12天守の一つ。国宝である。 

美しい漆喰で覆われた姿は、別名白鷺城とも呼ばれる。 

 

到着した頃になると、すっかり雨も上がってくれた。

 

鉄砲狭間が続く土塀の道を行く。 

 

場内には大手門を始め、いろはの順で名付けられた門など、21棟の門がある。


 

石垣の中程、網で囲われている石は、姥ヶ石と呼ばれるもの。

秀吉の天守築城の折、石垣の石が足りない事を知った老婆が、進んで自分の石臼を供出したと言う伝承からその名が付けられた。

天守閣入り口の鉄の扉。

この鉄錆は築城当時からの物。

この西大柱と東大柱と呼ばれる天守閣を支える大柱二本は、地階から五階までの通し柱となっている。

と、

ここまで知ったかぶりに書いているが、姫路城には各所にボランティアガイドが居る。

聞き耳を立てていればいいのだ。  

   

漆喰の柱の隙間から大通りを望む。

 

シャチホコ

 

最上階までやってきた。

画像ではなるべく人が映らないように撮っているが、実際はこんな状態である。

一枚撮るだけでも大変なんだから。

武者隠し。

この階の4隅に設けられている。

武具棚

この棚には鉄砲が置かれていた。

天守から降りてきた。

 

この長方形の巨岩は石棺である。

姥ヶ石の伝承からも伺えるが、石垣の石不足は深刻だったようで、こんなものまで転用される始末である。

古墳の主も、たまったもんではなかろう。

祟りたくなったに違いない。 

お菊井戸

 

『いちま~い、にま~い・・・・』のあれだ。 

 

西の丸へ移動する。 

西の丸から天守閣を望む。

 

西の丸百間廊下

秀頼没後、本多忠刻に嫁いだ千姫の居館があった場所。 

 

女中部屋

 

 

 

この日、姫路城と北ウェールズにあるコンゥイ城の提携記念式典が行われていた。 

肩から勲章をかけたオジサンは、コンゥイ城の王様の末裔かと思いきや、どうやら地元の市長さんらしい。

 

 

姫路から岡山へ。

岡山後楽園。

日本三名園の一つ。 


築山の背後に聳えるのは岡山城。 

 

園内には茶畑や、 

  

水田もあり、実際に収穫されている。 

昔はもっと広く、園内を占有してたそうだ。  

  

築山からの全景。

 

流店と名づけられた亭舎。

園内にはこのような亭舎がいくつもあり、ここもその一つ。

中央に水路があるのは珍しい。  


花菖蒲。

その向こうは大躑躅。

他にも藤棚や梅林、桜の林もあり、季節には華やぐことであろう。  

八つ橋 

 

茶店で一服。 

抹茶とキビ団子をいただく。 

 

 

 

 

この後楽園にて、この日の観光は終わりである。


宿泊は道の駅みやま公園。 

wifi届かず。 

走行距離179km 累積走行距離2158km 


明日は帰着の予定である。

 

PS

因みに、この投稿を書いている今、車外は物凄い濃霧に包まれている。 

これが昨日だったら・・・

雲海に浮かぶ幻想的な竹田城の姿が見られた事だろう。 





とかく旅とはままならぬ。
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