Tシャツとサンダルの候

久留米五穀神社を行く

雲行きが怪しい。

今日は山には登らないほうが身のためだ。

午前中、高良山は諦めて、近所をぶらぶら歩いてみた。

 

久留米の通外町に五穀神社がある。

文字通り、五穀豊穣を祈念して、江戸時代に造られた、有馬藩藩営の神社である。

 

藩営ではあるが、大庄屋と総郡中から本殿や拝殿、この石橋など、多くを寄進させている。

 

紅葉が意外と綺麗であった。

こんな近場に紅葉の名所があろうとは初めて知った。

カラクリ義衛門で知られる田中久重や、久留米絣の創始者井上伝、久留米のゴム産業3社の創業者たちの胸像が置かれている。

 

由緒書きを読む。

 

祭神は豊受媛命となっているが、どうやら最初はインドの農耕の神様だったんだとか。

拝殿。

 

そして、もう一人祭られているのが、稲次因幡守正誠とある。

以下、ググってみた。

 

稲次因幡守正誠とは、代々久留米藩の家老職を務める家柄で、享保の一揆の時には、農民をなだめ、一人の犠牲者も出さずに、一揆を鎮めた人物らしい。

因みに、久留米の殿様である有馬家は代々、所謂、無慈悲な殿さまであったようで、領民に対し重税を課し、度々一揆が起きていたようだ。

この騒動の折、正誠が農民の要求をほぼ受け入れた事が、殿様の覚えが良くなかった上に、世継ぎ問題でも殿様の機嫌を損じた。

三千石の禄を召し上げられ、十人扶持に落とされると言う、凄まじい降格の憂き目に会う。

津古という藩境に蟄居させられ2年後、35歳の若さで亡くなったとある。

享保の一揆の事は何となく、そのような騒動があった事は知ってはいたが、この稲次因幡守正誠という家老の存在は初めて知った。

 

五穀神社の創建の意味は、多分にこの稲次因幡守正誠の鎮魂にあるに違いない。

 

五穀神社を抜けると、青少年科学館や陸上競技場、久留米鳥類センターなどの施設が立ち並ぶ区画となる。

 

 

案の定、雨が降ってきた。

 

急いで、帰るべ。

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