2月24日
前日から、長崎に住む義兄の家にお世話になった。
しこたま飲んだ。
とは、書く必要も無かろう。
重たい頭で朝を迎える。
さて、
五島行きのフェリーの時間まで少々間がある。
時間つぶしに、ちょいと長崎をブラリとしたい。
義兄の家からほど近い、長崎平和公園に車を移動させる。
何たることか。
この公園を象徴する平和祈念像と平和の泉が、まさかの修復中である。
「おっちゃん、持っとるねえ。行ってみたらまさかの工事中って、よくあるじゃん。」(家内)
うう
ま、まだ見所はあるわい!
浦上天主堂まで歩くぞ。
防空壕跡
それぞれの防空壕は、中で網の目のように繋がっているとの事。
爆心公園。
原爆の衝撃で浦上天主堂は倒壊した。
これは、その当時の残った壁を移設したもの。
昭和20年8月9日、
あの塔の上空で原爆は炸裂した。
浦上川支流の下の川。
原爆投下の日、この川は水の流れが止まるほどの死体で覆われた。
原爆投下当時の地層。
溶けた瓶やら瓦が何層にも折り重なっている。
浦上天主堂が見えてきた。
浦上の信者達が、踏み絵を踏まされていた庄屋の敷地を買い取り、20年の歳月をかけて建てられた。
前述のとおり、原爆により倒壊してしまうが、戦後再建された。
この日は丁度日曜。
教会ではミサが行われていた。
爆風の衝撃のためか、教会の前には首のない像が佇む。
煉瓦塀は原爆投下当時の物。
浦上崩れと言われる切支丹弾圧の折、萩まで流された信徒達への拷問に使われた石。
この石に座らされて、数々の拷問を受けたとの由。
切支丹禁制が解かれたのち、この地に置かれてこそ意味があると、明治9年、遠く萩から移された。
そうこうするうち、ちょうどフェリーの時間となってきた。
長崎港。
この場所で、私の元の会社のユーザーにバッタリと出会う。
「あ、どうも。」
「え?」
聞けば、このブログを読んで下さっているらしく、この日この時間、私らが五島行のフェリーに乗る筈だと推測し、犬の散歩がてら会いに来てくれたとの事。
「もこちゃん、心配ですね。」
恐縮の極みである。
東シナ海。
暫くは、島影も見えぬ外洋を行く。
五島福江まで4時間の船旅である。
午後4時半、福江到着。
この日の泊りは、ひょんなことから知人から紹介を受けた民泊である。
何故か、ここのご主人と意気投合してしまい、盛大な部屋飲みとなった。
前日に続き痛飲である。
さて、今日から五島の旅が始まる。
旨い魚と美味い酒。
風光明媚な景色に世界遺産群。
ご期待あれ!