写真展 水俣を見た7人の写真家たち2009

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2009写真展開催準備会

川崎市立鷺沼小学校へ

2010-02-08 | 出前予定と報告
つながる出前授業
大和市立北大和小学校から川崎市立鷺沼小学校へ

2010年2月5日 9:00~10:00 5年生4クラス

 出かけた人:属、田嶋 

 使ったもの:首都圏パネルより抜粋、PPスライド

2月になって、2日、3日、そして5日と、1週間にレンチャンの出前授業。結構、きついです。ひとまとまりの出前授業として取り組んだ感じ。こういうとき、つくづくと、先生というのは、たいへんな職業だろうな、と思います・・・・

5日の鷺沼小学校の出前授業の要請をいただいたのは、大野先生から。大野先生のお子さんが、大和市立北大和小学校の5年生で、去年の12月22日に取り組んだ出前授業で話を聴いてくれていたのです。体育館で、6時限目という限られた時間のなかで準備もうまくできず、心残りな取り組みになってしまっていたのですが、そのとき、話を聴いていてくれた大野先生のお子さんが、帰宅して報告、大野先生が教えておいでの川崎市立鷺沼小学校でも出前を、ということになったのです。

実は、さかのぼれば、仕事仲間のお子さんが小学5年生で水俣病を調べているときいて、「ぜひ、出前させて」と頼み込み、その仕事仲間の彼女が子どもの担任の先生に連絡を取ってくれて実現したのが北大和小学校の出前です。私は、もちろん、すぐさま、北大和小学校が呼んでくださったのも嬉しかったけれど、仕事仲間に認めたれたこと、また、実際にそのお子さんにも語りかけることができて、受け入れられたこと、そのことが無性にうれしかったのです。

今回、それだけでなく、家の人に報告して、家の人がたまたまほかの小学校で5年生を教えている先生で、依頼してきてくれたこと、そのことを、私は珠玉のことだと思います。
人が学校や家庭でどんなふうにつながっていくかを、目の前にした思いです。

          

鷺沼小学校の子どもたちは、朝一番の授業で、冷たいPタイルの上に座り込んで、こんなに真剣な様子で迎えてくれました。さまざまな課題にさらされている現在、子どもたちのまなざしに出会うと、そのまなざしが大人のあり方を射ている、といつも思います。

私は、「水俣」の学びの途上の身の上だし、何かを指し示してあげられる力量もないけれど、子どもたちの求めているものに向き合っていけたらいいなと、重ねていつも思うのです。子どもたちが大人を信じかねていて、なのに、大人を信じたがっているように思えてならないのです。(報告:田嶋)

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ボランティア説明会と実行委員会

2010-02-07 | さがみはら写真展への道
 写真展ボランティア説明会と実行委員会

いよいよ写真展まで後4日となりました。

できることをできる人が担い、コツコツと写真展開催ための準備が行われてきました。
立体コピーや音声ガイドなどが少しずつ形になってくると、本当に沢山の方々のご理解とご協力を得ていることを実感しております。

今日は午後から写真展のボランティア説明会を開催いたします。
会場の飾り付けの段取りや、写真展の運営、イベントの運営などを確認します。

ボランティアはまだまだ募集しています。
興味のある方、少しだけどお手伝いできるという方は直接会場までお越しください。
お待ちしております!!
 
・日時 2月7日(日)13:00~17:00

・場所 相模原市立大野北公民館 コミュニティ室
    JR横浜線淵野辺駅南口下車徒歩1分
    住所:神奈川県相模原市鹿沼台1丁目10番20号
    電話:042-755-6601

・内容 写真展設営について、バリアフリー写真展について、水俣病事件について



*伝えるネット会員のみなさまにも、ご参加いただければ幸甚です。

お問合せ:

 「水俣」を伝えるネットワーク 田嶋 
    ℡:090-1603-0686
    E-MAIL:otoiawase@tsutaeru.jp


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相模原市立大野台中央小学校へ

2010-02-04 | 出前予定と報告
「チッソは責任をとったのですか?」
 ~少年の質問にどう答えられるのだろう


2010年2月2,3日 各日とも3,4時限目、2クラスずつ

 出かけた人: 属、田嶋、佐藤(2日のみ)

 使用したもの: 首都圏パネル、PPスライド、水俣から届いたオレンジセット、映像『関西45年目の水俣病』から坂本美代子さんの話

相模原市立大野台中央小学校5年生4クラスの出前授業に行ってきました。

           
         
前夜に積もった雪に、やきもきして朝を迎えました。何年か前にも、天気予報で雪になると教えられて前日に写真パネルを運び込んだことを思い出し、どうして、今回もそのように対応しておかなかったんだろうと、後悔することしきり。

子どもたちと出会える機会は限られているのですから、雪ごとに断念はできません。幸いも、車で20分もかからない市内の小学校だからと、ハンドルを握る手に力を入れて出かけることになりました。でも、ボタン雪の積雪、しっかり融けはじめていて、あ~、車を運転することができて良かったぁ。出前の前日は天気予報にきき耳をたてること、まず、教訓の第一でありました。

この日、子どもたちに出前するから、実は、前日に患者さんに会っておきたいと思って環境省にでかけてもいたのです。「水俣」の話をしていくうちに「水俣は遠い」から「近い」に。「水俣はむかしのこと」から「いまのこと」に変わっていく子どもたちの表情は、いつも、心が洗われるほど綺麗です。前日の環境省への患者さんたちの申し入れの写真を見てもらって、そのときの様子を伝え、「この写真はいつ撮ったのでしょう?」と投げかけると、子どもたちに一様に驚きのどよめきが起きました。

          

最後の質問タイムに少年が立ち上がって質問しました。
「チッソは責任を取ったのですか?」 
あとでいつも反省してしまうのですが、せっかく質問してくれたのに、私は、いつも反問で答えてしまいます。

「責任って、なに?  どうすること? 」
本当なら、この問いにすっきり答えなきゃならないのではないかと思います。それこそ、答えることが大人の責任だと思えます。お金を払うことでもなく、謝るだけでなく、二度と水俣病を起こさない会社にチッソはなっているのか。「責任」とは、何なのか。
考え込んだ少年の顔を見ながら、また一方で、こんなふうに「責任」の意味を、私は子どものころ考えたことなど、一度もない、と思いました。考え込んだ少年が、とても頼もしく思えました。

2組の先生は、若い女性でした。締めくくりのとき、「私はいま妊娠しています。今日の話はとても心に残りました」と言われました。

出前授業に付き合ってくれた教務主任の先生は、こう言われました。
「伝えるネットの人たちは四つの学びと言われたけど、もっとたくさん、いっぱい学びがあったね。今日の学びの反対側にあるのが、自分勝手だよ。自分さえ良ければ、そういう気持ちをなくすことを考えてほしい」と。

教務主任の先生は41歳、国が水俣病を公害病と認定した年に生まれた方でしょうか。
先生、私が「市内の子どもたちのずべてに『水俣』のことを伝えるのが野望です」と申し上げると、「僕、応援しますよ!」とエールを送ってくださったのでした。(報告・田嶋)


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ほっとはうす上京記

2010-02-02 | そのほか諸々
ほっとはうす、環境省へ
~ 水俣病被害者特別措置法、チッソ分社化の行方をみつめて ~ 

如月を迎えた本日、どんよりとした雲がおおう雪にもなろうかという日、環境省に行ってきました。ほっとはうすのみなさんに会いに行ったのです。
2月1日午前10時半から、水俣より上京した杉本雄理事長をはじめ、胎児性水俣病患者の永本さん、松永さん、金子さん、長井さんたち、水俣の一行に支援のみなさんが加わって、環境省副大臣室にて申し入れが行われました。(写真下)

           

昨年7月に成立した水俣病被害に関する特別措置法は、被害者を救うというより、加害者であったチッソの分社化を認めて、その責任をあいまい化させるものだという指摘がなされているところです。胎児性患者であるということは、親も被害を受けた上に、胎児のうちから被害を負わされ、さらに加齢とともにその症状は重くなっているわけで、特措法が彼らの救済にまったく触れられていないことでどんなに不安になっているか、あるいは、その生そのものをおびやかされているか、直にその声を届けようというものでした。

その場に立ち会っているだけで、胸が苦しくなります。公式確認から54年、どうして被害にあった側だけが、その重荷を負担させられているのか。チッソの後藤会長は特措法成立に気をよくして、年頭所感のなかで「水俣病の桎梏(しっこく=手かせ足かせ)から解放される」と言ったそうです。自分で引き起こした水俣病への責任のかけらも感じられません。杉本雄さんの言われたとおり、「患者の犠牲のもとにチッソの繁栄がある」というのに。

ついこの間まで、松永さんは歩くことができました。今日は、車イスでした。松永さんが、水俣病事件について芦北公害研究サークルの先生方から、チッソが毒と知りつつ、メチル水銀の排水を流し続けたことをきいて、呆然としたような、引きつったような表情で「チッソは知っていたんですか」と繰り返されている場面の記憶が立ち上がってきました。今回上京されたなかで、ただひとり車イスでない胎児性患者の永本賢二さんも、自転車に乗ることができなくなったとききました。

          

田嶋環境省副大臣は、患者たちの話に涙を流し、ひとりひとりの患者と握手されて、1時間以上に及ぶ申し入れが終わりました。手放しで喜ぶつもりはないけれど、少なくとも、涙を流してくれる副大臣が登場したのですね。

その後、ひきつづき、環境省内の記者クラブで記者会見が行われました。いちばん右奥にいらした柳田邦夫さんは、あのJR西日本であっても、被害者ひとりひとりに担当の社員がいて生活のこまごましたことまで相談にのっている、チッソはそのような手当てをしたことがない、と指摘。水俣病問題懇談会のメンバーのひとりとして提言を行ったにもかかわらず、提言に挙げられたことは何ひとつ生かされていなことを訴え、解散してしまった懇談会ではあるけれど、早急に出られる委員だけでも呼びかけてもらいたいと懇談会の再開を訴えられていました。

          

また、ほっとはうす施設長の加藤たけこさんからは、チッソと被害者の協定が、協定書の形式ひとつさえ患者ごとにバラバラであることなど例示をあげて、いかにずさんに進められてきたかを指摘。被害者だけでなく、埋立地や八幡プールなどの今後の環境への影響を含めて水俣市民全体が不安に思い、説明責任を求めていることを訴えました。「この特措法は、憲法違反として提訴されうるしろもの」の重さを、私も胸に重く受け止めたのでした。

「今日だけで回答がもらえるとは思っていない。何度でも何度でも、水俣から来て訴える」。記者会見場で言われた松永さんの言葉を、霞ヶ関からの帰路、思い出していました。
相模大野駅に着くと、思いがけないほど大粒の雨がふりしきっていました。ほっとはうすのみなさんは、午後はチッソ本社に申し入れに行かれたはずです。雨に濡れなかったでしょうか・・・・。

環境省の食堂で、ほっとはうすのみなさんが、このごろ作るようになったリサイクル・バッグを見せていただきました。新聞紙から作った紙袋は、あまなつを3キロまで入れられるそうです。写真展会場では、水俣から届いた早もぎのあまなつを販売します。買ってくださった方には、この袋でお持ち帰りいただくことになります。      (報告・田嶋)


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相模原市立相模台小学校へ

2010-01-31 | 出前予定と報告
  相模原市立相模台小学校へ

 2010年1月22日(金)5、6時限 相模原市立相模台小学校 5年生3クラス

 出かけた人: 岡田暁子、田嶋いづみ、佐藤静枝

 使用したもの: 首都圏パネル、PPスライド、関西ビデオ「45年目の水俣病」

 当日のこと    校長先生にほめられちゃった!

         

昨年11月に予定されていた出前が新型インフルエンザ禍で延期となり、年明け1月の実施となりました。(新型インフルには、本当に翻弄されましたが、相次ぐ学級閉鎖で学校側も大変そう。その余波は、私たちの活動にも及びそうな気配です)

準備に追われているところに顔を出してくださった校長先生は、私たちが活動を始めてまもなく出前授業の設定をしてくださった方です。「うちの子どもたちは、とてもいい子たちなので、きっとよく水俣の話を聴いてくれると思います」という校長先生の言葉に、まず、感動。外部から来た私たちに遠慮してか、子どもたちのことを「集中力がなくて」とか「幼くて」などとへりくだれることがしばしばだからです。子どもたちの力を信頼するのは、私たちと同じと感じられました。

校長先生の言葉にたがわず、子どもたちは実に熱心に話を聴いてくれました。相模台小の子どもたちには、昨年7月にも会っています。私は〈フォトシティさがみはら〉の実行委員をしていて、その事業のひとつである「子ども写真教室」が持たれたからです。「去年は、写真を自分で撮るという体験をしたけれど、今日は、写真を見るという体験をしてください」という呼びかけで始めました。「この写真からは声が聞こえてくるよね。なんて、聞こえてくる?」と智子さんを抱くお父さんの写真を指して尋ねたとき、いちばん前にいた少年が「聞こえてくる」と言ったところで深くうなずき、「何て聞こえる?」と尋ねたところで「おとうさん」とすかさず答えてくれました。「そう! 私とおんなじ!」

2時間つづきの時間をいただいていたのに、結局、オーバーしてしまい、たくさんの質問に答えられず、最後の「もう二度と水俣病は起こらないのですか?」という質問には、もっと一緒に考えたかったです。最終下校時刻3時50分の10分前まで延長してしまいました。

         

そののち、クラス担任の先生方とお茶を飲みながらお話をさせていただき、帰りがけには、使用している教科書の記述のコピーをいただいくこともできました。

活動初期の出前を知っている校長先生に「失礼な言い方もしれないけど、とても練られてきていますね」と、お褒めをいただいて、生徒のように嬉しかったなぁ。(報告・田嶋)


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